2007年12月19日

プロレタリア文学を2007年の中学生に教える日本の教育ってどうよ。

KYではない。PKが何の略か。といえば、「パンツ食い込む」の略で中学校のクラスで流行っているのだという。(笑)わが娘は、カツーンが好きで、テレビドラマが好きで、「恋空」をクラスて廻し読みしている中学一年生女子。
そんな彼女が、国語で低迷している。面白くない。と言う。そこで私も教科書を読んでみた。たしかに面白くない。

ここに、学校図書・中学校国語1の110ページに載っている詩を紹介する。作者は、1926年の生まれだという。

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2007年12月18日

「アメリカの鏡・日本」の後の日本。GHQの思想に洗脳された世代…。

このブログの論旨の上で私が何を指摘しているか、理解できるだろうか。

GHQは占領している自分達の都合をよくするため、日本民族のコミュニティーを抹殺しようとした。結果、被虐史観・人権・自我などという概念を持ち出した。つまり、戦争に負けても日本民族のコミュニティーは厳然として存在し、そのためのプロパガンダをせざるをえなかった。
当時の大人たちは、それらが虚論。アメリカ人の自己都合によるものだと理解し、処世の上で、それにしたがった。だが、占領下の時代にこどもだった世代は、それを鵜呑みにした。もしくは、恐怖から洗脳されてしまったのである。

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2007年12月16日

新しい国語教科書も必要である。(その2)

GHQは、アメリカの日本占領を肯定するための言論を紡いだ。
それは、アメリカの世界侵略は正義であり、アメリカの原子爆弾投下は正義である。というもの。
戦争や侵略の実体は殆ど同じだから、日本民族の伝統や文化を排撃することで、アメリカは自国の占領を肯定・是認させなければならなかった。

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posted by スポンタ at 06:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

新しい国語教科書も必要である。


西尾幹ニ氏は「新しい歴史教科書」をつくった。西尾氏とは一度もお会いしたことはないが、私の恩人の友人であり、いつかお会いすることもあると思う。

「新しい歴史教科書」の問題は、その記述内容ではなく、何故、そのような教科書をつくらなければならなかったか。または、何故、戦後の歴史教科書が歪なものになってしまったか。そのことを明確にする必要があると思っている。

すべては、ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」をお読みになれば分かることである。

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2007年12月14日

SNSとは、一神教的ウェブ時代の終焉のエピソードである。

理解してもらえるだろうか。

平等という概念は、終戦後アメリカからやってきた概念なのだ。
平等とは単一概念で個を縛ることであり、そこにこそ格差が生まれるのだ。

SNSとはウェブ全体という母集合の中に部分集合をつくることであり、ウェブの中に母集合とは別の規範で運営されるセグメントをつくること。

いままで、ウェブはフラットな概念に牛耳られていたから、格差が生まれる。
だが、今後のウェブは複雑化するから、格差などという単一な尺度で評価することが無価値になってくる。


複雑系:complexityなどという語が流行るのも、実は、価値観の細分化に抵抗する一神教的伝統ではないだろうか…。

*

トーマス・フリードマンが「フラット化する世界」を書いた。それを評価する人達が欧米にいるのはいい。だが、多神教的文化の中にいる日本人が、それを評価する時代は終わりつつある。もし、フラットを奉じる日本人の多くは、学校で勉強したことを疑わなかった人達。インストールされたままの一切のアップデイトがなされていない…。

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posted by スポンタ at 06:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月13日

マクルーハン&グレン・グールド



それが何を想起させるかといえば、グレングールドは、コンサートとレコーディングという極端なふたつのメディアしか選択肢として持たなかったということである。
それは、大衆と個というふたつの視点しか持たないマクルーハンと同じ浅薄さを持っている。と私には思えてくる。

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posted by スポンタ at 07:45| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

マクルーハンはウェブに援用できぬ。

さて、マクルーハンについて、進歩派のテレビ人はマクルーハンがお好きなようだ。だが、マクルーハンはテレビの援用には役立ったようだが、ウェブにはまったく役に立たぬ。

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posted by スポンタ at 07:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

わだばウェブ時代のマクルーハンになる。


夏、共著本ながら、歌川令三氏の計らいで、「サイバージャーナリズム論」を出版できた。その後、技術評論社の編集者氏とのやりとりがあったが、出版が白紙に戻っている。その後、実装力と具体力に欠けると思い、あるご縁をキッカケに、SIerに職を得ている。SIerで進めているのは、放送と通信の融合。続きを読む
posted by スポンタ at 07:31| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月01日

マクルーハンを越えて。集合的コミュニケーション論:01

さて、私の職場の隣の席に座っているのは大学を出たての若者で、専攻は言語学だという。仕事にさしつかえない程度に断片的に彼と語るのだが、アカデミズムというものが仄見えて面白い。

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posted by スポンタ at 08:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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