2020年05月10日

絶賛! NETFLIX「愛の不時着」の解題。

#NETFLIX  #愛の不時着

※ ネタバレを含みます。とはいえ、最近の研究では、「内容や結末を知ることで、鑑賞は台無しにならない」。逆に、「鑑賞のレベルが上がる」という報告がある。

spontaのブログの読者なら理解できるだろうが、私はアマノジャクである。
したがって、「人から薦められた」ものに、素直に従わない。

「冬のソナタ」もそうで、妻から薦められた時に鑑賞していれば、流行の波に乗り遅れることもなく、spontaの知名度は格別に上がっただろう。
とはいえ、

・アリストテレスのミメーシス理論。

・ルネ・ブレイの17世紀フランス古典演劇理論


を持たぬから、「冬のソナタ」が過去の恋愛映画のミメーシスの塊と気づけたかどうかは分からない。
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spontaは「印象批評・思索批評」をしない。行うのは「形式批評」。(2020年GWの結論)

形式批評とは、「評価基準を明確にした」吟味。フィギュアスケートや体操競技では一般的だが、近代主観主義に囚われていく「文科系・芸術系」では採用されていない。

しかし、「客観的で、妥当性のある吟味」のためには、「形式批評」が不可欠である。

だが、映像の評価では、「専門家による吟味」や「一般大衆のアンケート」が用いられている。

専門家は「利害関係(ステークホルダー)」により(真正な評価とは異なる)政治的な発信をする可能性があるし、一般大衆は素人だから「大量宣伝・周囲の評判」によって影響される。
どちらも、信頼性に欠ける。信頼できるのは、「専門家による、評価基準を明確にした吟味」のみ。
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2020年05月09日

「ポスト・コロナの時代」は、コロナ革命?

2020年は、「東京オリンピックが中止になった年」ではなく、

・新型コロナウィルスでパンデミックが起きた年。

として記憶されるに違いない。

つか、

・人と出会い、

・人と集い、

・人と親密になる。

という、「(人間社会の成立にとって)基本的・重要なこと」を限定的にした「3密の禁」は、たとえ「非常事態宣言が解かれた後」「ワクチンが開発された後」でも、人々の心に残るに違いない。

何故なら、「新しい伝染病が流行する」可能性を、地球上の全人類が知ってしまったから−−−。


ウェブには「陰謀論」が渦巻いているが、案外、「(10年ほど前に来るはずだった)アセンション(次元上昇)」が遅ればせながら、実現するのかもしれぬ。と、spontaは期待する。

以下は、spontaの過去記事。


2008年01月15日
21世紀のパラダイムシフトとは、平等・自由・正義・平和が否定されることである。



2008年02月07日
2008年最大のキーワードは、フォークソノミーである。



2008年02月08日
マイクロソフトの想像力のなさ。次は、フォークソノミーの時代だっつーの。





2020年05月08日

コロナウィルス陰謀論 (カレードスコープより)

私は陰謀論者ではない。
陰謀論の99%は、デマ・ガセだと思っている。

だが、陰謀論を発信した人の「動機」は、紛れもなく「真実」である。


「起きたこと(巷間、伝えられていること)」が真実とは限らないように、「陰謀論」も真実とは限らない。

メディア・リテラシー的にいえば、「発信者の自己都合」を勘案すべきである。


「本能寺の変」につき、「何が起きたのか」と歴史的な記述を探すより、結果として「誰が得をしたのか」から真犯人・首謀者を特定するのが近道との説を唱える人が多い。

では、今回のパンデミック。

誰が得をするのか?
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2020年05月07日

演歌歌手・坂本冬美さんのStay Homeのコメントが素晴らしい。

演歌歌手・坂本冬美(53)に、会見では恒例だった「熱愛・結婚」の質問もしてみた。

これまで独身を貫いており、会見ではその都度恋人ゲットに意欲を見せるのだが、不要不急の外出自粛が求められる現在は「もう本当にほとんど、人と会っていない。付き人とマネジャーくらい」と、チャンスが激減していると吐露。「今はベランダで育てているキュウリやナスが恋人。少しずつ成長していく姿を見ていると楽しい」と“おひとりさま”ステイホームを明かした。

寂しい生活に潤いを与える存在はいないのか、あらためて聞くと「これだけ3密がいけないと日本中で言われているでしょ?3密でもダメなのに“2密”(2人で密着)はいけません!」とユーモア交じりに否定した。
5/7(木) 5:30配信


spontaとしては、キュウリとナスのどちらが好きか? を聞いてみたい。


5ちゃんねるでは、早くも、

「次は、ゴーヤ」

とのコメントがついた。


さすがのエンターテイナー。確信犯だろう。
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「まったり系群像劇」は、アンチドラマではない。

アリストテレスのミメーシス理論の第一は、

・過去の傑作を(インパクトをさらに強化して)、ミメーシス(模倣・再現)すること。

である。


私が気になっていたのは、テレビアニメ「けいおん!」(2009年、2010年、TBS)。

・主要キャラクターの間に、対立(アンタゴニスト)があるのではない。

・主人公たちが、目標に向かって努力する(超目標)のでもない。

だが、「けいおん!」は魅力的。大ヒット・ブレークした。

オンエアは、娘が中学3年の4月〜6月。この番組に刺激を受けて、私は軽音楽部の強豪校を探し、志望校に定めた。だが、入学直後、軽音楽部の顧問教師がモンスターなことが分かり、GW前に退部する。

モンスター教師といえば、テレビドラマ「女王の教室」がイメージされるが、現実のモンスター教師に深慮遠謀はない。
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2020年05月06日

日・米・韓の映画&ドラマの違い。(外的整合性)

放送大学・青山昌文教授(美学・芸術学)は、

ルネ・ブレイの17世紀フランス古典演劇理論は、

・芸術家を縛るためのものではなく、芸術家の創造を助けるもの。

と指摘している。

17世紀フランス古典演劇理論の2−1の「外的整合性」は、作品世界を限定する。これにより、作品世界が強固になる。


【(ルネ・ブレイの)17世紀フランス古典演劇理論】

1. 「ありえない」はダメ。

2-1. 外的整合性。(観客にとって、作品世界に違和感がない)

2-2. 内的整合性。(登場人物の思想と行動に違和感がない)

3. 驚異的。

4. 三一致の法則。(筋・場・時間の単一統一性)

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2020年05月05日

テレビ東京「行列の女神〜らーめん才遊記〜」の分析・吟味。

【作品概要】

グルメ・ラーメンをテーマにした1時間ドラマ。テレビ東京で毎週月曜日22時からのオンエア。

舞台は、営業不振のラーメン店を復活させる「フードコーディネイト会社」。

主演は、黒島結菜(新人社員)、鈴木京香(社長)。

黒島演じる新人社員の母親は、「ラーメンを料理として認めない料理研究家・料理学校の理事長」。鈴木京香演じる女社長の「仇敵」である。
黒島は幼い頃から「味覚のエリート」としての訓練を受け、ジャンクフードを食べることを母親から禁じられてきた。だが、半年前、生まれて初めてラーメンを食べ、感激。鈴木京香の会社に入社する。


記事執筆時点で、第2話まで放映済である。



【作品分類】

spontaは、「印象批評・思索批評」ではなく、「(評価基準を明確にした吟味)形式批評」を行う。

「行列の女神」は日本のドラマである。

ハリウッド映画は、主人公の「意志・情熱」とそれを妨げる「仇敵・諸事情」がドラマを盛り上げるのが主流である(ロッキー)。

勿論、ハリウッド映画といっても、一枚岩ではない。(リアリズムに傾倒した)ニュー・アメリカン・シネマ等(イージー・ライダー)の「アンタゴニスト(対立関係)の弱い」作品もある。

日本社会・映画と同じく、「摩擦・対立を好まず」、相手を思いやる主人公の映画も存在する。(フランク・キャプラの「素晴らしき哉、人生!」)


問題は「行列の女神」を、どの分類で評価・吟味するか? (カレーライスとハヤシライスを同じ料理として吟味するのでは、意味がない)

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日・米・韓の映画&ドラマの違い。(現実のミメーシスによる優先順位の違い)

”Stay Home”の標語のもと、ドラマ三昧の人も多いと思われる。

映画&ドラマ鑑賞で厄介なのは、「地雷を踏むこと」。つまりは、「愚作・駄作」に突き合わされること。

しかし、「主観批評」をしていたのでは、

・遠くで見ていたらウンコだった。近寄ってみたらウンコで、食べてみたらウンコだった。良かった、踏まなくて。

なんてことが起こりかねない。

そこで、「愚作・駄作」の見分け方として、ミメーシス理論の一端を紹介する。(総論的には、何度も論じているので、興味がある人は「映画&ドラマの評価基準」でググって欲しい)


我が師・首藤剛志氏は、シナリオ作家協会の「シナリオ教室」を批判していた。(その様子は、現在もウェブで閲覧できる)。

spontaなりに、その理由を察すると、講師のシナリオライターたちたが「印象批評・思索批評」に終始したから。

トレーニングの基本は、20枚シナリオ(200字原稿用紙×20枚=10分のドラマ)であり、「習うよりも、慣れろ」でしかない。

spontaも、今村昌平の映画学校(1年次の担任教師は、大河ドラマ「麒麟がくる」の脚本家・池端俊策先生)でシナリオ教育を受けたが、同様。「印象批評・思索批評」の対極は、「形式批評」である。

※ 形式批評とは、「評価基準を明確にした」吟味。フィギュア・スケート体操競技では一般的だが、文化系のコンクールでは一般的ではない。

その理由は、「芸術作品は、芸術家のオリジナルな創造物。であり、鑑賞・批評も同様」との近代主観主義に囚われている人が、1990年代以降のポストモダンの時代においても、大多数を占めるから。

教育界を中心に、

・我思う。ゆえに、我あり。

・人間は、考える葦である。

を信じてやまない人(近代主観主義に洗脳された人)たちが、考えを改めないし、「洗脳が中止された」との話を、今も聞かない。


上野の西洋美術館の前庭に「考える人」の像がある。知識人なら、その存在を知らぬ人はいない。だが、オーギュスト・ロダンの作品が「救世主・イエス・キリスト」に取って代わる「新しい神の姿」なことに、誰も気づかない。
まず、そのことに気づいてから、認識論・実存主義が行き詰まったことを理解するべきである。


話を戻そう。

spontaが利用する「形式批評のためのツール」は以下の3つ。


・アリストテレスのミメーシス理論。
〜過去の傑作&現実の(さらにインパクトを強化した)模倣・再現(ミメーシス)。


・ルネ・ブレイの17世紀フランス古典主義演劇理論。
〜「本当らしさ」。観客にとっての違和感がないこと。登場人物の思想と行動に違和感がないこと。驚異的。三一致の法則。


そして、

・(spontaオリジナルの)T-メソッド。
〜優先順位を明確にした「詳細なチェックリスト」。

である。

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2020年05月04日

キリスト教研究者・久保有政氏の「古代キリスト教」の講義。


入院していて困るのは、大部屋の別患者と看護婦・医師の会話が「耳に入ること」。

今回は、コロナ・パンデミックの影響で、「家族の面会は禁止」になっているが、4人部屋で「夜中に痛がる」隣人がいて、閉口した。

そこで、スマホにイアホンを突っ込み、深夜にわたって音楽・落語・講談・講義を聴くことにした。幸い入院病棟はWi-Fi完備。鑑賞し放題である。
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