2018年06月27日

「日本のドラマ」論。


私が二十歳前後の頃、つまりは1980年前後の日本ドラマの傑作を3シリーズ見た。


・「前略、おふくろ様」
・・・倉本聰脚本、第一シリーズ、第二シリーズ。計20数本。

・「阿修羅のごと」
・・・向田邦子脚本、第一シリーズ、第二シリーズ、計6本。

・「夢千代日記」
・・・早坂暁脚本、第一シリーズ、第二シリーズ、計10本。


驚くべきことは、ドラマの本質を「人間関係の〈対立〉=アンタゴニスト」とするなら、これらは「ドラマではない」。
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2018年06月26日

「夢千代日記」をひさしぶりに観る。

最近の作品では、「ダメな演技」が目立つ吉永小百合嬢だが、この作品では何の問題もない。


小百合嬢の「ダメな演技」の理由は、「朗読の癖が出て、セリフに感情を込めてしまう」から。
「理想的な演技」とは、「セリフ・感情・動作」のそれぞれを「孤立的に扱うこと(アイソレーション)」である。

※ 朗読では、朗読者は「(すべてを知っている)神の立場」だから、「感情とセリフが同時に発生」しても、違和感はない。

だが、人間は、「感情が、セリフになる」。

または、「セリフが、感情を盛り上げる」。「感情とセリフが、ヨーイドンでスタートすること」はない。

だから、そういう演技を観ると、観客は違和感を感じる
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2018年06月10日

向田邦子「阿修羅のごとく」。


ドラマの傑作のひとつであることを、誰も否定できない。初オンエアから、40年ほど経って、再度、真剣に観た。


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2018年06月07日

フジコ・ヘミングは「げてもの」である。


クラシカ・ジャパンの無料放送で、フジコ・ヘミングのインタビューを観た。


大衆の圧倒的な人気を持ちつつも、音楽界のメインストリームからは無視されている彼女の本質が、ようやく理解できた。

彼女は「歌うこと」を最大限の目標にしてピアノを弾く。

つまりは、「タイム感をまったく無視した演奏」。これが、彼女の演奏の分類であり、評価である
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2018年05月20日

ヌードの美術展(横浜美術館)


ロダンの「接吻」が来ているというので、見に行こうかと思い娘を誘ったが、「体調不良」で延期になった。
そこで、ヌード(象徴の媒体としての裸体)とネイクド(単なる裸体)について、短く解説した。

それは、

・形態論

・意味論

・擬人化

・機能論

・中世のキリスト教的世界

・グリム童話(民話の機能)

・ギリシア文化(神話の機能)

・エロとしての実用性

について。

以下に、概説する。
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2018年05月13日

データベースには〈断片化〉が重要。(君は海を見たか)


倉本聰・シナリオの「前略おふくろ様」を観てきた。

第一シリーズ、第二シリーズを続けてだから、50本ほどを毎週月曜日に観た。
録画予約をそのままにしていたら、録画されたのは、「君は海を見たか」。シナリオは同じく、倉本聰である。


物語は、仕事人間の父親(建設会社)の息子が不治の病になり、「海を見せていなかった」ことに気づいて煩悶する。
少年の不治の病が物語の主軸になるドラマなんて見たくもない。
そう感じた私は、オンエア当時見ていない。


ワーカーホリックな父親はショーケンこと、萩原健一。
妹が伊藤欄。
少年の母は亡くなっており、継母になる女性が関根恵子(現姓・高橋)。ショーケンの上司に、梅宮辰夫がいたり、田中邦衛が出演していたり、豪華映画俳優が多く出演していた。
演出は「北の国から」の杉田氏。
制作はフジテレビである。
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2018年05月09日

昭和の傑作ドラマ「前略おふくろ様」を分析する。 (その2)


印象批評しても意味がないので、「形式批評」する。

※ 形式批評: 評価基準を明確にして批評すること。モダニズムの時代は、「主観による、思索批評・印象批評」が尊ばれたが、表象論的には「形式批評」が求めれる。

※ 表象論:「作品が提示しているもの(表象)」と「鑑賞者由来のもの」を分けて考察する姿勢。
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2018年05月08日

昭和の傑作ドラマ「前略おふくろ様」を分析する。 (その1)

専門的な議論ですので、ご興味がない方は、スルーしてください。

・今のドラマが「何を失っているのか」。

・日本の「ドラマの伝統」は何か。

・どうすれば「日本のドラマ」は、もっと面白くなるのか。

を知りたい人は、この考察を読んでほしい。
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2018年03月30日

映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」の評価。

日本の人気アニメのハリウッド実写版で、主演はスカーレット・ヨハンソン。競演はビートたけしである。



このブログの閲覧者は知っているかもしれないが、以下に確認する。



【ドラマ・映画の評価基準】

○ コンポジション(構図)

・超目標
・主体性
・対立(葛藤・人間関係)

○ コンストラクション(構成)

・進行感
・焦燥感
・喪失感

※ 例外

・・叙事詩的作品。(観客の感情移入を生まない)
・・各種トレース作品。(トレース元を知らない観客には魅力がない)


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2018年01月14日

野村萬斎は、「古典は新しい」と言うが・・・。

狂言は、伝統芸能である。
つまり、「伝統を守る」ことで、芸能が成立している。

それは、「過去から未来に、線がつながっている」ことを意味するから、「(静止した)進化論」ともいえる。




萬斎氏が言うのは、「逆・進化論」ともいえるが、それを可能にしているのは、ポストモダンの思想である。

「進化論」ではなく、「文化相対主義」。−−−いままでの「表現手法」のすべては〈相対化〉され、客観的に捉えられる。




とはいえ、そのことを「新しい」と表現した萬斎氏は、ポストモダンになりきれない「モダンなアーティスト」ということになる。

・・・残念。
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2017年12月21日

黒澤明の映画は、日本人には「深く」感じられない。


世界的な評価はともかく、日本人には、クロサワ映画は「深みに欠ける」「劇画調」と批判される。



昨今の日本映画は混迷している。はっきりいって「おもしろくない」。
私は、その理由を以下に形容する。
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2017年10月25日

公開から一年経って映画「君の名は。」を評価・吟味する。

メディアゴン、没原稿、その4。

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昨年最大のヒット映画「君の名は。」に対する評価は真っ二つに分かれていた。

「実景をトレースしたアニメーションが素晴らしい」というのが絶賛派の主たる理由。
だが、本来吟味されるべきは、〈美術〉ではなく物語。主人公に〈感情移入〉できるかどうかが、映画の品質を決定する。


黒沢明監督が晩年に創作した大作時代劇は「衣装が素晴らしい」と評価された。
そのことは、それらの作品が「七人の侍」など黒沢作品の代表作には及ばないことの表現でもある。
でなければ、主演の仲代建矢は、三船敏郎と同様な国際俳優になっているはず。
上質な映画は主演俳優を輝かせるが、「影武者」「乱」は必ずしもそうではなかった。



観客が、主人公に〈感情移入〉できるかどうかが、映画の最大のチェックポイントである。

料理であれば、〈感情移入〉は味やダシに当たる。
食レポで、「歯ごたえがいいですね」「好きな人には堪らないですね」などと発言されたら、「不味い」の婉曲表現である。
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2017年10月18日

菊池成孔・町山智浩両氏の論争でヒットした映画「セッション」。

没原稿、その3

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春先の公開作「LA.LA.LAND」が有料放送でオンエアされるタイミングもあるだろう。劇場公開から数年経ち、同じ監督の映画「セッション」はCATVで盛んに放映されている。

だが公開当時、ジャズミュージシャンの菊池成孔氏とアメリカ在住の映画レポーター・町山智浩氏の論争があったことは、忘れ去れているに違いない。
論争の詳細はウェブで調べれば分かることだが、ジャズミュージシャンの菊池氏は「この作品はダメ」といい、アメリカ映画を紹介してきた町山氏は「このような低予算作品を公開前に貶すとは・・・」というもの。かなり感情的だった印象がある。
論争は、菊池氏と町山氏の〈主観〉と〈主観〉のぶつかり合いであって、作品の吟味が行われていたかは疑わしい。

そこで改めて作品の評価・吟味を行いたい。
といっても、新たに私の〈主観〉を足しても、混乱が深まるだけなので、〈形式批評〉を行いたい。〈形式批評〉とは、評価基準をもとに作品を評価・吟味することである。
今回は〈評価基準〉として、「17世紀フランス古典主義演劇理論」を用いる。


【17世紀フランス古典主義演劇理論】

1、自然(この世界の本質)のミーメーシス(模倣・再現)。
2、過去の傑作のさらにインパクトを強化したミーメーシス。
3、本当らしさ。
4、適合性(内的適合性・外的適合性)
5、驚異的であること。
6、筋・時間・場所に関する単一統一性。


上記は、放送大学の青山昌文教授(美学・芸術学)の講義をまとめたもの。私はモリエールの時代の演劇に詳しくはない。当時の演劇理論を現代の映画・ドラマの評価に流用すると極めて有用だと感じただけ。私は利用者であって、研究者ではない。
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2017年10月09日

ジョン・ケージの「4分33秒」は間違っている。

西洋音楽の本質は、観客の生理の中でのタイム感とハーモニー感の残像を如何に刺激していくか。だと結論した。

それからいうと、クラッシックの楽曲名に、調性がついていたり、テンポがそのままタイトルになっているのは、音楽を聴く前に、それを知っていることが、鑑賞の生理の起点になっていること。の証明だろう。

つまり、ラルゴという曲名は、ゆったりした曲だな。
と、プログラムを見た時に、感覚する。

イ短調と、へ長調では、楽曲が帰って行く場所が異なるし、旋律も異なる。
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2017年10月05日

茶の湯とは何か。映画「利休にたずねよ」を観た。

利休の美学が描かれているのかと思って観たが、その期待は裏切られた。

なんと、「半島讃美」映画。

びっくり(・。・)




私の生涯のテーマは、「美」であり「芸術」である。

私の現時点での結論は以下である。

【西洋の芸術: 「肉体の美」を中心にした展開。】


※ 彼らは美人を観て、「美とは何か」を思索した。

・・ミケランジェロにおける男性の肉体表現。
・・リューベンスなどにおける女性(ヌード)の肉体表現。

※ 彼らの「美意識」では、「美の絶対」or「主観による美」かが問題になる。

※ 肉体が芸術の起点にあるため、芸術は性欲と密接につながっている。エロスの表現は芸術において頻繁に行われる。


【日本の芸術: 「もののあわれ」。一瞬にして消え去るものが「美」である。(はかなさ)】

※ 日本人は自然を観て、「美とは何か」を思索した。

・・季節を愛でる美意識。
・・「豪華絢爛」「侘び寂び」というふたつの美意識。

※ 日本人の「美意識」では、「主観性(個による感覚差)」はあまり問題にならない。それは、「誰もが老い、死んでいくから」であろう。

※ 日本の芸術は西洋とは異なり、性欲から遠いところにある。自然や風景を描くことが多く、〈儚さ〉はタナトス(死)を暗示している。続きを読む
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2017年09月24日

イーブン、シャッフル、レイドバック…。

ぱんだウインドオーケストラの皆さんへ。

スティッキーな執念ではなく、ホスピタリティーとやさしさで、この記事を書いていることを理解してほしい。

つーことで、より深い理解のために、このビデオを観てほしい。



ジャズギタリストの宇田大志 さんがアップしたYouTubeである。続きを読む
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2017年09月03日

映画・ドラマの吟味術。

同サイトから、ここに来る人がいるのかは分からないが、私は、形式批評(評価基準を明確にした批評)を目指しているので、映画・ドラマの品質の吟味方法について、以下に概説する。
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2017年08月28日

ディドロの芸術論。

私は、放送大学の青山昌文教授(美学・芸術学)のファンである。

青山教授が敬愛するディドロは、フランス啓蒙時代の哲学者・美学者である。
ディドロは「関係性の美学」を提唱し、「私が存在しようが、しまいが、ルーブル宮殿の美しさは変わらない」と、ドイツ観念論的な「主観主義の美学」を否定した。


クリティカルリーディングを専らとする私だが、青山教授のファンなので、その話を信じてしまった。

しかし、そう単純ではない・・・。
こんなことを考えた。



アルプスの少女ハイジが、ルーブル宮殿を観たらどうだろう。果たして「美しい」と言うだろうか。

原作のハイジは分からないが、宮崎アニメの主人公なら、「こんな建物より、アルムの山々のほうが素晴らしい」と言うに違いない。
そもそもバロック様式は「ゆがんだ真珠」という意味であり、過度の装飾を意味する。

フロイト的な「個人」主義な心理学ではなく、ユング的な「集団」主義的な心理学でなければ、「私が存在しようがしまいが、ルーブル宮殿の美しさは変わらない」とはならない。




そんな反論を青山教授にぶつけてみたいが、無名な私では無理。残念である。
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2017年08月13日

狂詩曲とは叙事詩であった。

叙事詩と叙情詩の違いについて、深く考えている。

ドラマは叙情詩であり、歴史は叙事詩である。

小説では「心の声」を作品の中に存在できるが、ドラマでは「ナレーション」は〈説明〉であり、タブー。つまり、向田邦子作品は、文学とドラマの折衷物であり、ドラマのタブーを犯している。
倉本聰氏の作品も、主人公の心の声を多用しているから同様である。
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2017年07月22日

日本のジャズ終了のお知らせ。

JUJU嬢が、ブルーノートの音楽祭に初めて出演することになったのだとか。

有名ジャズシンガーの彼女が出演していなかったのは驚きだが、逆にいえば、彼女が出演することによって、日本のジャズは完全に終了したことになる。

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