2018年05月14日

このブログでは〈本質〉を書く。

数学者の岡潔は、日本文化の特徴として「真如」をとりあげた。

「真如」とは、「(量を誇る)知識」ではなく、「短い言葉で真髄を表現すること」である。「真如」では分かりにくいので、spontaは〈本質〉と言い換えることにする。

※ 岡氏はその他、日本文化の特徴として、「(競争心ではなく)向上心」、「(感情ではなく)真情」をあげている。
※ 真情とは、「人間と環境・自然がともに喜ぶこと」。


最近、「現代思想」のムック本を読んでいるが、人類学では、中央アメリカ原住民の叡智に注目している。

中央アメリカ原住民の文化は、日本民族と同じ「自給自足系」であり、西洋文明の「寄生系・自然征服系」に対照する。
もっとも、「自給自足系文化」は縄文文化であり、日本民族のもうひとつのルーツ「弥生系」は「寄生系・自然征服系」である。
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2018年05月13日

データベースには〈断片化〉が重要。(君は海を見たか)


倉本聰・シナリオの「前略おふくろ様」を観てきた。

第一シリーズ、第二シリーズを続けてだから、50本ほどを毎週月曜日に観た。
録画予約をそのままにしていたら、録画されたのは、「君は海を見たか」。シナリオは同じく、倉本聰である。


物語は、仕事人間の父親(建設会社)の息子が不治の病になり、「海を見せていなかった」ことに気づいて煩悶する。
少年の不治の病が物語の主軸になるドラマなんて見たくもない。
そう感じた私は、オンエア当時見ていない。


ワーカーホリックな父親はショーケンこと、萩原健一。
妹が伊藤欄。
少年の母は亡くなっており、継母になる女性が関根恵子(現姓・高橋)。ショーケンの上司に、梅宮辰夫がいたり、田中邦衛が出演していたり、豪華映画俳優が多く出演していた。
演出は「北の国から」の杉田氏。
制作はフジテレビである。
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2018年05月12日

「くぱぁ」ってオノマトペなんだって。(猥談)


オノマトペって、擬声語、擬態語とのこと。

エロ系のジャーゴン(専門用語)だが、女性器が「口を開けた」時の擬声語。

というか、そんな音がするはずもないから、擬態語である。


なんともビミョーな表現だが、なんだか納得する。
日本人の感覚って、不思議。
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2018年05月11日

明るく、元気に、一生懸命。


娘と会社のコミュニケーションの話をしていて、「企業の意志決定論」についてアドバイスしていた時の、娘の答えが上記。

「明るく、元気に、一生懸命」。

昭和の爆笑王・林家三平が息子のこぶ平(現在の林家正蔵)に残した遺言である。


※ ネットには、元・こぶ平が長男なのに三平を継がなかったのは、彼が「外に出来た子」だったという噂がある。西田ひかる嬢の「最初の相手」がこぶ平だったという話も・・・。

※ ネットの噂として心に残るは、元巨人軍の満塁男・駒田選手の「とりあえず、お疲れ」。
−−−「できちゃった婚」をした彼が出産に立ち会ったら、出てきたのは「黒人とのハーフ」。真偽は−−−?


娘へのアドバイスは、「社内のコミュニケーションに支障」をきたすなら、「会社の意志決定に参加するな」。


遺言といえば、

難病を抱えた落語家(春風亭柳朝)の弟子が、「遺言を言われるかもしれない」とビクビクしていた時にタクシーの中で言われた一言。

「茄子はおいしいね」。

このハズし具合が笑いのネタ。−−−案外、これが遺言かもしれぬ。
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2018年05月10日

「前略おふくろ様」のモチーフは妥当なのか・・・。 (その3)


萩原健一が演じる片島三郎青年は、田中絹代演じるおふくろ様の「輝いていた青春」を知らないことに「原罪(ぬぐい去ることのできない引け目)」を感じている。

「しわくちゃのおばあさん」としてのおふくろ様しか知らない自分は、「憐憫したり・見下す」ばかりで、母親に対して、「あこがれたり・見上げたり」しないと、自問自答。

−−−そして、反省する。

だからといって、田中絹代の若かりし日の映像が流されるのではない。映し出されるのは、蔵王のスキー場の食堂の厨房で割烹着を着て働く姿のみ。

一度、東京に来て、「オニオングラタンスープってもんが食べたい」。ただそれだけ。
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2018年05月09日

昭和の傑作ドラマ「前略おふくろ様」を分析する。 (その2)


印象批評しても意味がないので、「形式批評」する。

※ 形式批評: 評価基準を明確にして批評すること。モダニズムの時代は、「主観による、思索批評・印象批評」が尊ばれたが、表象論的には「形式批評」が求めれる。

※ 表象論:「作品が提示しているもの(表象)」と「鑑賞者由来のもの」を分けて考察する姿勢。
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2018年05月08日

昭和の傑作ドラマ「前略おふくろ様」を分析する。 (その1)

専門的な議論ですので、ご興味がない方は、スルーしてください。

・今のドラマが「何を失っているのか」。

・日本の「ドラマの伝統」は何か。

・どうすれば「日本のドラマ」は、もっと面白くなるのか。

を知りたい人は、この考察を読んでほしい。
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2018年05月07日

工藤監督(ソフトバンク)のポストモダン戦略。


・モダン(主観・絶対主義)。

・ポストモダン(客観・相対主義)。


TBSの番組「バースディー」で、ソフトバンク・ホークスの工藤監督のドキュメンタリーをやっていた。

彼の戦略は、

・選手の「コンディション」や「指導法・指導実績」をコーチ・スタッフの間で〈共有〉すること。


これは「ポストモダン」の手法である。

番組では明確に言語化されなかったが、工藤監督が〈共有〉したいと思ったのは、


× 「結果」の〈共有〉
○ 「技法」の〈共有〉により、「評価法」の〈標準化〉を経た上での、〈評価結果の共有〉

である。


つまり、工藤監督は、「俺の考え」で「チームを統一したい」とは思っていない。
「みんな(集合知)で、チームの『本当の姿』と『理想の姿』を追求しよう」。
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2018年05月06日

NHK「奇跡のレッスン」吹奏楽編を見た、中高生の吹奏楽部員に。 (その2)


「知識」は情報量を誇るが、「本質」は短い言葉で表現される。
悪人正機説(法典を勉強した僧しか極楽往生できないのはおかしい。それでは、働くことがない人ばかりの世の中になる。仕事に生きた人も極楽往生できる)で言えば、「知識を誇る人」は銀。「本質」を短い言葉で表現することが金である。


【音楽のアナリーゼの本質】

・「継続要素」と「異要素」の定着。

※ 継続要素は「調和的・さりげなく」に、異要素は「印象的(意図的・わざとらしく)」に表現する。
・メロディーの解釈は、「メロディーの構成音」と、それをつなぐ「経過音」&「刺繍音」に分類される。構成音が〈主〉、経過音・刺繍音は〈従〉として表現されるべき。


たとえば、「ツアラツーストラはこう語った」(リヒャルト・シュトラウス)の冒頭。

1度5度1度のメロディーは、調(主音)を現しているから、「継続的」。
その後の3度2度は、調性(長短)を現しているから、「印象的」な表現となる。


音楽は「純粋」であるべき。「意味」を表現するのは堕落という考えがある。

たとえば、ベルリオーズ「幻想交響曲」の終楽章は、コンシェルジュリーの牢獄から引き出され、パリの街を引き回され、コンコルド広場でギロチンで処刑されるまでが、音楽として描かれる。
・・・だが、それを知ってしまうと「陳腐に聞こえる」。

私が結論するのは、「音楽が表現すべき」は、「(意味ではなく)意志」である。


娘は日野バンドのドラマーに、君の演奏は「何かをやりたい」感じがするとの講評を得たが、それは、最大限の讃辞である。
その「何か」が明確な演奏は、ベルリオーズの楽曲のように「説明的」。





アナリーゼにおいて重要なことは、「音楽でアフォーダンスすること」である。
※ アフォーダンス:何かを感じさせること。

そのために演奏家は、楽譜に込められた「(作曲家の)意図」を察知して、演奏に盛り込む。
つまりはアナリーゼ。「譜面通りに演奏する」だけではダメなのだ。


2000年。私はギャルド・リュプブリケーヌ吹奏楽団が出演する教材ビデオのディレクターをつとめたが、日本人作曲家が初演を聴いて「譜面通りに演奏しているだけ」と呟いたのを覚えている。 (同行、音楽監修者は、真島俊夫氏)

世界一の楽団でも、そんなもの・・・。


ちなみに、日本でよく演奏される「リシルド序曲」は、ギャルドの楽長の作曲だが、楽団で「その存在は忘れ去られていた」。
重層な和音の響きが、日本人に好まれたのであって、フランス人には「やぼったく」感じられたに違いない。

我が吹奏楽部顧問(松本先生)は「全国大会出場」を目指して、「隠し味」と称し、別パートを加えた演奏をした。(たとえば、ホルンのパートを、ユーフォニウムにも演奏させるとか・・・)

だが、そういう行為は「軽やかさ」を減じる。ギャルドの指揮者は、「やってはいけない」とインタビューで発言したのは印象的。

この番組のマーク氏も、(インフルエンザで欠席者がでたので仕方なく)松本先生と同じことをやっている。


高校時代の恩師の発言が、世界一の楽団の指揮者に否定されるとは、強烈な体験である。

当時、N響のチューバ奏者や東京芸大の先生を臨時講師に迎えてリハーサルをしていたから、先生の指導方針は「当時の日本の音楽教育の最先端だった」はず。

晩年、そのことを先生に伝えようとも思ったが、先生の周辺の「信者の卒業生」たちを思えば、先生に接触することは不可能であった。

※ 先生の逝去のウェブニュース。

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NHK「奇跡のレッスン」吹奏楽編は、管楽器奏者をダメにする。 (その1)


【間違いの要点】

・「テンポルバート(メトロノームを無視した演奏)」だと、共演者に迷惑をかけるし、音大にも合格できない。

※ 「グルーヴ」なら、メトロノームと競演しても「情趣豊か」な演奏が可能。


・共演者の「音を聴きながら」演奏すると、「聴いた分だけ、遅れる」。

※ 聴くのは「音程だけ」。音のタイミング(拍・パルス)は「同期」する感じ。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

世界最高峰の指導者がやってきて、日本の若い人たちにレッスンするのが、この番組。

今回のテーマは、吹奏楽−−−。

中高生の吹奏楽部員が「全国大会出場」「プロの音楽家」「音大受験」を目指しているなら、真剣に観るに違いなく、番組で「指摘されたこと」を鵜呑みにするに違いない。

だが、「間違っている」。

そこで、記事にした。
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