2019年09月15日

岩下・ハコちゃんが「写楽」を愛でる。


テレビ番組で岩下尚史氏が、浮世絵画家・写楽がヨーロッパで絶賛された訳について、解説していた。


歌舞伎役者の肖像画の大顔で描かれたのは、

・「近代的孤独」ではない。

・「移ろうもの」の寂しさ。

通じて、「俺も、お前も寂しいよな」と。

当然である。

・日本芸術が表現するのは「無常・もののあわれ」。個人の感情(孤独感)ではない。
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2019年09月12日

「青春舞台」(高校演劇部・全国大会)の危うさ。

高校生が全国大会で優勝すれば、「プロも夢でない」と考えるのは道理。

野球では、甲子園の優勝投手・準優勝投手が、プロの世界でも活躍しているから、そう思うのも無理はない。

だが、演劇はどうか・・・。

テレビで「青春舞台」(高校演劇部全国大会)の優秀校の映像を見たが、そこに何があるのか。

「戯曲・脚本」はともかく、舞台装置に象徴される「演出」はともかく、高校生たちの「演技」に、魅力を感じることは希有だと感じられる。
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2019年08月31日

室町幕府の美術政策。

少し時が経ってしまったが、「N国」の標的である公共放送のEテレ「日曜美術館」で「よみがえる美の力。室町幕府の文化戦略」の回を観た。


日本の美術の歴史を考える場合、ひとつの起点として、金閣寺の北山文化。銀閣寺の東山文化に代表される室町時代が重要という説に、なんとなく同意している。

つか、西洋において、芸術が「社会の中心に存在する」のに、日本においては「そうではない」という認識が強いが、その例外ということになる。

古代ギリシアにおいて、「ギリシア演劇」「ギリシア彫刻」は「国民を統治するため・国家の求心力を強めるためのツール」として機能してきた。

だが、平安時代の「絵巻物」などは国家体制とは大きく隔たっている。
狩野派の絵画は権力者たちに重用されたが、それが「国家統治」に使われたことはないだろう。
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2019年08月04日

津田大介氏の「表現の自由・その後」展に思う。

彼の目指すところや、ジャンルは分からないが、10年以上前、シンポジウムなどに出かけると、よく見かけたのを覚えている。

ジャーナリスト系の活動をしているから、「表現の自由」について、直感的なものがあり、今回の企画を「センセーショナリズム」と思い、企画してしまったのかもしれぬ。

つか、「あいちトリエンナーレ」という美術系・芸術系のイベントの一画で起きたことだが、そもそも、「芸術とは何か?」を誰も定義しないからいけない。

先日、病院の待合室にあった週刊文春の漫画(作者は忘れたが、カラテカのようなタッチだった)を見ていたら、美術展にいった母親が「意味が分からない」と作品を前に首をかしげると、娘と思しきキャラクターが「芸術なんだから、自由に鑑賞すればいいんじゃない」と答えるのがあった。

本質的な定義をすれば、

・この世界の本質を表現するのが、芸術。

・意味を表現するのが、デザイン。

つまりは、母はデザインだと思って芸術作品を鑑賞し、娘は「自由に・・・」などと訳の分からないことを言う。

ミメーシス芸術論に従えば、「芸術作品は、過去の傑作の歴史の上に成り立っている」。

「自由に鑑賞すればよい」というのは、「小学生の絵画発表会」に相応しいセリフである。
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2019年07月14日

あいだみつを芸術の捉え方。


フジテレビの「テレビ寺小屋」に詩人&書家・あいだみつを氏のご子息が出演していた。ご子息氏は、父君の記念館の館長である。


・書とは、裸で向き合わなければならない。

・文字ではなく、内容に注目してもらうために、あの書体になんた。
(眼で、読む人の心を開く)

・仕事場は別棟にあり、詩作・書の時は、怖くて近づけなかった。

・見る人の鏡になる書。

・見る人を裸にする書。

が、ご子息の父親の芸術に関する随想。
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2019年05月29日

明確な「定義」が不可欠。歌舞伎&落語のサバイバルとジャズの低迷。


・「芸術とは何か」を追求することが、芸術家の営みである。


と、教養番組での指摘があった。


少年時代のspontaも、青年時代のspontaも、そのようなことが「芸術の本質」であると理解していた。


だが、30代も過ぎた頃、


・この世界の本質を表現することが、芸術の目的である。


と結論する。


そう結論・達観してしまえば、「芸術論」はひとつ先に進む。




そもそも、「語句の定義」をせぬまま、「議論を進める」ことは無為である。
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2019年05月26日

モダニズム的な「主観主義」の終焉、と「ポストモダン」。


モダニズム的な芸術観では、個性は「何かに縛られてはならぬ」。「個人の直感」こそ、尊いもの。という妄念がある。

しかし、モダニズム的な文脈においてさえ、それは間違っている。

なぜなら、モダニズムとは、「個人の主観」と「進化論」の二枚重ねであり、「進化論」とは、「個性の発露において、新しいものを創造すること」。だが、「新しい」とは、過去の作品との対照によって発生する。

私は、絵画教室を営むような一丁前の美術関係者を気取る御仁が、シャガールの絵を愛でるのを軽蔑する。
そのような即物的な「心理主義」で、シャガールの芸術が生まれたのではない。

彼が評価される理由は、パリのオペラ座の天井画に採用されたこと。それは、「天使が空中を舞う」ような伝統的な天井画に取って代わり採用されたのであって、それは、過去の作品群との対照において評価されたことを意味する。
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2019年05月13日

ミメーシスは芸術の基本である。


不易流行という言葉がある。

ウェブによると以下。

いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。蕉風俳諧しょうふうはいかいの理念の一つ。解釈には諸説ある。▽「不易」はいつまでも変わらないこと。「流行」は時代々々に応じて変化すること。 (三省堂)

蕉風しょうふう俳諧はいかい理念の一つ。解釈には諸説ある。一説に、俳諧には不易(永遠に変わらぬ本質的な感動)と流行(ときどき新味を求めて移り変わるもの)とがあるが、不易の中に流行を取り入れていくことが不易の本質であり、また、そのようにして流行が永遠性を獲得したものが不易であるから、不易と流行は同一であると考えるのが俳諧の根幹である、とする考え方。(学研)
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2019年05月10日

岡本太郎氏を批判する。(縄文論)



生きていた時に非難・批判されていた人・ものが、時を経て、評価されることがある。

昭和の時代、東京タワーの評判は悪かったが、平成の時代になると、昭和のノスタルジー(懐古趣味)にともなって、評価されるようになった。

spontaは、最近でも見上げることがあるが、あのデザインは電波塔以外の何物でもない。
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2019年01月22日

詩的とは何か。鑑賞とは何か。

 
何度か書いていることかもしれぬ。

詩的 vs. 説明的

である。
とすれば、「そのまんまを言わないこと」が、詩的となる。
だが、spontaとしては、

・「分かっているのに、言わない」のは、意地悪。
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2018年12月09日

画家・ルーベンスの価値・意味・・・。


フェルメール展が話題だが、ルーベンスの展覧会もやっているという。


テレビでフェルメールの謎を話題に番組をやっていたが、ルーベンスの解説も・・・。ルーベンスの意味・価値を伝えているか、ちと興味があったが・・・、

「フランダースの犬」の主人公・ネロが、ルーベンスの絵を見ようとして、見れなくて、昇天した。

そして、絵のサイズが大きいこと。

直筆・工房作品があり、多作だったこと。

こってりとした昔ながらのフランス料理。

そんな形容ぐらい。


それらは「間違っていない」にしても、「何故、ルーベンスを見なければならぬか?」の答えにはならぬ。

spontaは「本質」を短く表現すべきと考えるが、それは以下。


ルーベンスはバロック絵画である。バロックとは、「ゆがんだ真珠(グロテスクな過剰な装飾)」という意味。
印象派は、「ルーベンスの絵画への反発」から生まれたといっても過言ではない。


印象派の対極にあるのが、ルーベンスである。

これを理解しないと、美術史ばかりか「近代」を理解できぬ。

ルコルビジェの機能主義の建築の対極にあるのが、ゴシック建築。

バロック建築の壮大さを、家庭的にすることで和らげたのがロココ建築。

ロココ芸術の音楽版がモーツアルト。対するバロック音楽は様式主義(古典派・ロマン派と比べれば・・・)。

・・・な感じ。






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2018年11月16日

草間弥生の贋作展が開催できる。・・・とは。


私は、岡本太郎を評価しない。その理由は、作品の筆のタッチに「作者の感性を感じない」から。

「筆のタッチ」は、芸術家の「瞬間のホトバシリ(一期一会)」。

それが感じられないなら、「作品」はいつでも、誰でも創作できる。作家は「コンセプター」「デザイナー」でしかない。



伝統的な西洋絵画(泰西名画)は、作品から「作者の筆の痕跡を消す」ことが命題だった。

それが、印象派以降、大きく変化する。

ルノアール、ゴッホ、セザンヌが評価されるのは、「作者のオリジナルな(絵筆の)タッチ」である。
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2018年11月11日

アラベスクとは何か・・・。



多くの人が、アラベスクとは「アラビア風」という意味。てなところで、思考停止に陥っていると思う。

アラベスク、アラビア風とは何か−−−。言われてみれば・知ってしまえば簡単。だけど、言われないと分からない。


アラベスク様式の特徴は、「余白がない」。「余白が埋められている」感じ。

対照的なのは、有田焼の「柿右衛門の作品」のような、「大胆に余白のあるもの」。


そのように理解できれば、モーツアルトの「トルコ行進曲」は分かりやすい。
アラベスクは「余白のない」だから、音符が沢山つまっていて、余白がないことに気がつく。
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2018年09月04日

上野の西洋美術館の学芸員を批判する。



爆笑問題が出演する番組で、上野の西洋美術館を取材していた。

出演した学芸員は、ミロの作品を提示しながら、「自由に鑑賞してもらえば良い」と発言した。
作品に描かれた「赤い丸」の意味は、鑑賞者にゆだねられると・・・。

spontaは思う。

専門家が「いい加減なことを言う」から、困る。

構造主義的にいえば、

作品は、「シニフィアン」。つまりは、「意味を託されたもの」であり、
それに、作者は「シニフィアン(意味)」を託す。

たとえば、日本の国旗「日の丸」。昔、西洋人が「白いナプキンに付いた経血」と解釈し、国辱的と報道されたことがあったが、それも許される。
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2018年06月20日

ルーブル美術館展のキッャチは間違っている。


「肖像芸術−−−人は人をどう表現してきたか」というタイトルで、ルーブル美術館展の宣伝がなされているが、テーマの立て方が間違っている。
芸術鑑賞において重要なことは、

・how(どうやったか)ではなく、
・what(何をするため)が

  本質である。


「どうやって殺したか」よりも、「何故、殺したか」が重要と、殺人事件をアナロジー(類推)すれば、納得していただけるだろうか・・・。
「毒殺か、刺殺か・・・」なんてことより、「殺人の動機(殺意)」が重要なのだ。


美術展の学芸員は、何を考えているのか・・・。「芸術」のことが全く分かっていない。
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2018年06月15日

香取慎吾様、アートって「存在」を表現すること。


元SMAPの香取君が、ルーブル美術館で展覧会をする。

そして、自分のアートが「ルーブルから始まる」と、感慨に浸っている。
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2018年05月20日

ヌードの美術展(横浜美術館)


ロダンの「接吻」が来ているというので、見に行こうかと思い娘を誘ったが、「体調不良」で延期になった。
そこで、ヌード(象徴の媒体としての裸体)とネイクド(単なる裸体)について、短く解説した。

それは、

・形態論

・意味論

・擬人化

・機能論

・中世のキリスト教的世界

・グリム童話(民話の機能)

・ギリシア文化(神話の機能)

・エロとしての実用性

について。

以下に、概説する。
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2018年05月13日

データベースには〈断片化〉が重要。(君は海を見たか)


倉本聰・シナリオの「前略おふくろ様」を観てきた。

第一シリーズ、第二シリーズを続けてだから、50本ほどを毎週月曜日に観た。
録画予約をそのままにしていたら、録画されたのは、「君は海を見たか」。シナリオは同じく、倉本聰である。


物語は、仕事人間の父親(建設会社)の息子が不治の病になり、「海を見せていなかった」ことに気づいて煩悶する。
少年の不治の病が物語の主軸になるドラマなんて見たくもない。
そう感じた私は、オンエア当時見ていない。


ワーカーホリックな父親はショーケンこと、萩原健一。
妹が伊藤欄。
少年の母は亡くなっており、継母になる女性が関根恵子(現姓・高橋)。ショーケンの上司に、梅宮辰夫がいたり、田中邦衛が出演していたり、豪華映画俳優が多く出演していた。
演出は「北の国から」の杉田氏。
制作はフジテレビである。
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2018年03月25日

パリ・オペラ座(ガルニエ)は観劇のために設計されていない。

ことを、日本人の多くは知らない。


※ パリには、オペラ劇場がふたつある。ひとつはバスチーユ広場に面した近代的な劇場。もうひとつが、古典的な建築でミュージカル「オペラ座の怪人」の舞台にもなったガルニエである。




芸術学の青山昌文教授は、当然のように「ガルニエは馬蹄形劇場である」と語った。


総括すると以下になる。




古代ギリシアの演劇は、国家の一体感を醸成するためのイベント。




ガルニエ(パリ・オペラ座)は、王族や貴族たちが自らの存在を誇る場所。「社交場」だった。

つまり、舞台は「添え物」。舞台のすぐ近くの2階席からは、「王族たち
ロイヤルボックス」はよく見えるが、舞台は「一部分しか見えない」。




そのような劇場に憤慨し、舞台を主役にした劇場を作ったのが音楽家・ワーグナー。


つくられたのはバイロイト劇場である。




劇場は、「演目を観るため」に存在する。そんな当然なことも、否定される。


自分の属する文化を一般化・普遍化して考えるのは危険である。


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2018年01月14日

野村萬斎は、「古典は新しい」と言うが・・・。

狂言は、伝統芸能である。
つまり、「伝統を守る」ことで、芸能が成立している。

それは、「過去から未来に、線がつながっている」ことを意味するから、「(静止した)進化論」ともいえる。




萬斎氏が言うのは、「逆・進化論」ともいえるが、それを可能にしているのは、ポストモダンの思想である。

「進化論」ではなく、「文化相対主義」。−−−いままでの「表現手法」のすべては〈相対化〉され、客観的に捉えられる。




とはいえ、そのことを「新しい」と表現した萬斎氏は、ポストモダンになりきれない「モダンなアーティスト」ということになる。

・・・残念。
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