2017年10月26日

名曲「イマジン」は、オノ・ヨーコの作詞だった。

メディアゴン没原稿。その5

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NHK、ファミリー・ヒストリー「オノ・ヨーコ」に想う。

この番組が公開したショッキングな事実は、ジョン・レノンの代表曲「イマジン」の歌詞はオノ・ヨーコが書いたこと。

オノ・ヨーコが詩を書き、ジョンにプレゼントした。
だが、「ビートルズを解散させた女」という当時のヨーコに対するバッシングを考慮して、レコード会社は、ヨーコを作詞者としてクレジットしなかった。


番組には、オノ・ヨーコ本人と息子のショーン・レノンが出演していた。
ヨーコはショーンに英語で語りかけ、ショーンは視聴者への配慮か、簡単な日本語で感嘆していた。
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2017年10月25日

公開から一年経って映画「君の名は。」を評価・吟味する。

メディアゴン、没原稿、その4。

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昨年最大のヒット映画「君の名は。」に対する評価は真っ二つに分かれていた。

「実景をトレースしたアニメーションが素晴らしい」というのが絶賛派の主たる理由。
だが、本来吟味されるべきは、〈美術〉ではなく物語。主人公に〈感情移入〉できるかどうかが、映画の品質を決定する。


黒沢明監督が晩年に創作した大作時代劇は「衣装が素晴らしい」と評価された。
そのことは、それらの作品が「七人の侍」など黒沢作品の代表作には及ばないことの表現でもある。
でなければ、主演の仲代建矢は、三船敏郎と同様な国際俳優になっているはず。
上質な映画は主演俳優を輝かせるが、「影武者」「乱」は必ずしもそうではなかった。



観客が、主人公に〈感情移入〉できるかどうかが、映画の最大のチェックポイントである。

料理であれば、〈感情移入〉は味やダシに当たる。
食レポで、「歯ごたえがいいですね」「好きな人には堪らないですね」などと発言されたら、「不味い」の婉曲表現である。
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2017年10月24日

駒崎弘樹さん、ウーマンラッシュアワー・村本批判は間違っています。

フジテレビLGBTに関連して、以下にまとめられていますね。


【まとめ】

「保毛尾田保毛男に傷ついた」という当事者の声を「被害者面」「差別されているのはLGBTだけでない」と言う言説は、単なる抑圧だし、「(非当事者が)善人面して当事者を語るな」というのも、変革を阻む抑圧です。

残念ながらウーマンラッシュアワーの村本氏は、無意識のうちにマジョリティによる抑圧に手を貸し、おそらくそれに全く気づいていません。「みんなが言わないような深いこと言ってる俺、すごい」という意識なのだとしたら、とても残念です

https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20171010-00076753/


ウーマン氏が言っているのは、「当該争点だけが、差別ではない」というメタ議論です。

私なりに演繹すると、彼は、

・「個人の事情・感情を「社会問題」にまで昇華させるべきではない。(ただし、昇華させることを否定してはいない。まず、個人。次に社会。それだけのこと)

と言っている。

・ウェブはコミュニケーション(双方向通信)であり、そこでの発信は結論ではない。

しかし、

・マスコミ・メディアは、マスディストリビューション(一方向発信)。言論の戦車であり、その情報は<オーソライズ(権威化)>されてしまう。
 


そのことをウーマン氏は、「言葉足らず」ながら指摘しているのです。  



その意味で、フジテレビの今回の発信は、LGBTの〈ノーマライゼーション〉への道かもしれない。

逆にいえば、駒崎さんの発言は、〈ノーマライゼーション〉を停滞させる発言。




社会をイノベーションするのには以下の手法があります。

・「強者」を助けて、「強者」たちに、弱者を助けさせる。

・社会全体を「強者」にするか、「すこしだけ強者」にして、弱者を助けさせる。

・「弱者」をなくす。(当人が「弱者」であると感じさせない)

・「弱者」を助ける。


駒崎さんのビジネスは4番目であって、他人がとやかく言う必要はない。

ただし、それを「絶対善」として、他者・社会を批判するなら、彼は「偽善者」の汚名を着る。
(バカと言った人が、実はバカ。という構造。)

駒崎さんの発言が世の中に拡大・拡散していくなら、〈ホワイト・メール〉的な社会悪。

これは、〈ブラック・メール〉以上に厄介であり、私は危険思想だと確信する。

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2017年10月23日

占いとは、地球外生命体との共通言語である。


ヒストリーチャンネル「古代の宇宙人」シリーズによると、

易経はバイナリーコード(2進法)であって、「地球外生命体」との共通言語だという。

かつてNASAが宇宙に探査船を発進したとき、「地球外生命体へのメッセージ」をつけたのだが、それに似たものが十数年経ってミステリーサークルに現れたのだとか。

その時の画像はバイナリーデータとイメージが合体している。
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2017年10月22日

服部百音さんは、ドラムを練習すべき。

先日、「題名のない音楽会」にバイオリンの天才少女として紹介されていた服部・音楽一家の令嬢が出演していた。

彼女は18歳。
幼少期のドキュメンタリーをみていた頃から、すでに10年が経ったということか・・・。

彼女の母はバイオリニストで、父は、服部家の3代目の作曲家である。続きを読む
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2017年10月21日

この世界とは何か・・・。(「古代の宇宙人」の解釈)

ヒストリー・チャンネルの「古代の宇宙人」を観ている。

芸術が、「この世界の本質を描くこと」なら、この番組は、芸術のそのものである。

膨大な作品群のうちの、十数編を観たに過ぎぬが、私がいままで考えてきたことと、さまざまな点で符合している。

本作品は、「宇宙人の実在」を論述する形式を取っているので、きわめてわかりにくいが、クリティカルでない人には、それは必要ないので、そういう人たちの便宜を測って以下に訳す。
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2017年10月20日

ウェブの再評価。(山田五郎氏のフェイクニュース解説)


宮崎勤死刑囚に関連して、コミケの会場に向かって、ここに宮崎予備軍がいると発言したテレビレポーター(東海林のり子)がいたという情報は「ガセ」という調査に関連して、テレビコメンターとして知られる山田五郎氏が、「ウェブは、(訂正機能があるという点で)マスコミに優位する」と結論していた。

【関連ブログ】
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20100731/miyazaki

この発言は異例である。

マスコミの論調は、ウェブの情報は「評価できる情報もあるが、玉石混淆」というのがほとんど。
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2017年10月19日

カズオ・イシグロにおける日本・日本人とは・・・。

両親が日本人であり、幼少期、日本語で育てられた彼は、5歳の時、長崎から英国に移住した彼は、インタビューを受けて、

・私の世界観、芸術へのアプローチは日本が大きく影響している。

ま、そういうことだと思う。
つまり、英語を喋るからといって、英国人ではない。

両親が日本人なら、コンラート・ローレンツの動物行動学の理論にしたがって、日本人の感覚が「刷り込まれる」。
コンラート・ローレンツの理論を使わなくてもよい。親の言うことを、「批判的に解釈する」と、子は自己肯定感(アイデンティティー)を失う。だから、両親が日本人なら、英語を喋っていても、中身は日本人である。

ましてや、背後霊は、日本人の割合が高いはず。もちろん、地縁もあるのだから、英国人の背後霊もいないのではない・・・。


つまり、彼が、「川端康成、大江健三郎につづく・・・」と発言しようがしまいが、彼は日本人の文脈に属している。続きを読む
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2017年10月18日

菊池成孔・町山智浩両氏の論争でヒットした映画「セッション」。

没原稿、その3

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春先の公開作「LA.LA.LAND」が有料放送でオンエアされるタイミングもあるだろう。劇場公開から数年経ち、同じ監督の映画「セッション」はCATVで盛んに放映されている。

だが公開当時、ジャズミュージシャンの菊池成孔氏とアメリカ在住の映画レポーター・町山智浩氏の論争があったことは、忘れ去れているに違いない。
論争の詳細はウェブで調べれば分かることだが、ジャズミュージシャンの菊池氏は「この作品はダメ」といい、アメリカ映画を紹介してきた町山氏は「このような低予算作品を公開前に貶すとは・・・」というもの。かなり感情的だった印象がある。
論争は、菊池氏と町山氏の〈主観〉と〈主観〉のぶつかり合いであって、作品の吟味が行われていたかは疑わしい。

そこで改めて作品の評価・吟味を行いたい。
といっても、新たに私の〈主観〉を足しても、混乱が深まるだけなので、〈形式批評〉を行いたい。〈形式批評〉とは、評価基準をもとに作品を評価・吟味することである。
今回は〈評価基準〉として、「17世紀フランス古典主義演劇理論」を用いる。


【17世紀フランス古典主義演劇理論】

1、自然(この世界の本質)のミーメーシス(模倣・再現)。
2、過去の傑作のさらにインパクトを強化したミーメーシス。
3、本当らしさ。
4、適合性(内的適合性・外的適合性)
5、驚異的であること。
6、筋・時間・場所に関する単一統一性。


上記は、放送大学の青山昌文教授(美学・芸術学)の講義をまとめたもの。私はモリエールの時代の演劇に詳しくはない。当時の演劇理論を現代の映画・ドラマの評価に流用すると極めて有用だと感じただけ。私は利用者であって、研究者ではない。
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2017年10月17日

倉本聰作「やすらぎの郷」の評判がすこぶる良い。

没原稿。その2

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私のライフワークは「客観的で、妥当性のある評価」なので、〈形式批評〉によって、「やすらぎの郷」を吟味したい。

ポストモダンの今、無批判に〈主観〉が受け入れられる時代は終わった。〈評価基準〉を使った〈形式批評〉によって、〈客観〉を追求するのは時代の必然である。
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