2016年05月06日

「現代(ポストモダン)」の美学・芸術学。

青山昌文先生の美学・芸術学の教科書を読んでいる。



近代は、封建主義の後の時代であり、現代もモダニズムが続いていると考えているかもしれない。

しかし、社会主義体制が崩壊し、「進化論な歴史観」の妥当性のなさを誰もが確信し、「産業革命・市場経済」が自然破壊を繰り返し、全世界の人たちが「絶望的な現代」を痛感しているなら、現代は、モダニズムの時代ではない。

つまり、平成の今は、ポストモダンなのだ。




モダニズムは、宗教の時代を終わらせ、主観主義の時代が始まる。

ならば、平成の今は、「主観主義の時代」が終わったことになる。

つまりは、ドイツ観念論・実存主義が提唱した「認識の先に、実在がある」のは虚構だということが確実となり、「実在は、認識に優先する」というギリシア以来の当然の世界観がよみがえったことになる。



なんて、実感がありますか?
皆様。
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2016年04月07日

スターウォーズにおける、「フォース」の価値。

映画について、ドラマについて、どれほどの人が理解しているのだろうか。

専門家はマニアックな理論に陥って、一般鑑賞者とは乖離。専門家たちは持論を、大衆の意見と対照することはない。

さて、この記事のタイトル「フォース」である。
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2016年04月05日

映画「ジュピター」に想う。

映画「マトリックス」の後の作品ということで、期待していたが、なんとなく見逃してしまい、先日、CATVで観た。

存在論的な高まりを期待したが、ありがちなSF未来活劇。ヒロインの出自や、地球の来歴について、言葉で語られるばかりで、あまり深く触れられてはいない。



映画「マトリックス」にしても、アクションや特殊効果が売りであって、作品の背後にひろがっている構造でブレークした作品ではないだろう。

ちなみにマトリックスとは、この世界(次元)は、図表的な存在(相対的)であり、唯一無二の絶対的なものではない。具体的には、「テレビゲームにプログラム」が存在するように、「(現世に対応する)プログラム次元(異次元・アルタードステーツ)」が存在する。

*

マグリッドに、「これはパイプではない」という絵画があるが、「描かれたパイプ」はパイプではないのは道理。「パイプの絵」を「パイプ」と見間違ってはいけないように、この世界も…。


ということか。続きを読む
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2016年03月31日

町山氏 vs. 菊池成孔

一昨年の秋の出来事だったと記憶するが、ジャズドラマーの育成に関する映画「セッション」に関する論争があった。

町山氏は「セッション」を評価し、菊池氏は「セッション」をケナし、かつての映画のヒーローを演じた老優が、ブロードウェイ演劇に挑戦する映画「バードマン」を推した。
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2016年03月15日

シナリオとは…。

若い頃、溝口健二監督が新藤家兼人氏に、「これはシナリオではありません。ストーリーです」と言ったというエピソードを痛烈に憶えている。

その理由は、「シナリオとストーリーの違い」が分からなかったからである。




勉強をしていなければ、「シナリオは、演劇台本・放送台本」。「ストーリーは、小説・読み物・あらすじ」と考えてしまうだろう。



最近読んだ本によれば、厳密にいうと、「時系列に書かれたのがストーリー」。「語り口の順に書かれたのがプロット」。…と。

その延長線上で考えると、私の考えでは、

・「出来事」を淡々と記述したのが、ストーリー。(叙事的)

・「出来事」の背後にある、人間の「超目標・自律・自律」そして、関係人物たちの対立を描いたのが、シナリオ。


となる。



たとえば、

「昨日、うんこをもらした」は、ストーリーであり、「昨日、うんこをもらしたところを、友人Aに見つかってしまい、はずかしかった」はシナリオである。
(^▽^;)
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2016年02月26日

シナリオづくりで、履歴書を作る。

と、作品に深みが出ると、倉本聰氏がインタビュー番組で語っていたが、そうだろうか…。
この手法は、黒澤明監督も行っていた、極めて一般的なものである。

ただし、我が師・首藤剛志は、「設定は最低限にすべし」と語っており、それを思えば、履歴書は設定を増やすことでしかない。つか、師も、履歴書を引き出しに忍ばせていたが...。



心理学が進化し、普及した今なら、履歴書ではなく、行動原理を定義することが重要である。



「前略、おふくろ様」の頃は、倉本氏を尊敬していたが、「北の国から」あたりからは、「?」という感じ。

思うに、作家のステータスが上がり、「自分のやりたい放題」が可能になると、「観客の満足」ではなく、「自己の達成感」を主眼にした創作になるのだろう…。
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2016年01月26日

青山昌文先生の芸術論。

放送大学の芸術論の講義の究極の要約。その内容に、私も、深く納得する。



芸術は、芸術家の自己表現が目的ではない。
芸術が目指すものは、この世界の「本質(存在)」の表現である。


さらに、芸術は「芸術そのもの」が目的ではなく、何らかの目的である。
それは、「政治的」であったり、「宗教的」であったり、「社会的」であったり、する。



さらに、青山先生が強調するのは、18世紀以降の芸術論は、「近代主観主義」であって、通史的な妥当性を持たない。ということ。

授業の後半は、フランス啓蒙時代の批評家・ディドロについて多くの時間を割き、最後は、ロシアの演劇学者スタニスラフスキーとディドロの理論が同じであると説いた。

この説は、ご丁寧にも、日本の代表的な演出家・蜷川幸雄氏のインタビューで援用もしている。

*

それは、「俳優が、役になりきる」のは、演技の理想ではなく、「俳優は、演技を冷静にコントロールする」のがベストであって、「演技している時も、客観的に演技を見つめる別の視点を持っていること」が求められる。



青山先生は、ドイツ観念主義の欠陥を指摘する。つまり、「我思う、故に我在り」だが、「我が居なくなっても、存在はなくならない」ということ。

単純化すれば、哲学は「認識と存在」の学問。「存在の理由」を追及するのが目的である。
つまりHow to live in this world.ではなく、What is this world.を解説したい。



青山先生は、「スタニスラフスキーの演劇理論」が、「日本では誤訳されている」と、不満を露にする。
スタニスラフスキーは、「演技する自分を忘れて演技すること(没入)」は演技の理想ではなく、「演技においても、演技する自分を失わないこと」が最上の演技であるとした。

結局のところ、「近代主観主義」の日本の翻訳者が、「没入の演技」が最上であると、誤訳したのであろう。
しかし、そんなプロレタリア芸術の時代も終了した。

*

アクターズ・スチューディオは、「近代主観主義」に侵されていて、同様。「役になりきる」などというのは、「コギト(近代主観主義)」主義による、妄想・空想である。

マリリン・モンローは、そのために精神を病み、自殺したのではないか。
「役になりきる」といっても、歩いたり・飯を食ったりに、「個性になりきる」必要はない。



フランス現代思想でいえば、進化論以降のアカデミズムは、「西洋文明礼賛の物語」に過ぎず、一般的(通史的)な妥当性を持たない。

そこには、「進化論(近代主観主義)vs.文化相対主義」という対立構造がある。

*

それらの底には、陰謀論。イルミナティーの存在があるのだが、青山先生には、そこまでを論じる自由はないようだ。
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2015年12月24日

「荒木飛呂彦の漫画術」に…。

前の記事では貶していたが、悪い本ではない。

「はじめに」の章でトリュフォー著「映画術(ヒッチコックインタビュー)」を誉めている。
私は映画学校の卒業生であり、トリュフォーのファンであり、ヒッチコックも尊敬していたので、新刊時に購入したが、今は手元にない。
学生時代から今でも手元にあるのは、ロベール・ブレッソンの「シネマトグラフ覚書」。つまり、アフォリズム的な充実を、同著は持っていなかったことになる。
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2015年12月18日

黒澤明批判…。

娘に映画の古典を観ることを薦めている。

大衆娯楽としての映画は勿論、作家性の強い作品も同様におさえておかなければならない。

つまりは、洋画においては、
・ロベール・ブレッソン
・イングマール・ベルイマン
・フェデリコ・フェリーニ
・ブライアン・デ・パルマ
・デヴィッド・クローネンバーグ
…etc.

といったところか。
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2015年12月09日

ミーメーシス(模倣)と近代主観主義。

わかりやすい芸術論が少ないと思う。

放送大学の「美学・芸術論」の講義を見ているが、なかなか理解できないと思う。というか、生真面目に、アリストテレスの「詩学」などを読むと、混乱するばかりで、さらに分かりにくいと思う。

そこで簡単に以下に要約する。



啓蒙主義の時代以降の芸術は、「近代主観主義」に捉われているが、それが「普遍的な視点」ではない。

普遍的な視点とは、「芸術とはミーメーシス(模倣)」とするアリストテレスの考え方である。

アリストテレスは、「全能の神がつくったこの世界は、完全である」が、しかし、「現実は、偶然が左右・介入するので、完璧ではない」。それを補うのが、「現実を模倣(ミーメーシス)した芸術である」とた。




アリストテレスにおいて、芸術家の「主観」は存在してはならぬ。あるのは、「神」だけなのだから…。

一方、「近代主観主義」は、作家・個人の主観において創造されるものである。

ここが、大きな問題であり、近代商業主義において、製造者が主観的になれば、マーケットから遊離し、作品の価値は覚束ない。



さらにいうと、「進化論」において、「新しいもの」に価値が求められるのであって、「ミーメーシス(模倣)」という立場では、「新しいもの」に価値があるとは限らない。
その意味において、忠臣蔵や、ロミオとジュリエットが翻案されて、上演されることは、伝統の継承であって、「パクリ」と批判されることはない。

スタンダードを理解するためには、アリストテレスのミーメーシス(模倣)という概念を理解しなければならないのである。



私たちは、進化論やモダニズムの中で生きているが、クラッシック音楽では、19世紀の作曲家の作品を古臭いと批判しない。私たちは、自らの矛盾に気づかなければならないのである。
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2015年10月04日

芸術論とモダニズム

放送大学の「芸術と芸術史」をかいつまんで観ている。

その理由は、娘が海外旅行をした時に、楽しいため。あとは、芸術の話題は、その人に「深み」を感じさせるから…。
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2015年10月01日

朗読と演技(アフレコ・声優)の違い。

プロや指導者を目指す若い人たちに向けて書いている。
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2015年07月01日

比較芸術論。ポロック、オーネット・コールマン。

若い人たちは、相対的に、大系的に学ぶ機会が減っていると思う。

娘の友人がニューヨークに旅行して、メトロポリタン美術館で、ジャクソン・ポロックの作品に感動したという。

私は、その言葉を聞いて不可思議に思う。

何故、アクションペインティングが生まれたか、現代美術の流れを解説しないと、ポロックを理解できないのに…。

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2015年04月29日

小沢征爾氏は、ローカルヒーローである。

と、平成のクラシック音楽ファンは、認識すべきである。

平成の時代、私たちを気付くべきは、「タイム感」。
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2015年01月14日

ポートレート写真のプロのコツ

スナップ写真(ポーズもとらずに、日常での撮影)ではなく、「決め決め」で撮影する場合について解説する。
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2014年11月06日

椎名林檎の曲作りの秘訣は「主婦の感覚と一緒」。



・・・だそうである。

FM東京の番組では、以下だと


番組では、椎名が5年半ぶりにアルバムを発売することにも触れられ、住吉が「シビれる曲がいっぱい!」と絶賛すると、椎名は「アルバムに収録されていないシングル曲がたまっちゃったんで、そろそろアルバムも、というところから作り始めた」とコメント。住吉が椎名に曲作りの秘訣をたずねると、「主婦の感覚と一緒。冷蔵庫にアレとコレがあるから……、栄養バランスも考えるとこんな一皿ができそう、という発想から」と意外な答えが返ってきている。

http://www.rbbtoday.com/article/2014/10/31/124997.html


このサイトの記者は、どういう感性をしているのか、ほとほと理解にくるしむ。
記者は、隠喩を読み解いてはいけないのだろうか。
移動中の車で聴いて感動した私は、あっけにとられる。

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2014年10月02日

何故、面白くない映画やドラマが作られるのか…。

その理由は簡単である。

芸術に限らず、およそ制作物の作者は、制作を繰り返し行うことによって、プロ化する。

しかし、プロ化するとは、マニア化することであって、一般大衆の感覚とずれてしまう。

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2014年09月25日

推敲するのは間違い。

作文の仕方で、推敲するというのが一般的であり、これを否定する人はいないと思う。

しかし、作文力をあげるために、推敲はよくない。
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2014年05月19日

自然倍音のこと。

自然倍音とは、弦を弾いた時に同時に出る音のことである。

つまりは、「弦の長さの音」ばかりでなく、「弦の長さ」のその整数分の1の「弦の長さ」によって発生するの音が同時に響いているということ。

ギターで、ハーモニクスという手法があるが、それ。

具体的にいうと、基音のオクターブ上の音、その上の5度、2オクターブ上の音、その上の長3度、5度、短7度、3オクターブと続く…。



そうか…。

だから、ベース音は、2オクターブ下だと気持ちがいいのか。…と。

さらにいえば、ベース音がないと、コード音の収まりが悪い。のは、こういう理屈があったのか。


グラフ用紙のように、薄く線が引かれていると、上に書く線が、正確になる。確信的に聴こえる。
そんなイメージかな。



とっとと教えてくれればいいものを…。

と思うが、そんなことを、誰も気づかないのが、音楽界の不思議なところか…。

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2014年02月19日

表象について…。

2012年夏、NHKのフランス語講座で知られるパトリス氏と立ち話をしたとき、「現代フランス思想を日本人学者は難しく説明し過ぎる」と嘆いていた。

1980年代だろうか、蓮實重彦なる人が、「表象」などという言葉を持ち出し、表層批評を言い出すから、世の中には、「表層」と「表象」を混同している人が多いのではないか…。つか、私は、そのように誤解してきた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%AF%A6%E9%87%8D%E5%BD%A6
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posted by スポンタ at 19:41| 東京 ☀| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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