2018年06月06日

「奇蹟がくれた数式」で知るインドの数学者・ラマヌジャン。


インドの数学者であり、彼が提示した数式は、ブラックホールの研究や、インターネットのサービスに役立っているという。


ラマルジャンは、(本人の言葉では)インドの神からのお告げで公式を編み出したというが、他人に言わせると、「直感と帰納法」による。


インドからの(公式が書かれた)手紙を読み、彼の才能を見出し、彼を招聘したケンブリッジ大学のハーディー教授は、「このまま発表したら、きちがいと思われるだけだ」と、彼に告げ、「証明の必要性」を説く。
だが、その一方で、「証明に時間を費やすことは、彼の個性をつぶしてしまう」と、自ら彼の公式を証明していく。

※ 彼の死後、世界中の数学者が「彼の数式を証明して」いき、すべてが証明し終わったのは1990年頃。
彼がインドから持ってきた公式の数は3000ほど。その1/3は、すでに知られているものや、とるに足らないものだったというが、2/3は、「彼にしか到達できないオリジナルで、価値のあるもの」だとか。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月04日

包茎治療と脱毛処理という「妄想産業」。


CATVで、Adult Videoの広報番組の再放送を観ているが、「プレゼントの紙包みを開くような感じ」がして、「包茎」に嫌悪感はないという女性の意見が紹介されていた。


ならば、わざわざ「包茎治療」は必要ない。




片や、女性の「陰毛の永久脱毛治療」。 −−−脇毛の脱毛は一般的だが、陰毛はどうか。


とある女性タレントが「陰毛の永久脱毛処理」をしたが、結婚してみると、夫から「落胆された」と白状する。

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月31日

「アト・ア・グランス性(ちら見性)」の重要性。




アト・ア・グランスとは、「ちら見」。ちらっと見る。一瞥できることである。




私はブログを書いているが、twitterに比べると「アト・ア・グランス性」は低い。


同様に、2時間の映画やテレビ番組に比べ、Youtubeの動画の「アト・ア・グランス性」が高い。




インターネットで、まとめサイトが見られる今、「オリジナルにも、〈ちら見性〉が求められる。


視聴者にとって、「閲覧のコストパフォーマンス(情報の価値/時間)」は重要である。



続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月30日

「いじめ」対策で取り組まれない「受け手の感受性の〈鈍化〉」。



「いじめ」撲滅に、教育界のみならず、行政、マスコミが取り組んでいるが、まったくもって、説得力のない施策ばかりで、信じられない。


まず、やるべきことは、




「いじめ」の実際を、


・「(加害者が)実際に行ったこと(行為 + 言葉)」と


・「(被害者の)精神的な被害(受け取ったもの)(肉体的被害 + 精神的被害)」を


切り分けること。




この分析は、フランス現代思想の〈表象〉理論に同じである。





〈表象〉とは以下。


モダニズムの文芸批評では、「思索批評」が最上とされた。つまり、「鑑賞者の主観」こそ素晴らしい。と。


だが、「鑑賞者の主観」は「作品」には関係ない。


作品は、「作品に書かれていること」で評価すべき。それが〈表象〉の方法論。




続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月29日

「人格」は、いかに形成されるか・・・。


娘が中学2年。

英語スピーチコンテストのために、原稿をつくり、英訳をした。目標が「全国大会出場」だったので、父親の私が主導権をとって、作文・英文化した。

監修してもらおうと、公立中学の英語教師に見せると、「親の言いなり」と批判された。

すると娘は、「こどもは親の影響下で育っており、自分の意見などありえない」と反駁した。担任教師に向かって、そのまま意見を述べたとは思わないが、娘は私にそう明言した。


私の指導プロセスとしては、「自由に作文」させて、それを「修正」して、「完成形」に近づけていく。というものだったが、あまりに「時間がかかった」ので、少しすると、私が「完成形」を提示して、その「構造」や「作成プロセス」を教えるというかたちになった。

作業は、ゴールデンウィーク明けから始まり、担任教師に監修を求めたのは9月。5分ほどの英文を作成するのに、4ヶ月ほどかかった。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

演奏時に、「身体を揺らすか」どうか。


「題名のない音楽会」の司会者だった佐渡裕氏は、楽器奏者がプロのオーケストラに入団すると、「身体を揺らさなくなる」と批判的に語ったのを印象深く覚えている。


この背後にあるのは、「プロのオーケストラの楽団員」の〈暗黙知〉として、「クロノス時間とカイロス時間の同時把握」が存在すること。

「身体を揺らす」と、演奏者は「カイロス時間」に支配されてしまい、「クロノス時間」を持つことができない。


※ クロノス時間とは、物理的な時間。(メトロノーム)
※ カイロス時間とは、感覚的な時間。(テンポ・ルバート)


若き日の小澤征爾氏がN響にボイコットされたのも、斉藤秀雄ゆづりのタイム感を無視した指揮が、楽団員から拒絶されたに違いない。−−−楽団員たちは芸術家。生意気や遅刻といった理由で、指揮者を拒否することなどありえない。

小澤征爾氏がサイトウ・キネン・オーケストラを結成するなど神格化した斉藤秀雄だが、この「誤り」を是正しないと、クラッシック音楽で身を立てようと思う若い人たちが「とまどう」・・・。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(12) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

「テレビがおもしろくない」批判の〈本質〉。


1990年代以降は、ポストモダンの時代である。

その事実を「モダンに属する人たち」が隠蔽したので、平成時代は「埋もれたポストモダンの時代」。

ちなみに、モダンの時代とは「主観主義」「進化主義」を言う。

ポストモダンとは、「客観主義」「相対主義」の時代である。


モダンの時代。

私たちは、「(個の)主観」を誇っていたが、ポストモダンの時代では、「(個の)主観」よりも「客観的」なこと・ものを求める。

そもそも「モダン」とは、西欧の世界侵略のための「思想武器」であり、一般的な妥当性を持たない。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月21日

「現代の職業生活でもっとも重要な変化は何か・・・」

という問いに、

ピーター・ドラッカーは、

「テクノロジー」でも、「グルーバル化」でもなく、「平均余命のめざましい上昇」

と指摘している。


そか。

「サザエさん」の世界は、前・近代だったのか・・・。
と、ふと思う。


「サザエさん」は、時代劇なのである。
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月05日

〈形式批評〉が日本を世界を変える。


・主観主義・進化論のモダニズムの時代が終わり、

・客観主義・相対論のポストモダンの時代が来ている。

と、spontaは指摘している。


客観主義を実現する手法は、

・「集合知」ではなく、〈形式批評〉である。

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月02日

「音楽の暗黙知」〈タイム感〉

NHK-FM「きらくら(気楽にクラシック)」への投稿メッセージ案。



ピアニストの園田高弘は、小澤征爾の師匠・斉藤秀雄のチェロを「教育者としては素晴らしいのかもしれないが、やりにくかった」と回想していた。

2009年、私はアメリカ帰りのドラマーから〈タイム感〉を知る。

〈タイム感〉とは「音だしのタイミングとは別に」メトロノームの感覚を持つこと。音楽家は「クロノス時間(メトロノーム時間)」と「カイロス時間(主観的な時間)」のふたつを同時に持たなければならない。

これができなかったのが斉藤秀雄であり、小澤征爾。
〈タイム感〉は、プロのミュージシャンの暗黙知になっている。だから、N響楽団員による小沢征爾ボイコット事件が起きたのだろう。

メトロノームに合わせると無味乾燥な演奏になると思う人が多い。
だが、ギターデュオ、デパペペのメトロノームとの共演を聴けば、「エモーショナル」な演奏が可能なことが理解できる。

デパペペの演奏をリクエストしたい。

(381字)
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月01日

親は子に「勝てる試合を与えよ」。

親は子に「勝てる試合を与えよ」と指摘してきたが、その理由は、〈自己肯定感〉の醸成・確立のために、「負け試合」に価値はないからである。



「贈る言葉」の歌詞・「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから・・・」は嘘である。

人を思いやるには、「心の余裕」が必要である。もし、「心に余裕もない」のに、「人を思いやる」なら、それは「自主性の放棄」であり、褒められた話ではない。(僧侶の修行は主体性の放棄の先に悟りがあるとの考えに基づくが、一般人が追求するの無理だろう)

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

大谷家の教育方針は、「決断は本人に委ねる」。


だという。

以下は、引用。


大谷は1994年、岩手県に生まれた。地元の花巻東高校に入学した15才の頃から8年以上にわたって彼を取材してきたスポーツライターの佐々木亨氏が言う。

「メジャーリーガーになった今でも、大谷選手の考え方や野球に取り組む姿勢は初めて会った15才の頃から変わっていない。純粋に野球が大好きで仕方ない、まっすぐで素直な少年のままです」

大谷の「まっすぐで素直な心」を育んだのは、社会人野球で活躍した父と、バドミントンで国体出場した母だ。

「大谷家の教育方針は、“決断は本人に委ねる”というものでした。

実際、幼稚園から続けていた水泳を小学5年生でやめて、野球一本に絞ったのも本人の決断です。親が口を出さずに子供の考えを尊重することで、大谷選手の“考える力”が養われました」(佐々木亨氏)

※女性セブン2018年5月10・17日号



問題は、「本人の意思」が何によって、形成されるかどうかである。
続きを読む
posted by sponta at 06:36| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大谷翔平君を「自己肯定感フレーム」で考察する。



人格は、〈承認者〉と〈承認項目〉の妥当性によって決定する。

〈承認者〉とは大概の場合、両親。

〈承認項目〉とは、「(親の生き方を通じて表現される)親が子を認める要素」。それは、家訓や家業が大きく影響する。
・・・親が言っていることと、やっていることが矛盾していたり、親が言うことが実現不可能だったり、社会の常識と異なっていると「子」は混乱する。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

親は「否定すること」に、最大限の注意を払わなければならない。

「生成自己肯定感フレーム」について考察している。

人間は〈生得的〉に、承認者と承認項目というフレームがあり、それを満たすことで、人間は「情緒の安定」を得て、「自殺願望」を回避する。それが〈自己肯定〉感の確立である。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

新概念「生成自己肯定感フレーム」。

【前提】

今年になって、ブログのタイトルを「ポストモダン通信」に変更した。

その理由は、1990年代に、「モダン(近代化)の時代」が終わり、「ポストモダンの時代」が来ているのに、日本(&世界)のマスコミ・教育界の自己都合によって、「モダンが虚構・ねつ造だった・通史的な妥当性がない」ことが明らかにされていないことを憤ったからである。


・モダン: 主観論・進化論(人間中心主義)

・ポストモダン: 客観論・相対論・メタ論(自然人間共生論)


とはいえ、いつか「モダンの時代は終わった」と気づく時が来るはずであり、その時、「(円滑に)次の時代に移行できる」ための情報を提出するのが、このブログの目的である。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(1) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月24日

「見えているもの」は、主観に過ぎない。

見えているものは、事実であり、客観的と、考えてきたと思う。


だが、人類学のパースペクティズムによれば、主観的であり、普遍的な真実ではないという。


・近いものが、大きく見える。


・遠いものは、小さく見える。


当然のことだが、自分に近いものが重要と考えるのは、「傲慢」であり、「普遍性」を持たないことは、納得できる。




3・11を経験して東京に戻った漫才師・サンドイッチマンが、六本木でカラオケ店の呼び込みに誘われ、違和感を感じたという。


呼び込みにとっては、何万人が被災し、何千人が命を落とそうとも、目の前の仕事が重要。


−−−これこそが、パースペクティズム的な現象である。




パースペクトとは遠近法。

近代になるまで、日本の絵画には遠近法がなかったのを、私は不思議に思っていたが、パースペクティズム批判を知ると納得する。

大和絵の俯瞰的な構図や、洛中洛外図、山水画にしても、遠近法てはない。

それらは、「個人の視覚」の再現ではなく、「普遍の表現」だったり、「民衆の記憶」なのかもしれない。

パースペクティズム批判を知れば、大和絵は「前近代な技法」ではなく、「普遍を描こう」とする技法ということになる。




結局のところ、遠近法は、近代主観主義(モダニズム)の思潮のひとつであって、全史的な普遍性を持つかどうかは疑わしい。


最新の人類学では、科学・近代の諸制度は相対化されると説かれている。


カメラのレンズで描写されるのは、当然のように遠近法だが、レンズの選択によって、さまざまに変化する。写真といえども、主観性と無縁ではない。
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月20日

新語作成、「生成承認欲求」。

貴乃花親方は「生まれ変わっても、相撲をやりますか?」の問い、「家業をやります」と答えている。



オリンピック選手の活躍を見ていると、幼少期に選手生活を始めることが条件と思えてくる。

北海道北見市常呂町のカーリング娘の藤沢五月選手は5歳で選手生活を始めている。(父は、長野五輪出場を目指していた)

卓球女子のイトウミマさんや、ヒラノミユさん、イシカワカスミさん、勿論、フクハラアイさんも、親が卓球選手であり、物心がつくかつかないかの頃から、家族そろって卓球に取り組んでいる。

チョレイの張本選手も両親も、中国の卓球選手である。



先日、メジャーリーグに挑戦している大谷選手の特集を見たが、スタジオにはバトミントンの元日本ナンバーワンで現在はニュース番組のキャスターをやっている陣内貴美子嬢が、合宿で大谷選手のお母さんと一緒だったことがあると明かしていた。
キャスターの出身地は九州。大谷選手の母は神奈川。大谷選手のお母さんは「全国決勝レベル」のバトミントンの選手だった。父は、社会人野球・三菱重工横浜の選手。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

「刷り込み理論」と「承認欲求」。

鳥は、初めて見た「動くもの」を「親」と認識する。
たとえボールであっても・・・。

というのは、動物行動学の学者・コンラート・ローレンツの実験であり、私も、実験の映像を見たことがある。続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

自己肯定感を「ふたつに分類」。

かつての私は、コミュニケーションを次のふたつに分けなければならないと提案した。



コミュニケーション T
・・・「内容を伝達するため」のコミュニケーション。


コミュニケーション U
・・・内容を伝達するのではなく、「発信者と受信者が〈同一コミュニティー〉に属していること」を、確認するためのコミュニケーション。




渋谷で携帯端末を使う若者たちを見た「スマート・モブス」の著者が、若者たちが「高度なコミュニケーションをしている」ことに驚嘆した。

だが、渋谷の若者が発信している内容は、「ハチ公前ナウ」など、取るに足らないこと。けっして「スマートではない」。

コミュニケーションには2タイプあるのだ。

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月09日

モダニズム洗脳。(そして、モリカケ)

日本の近代(明治期〜)は、モダニズム(近代主観主義・進化論)に洗脳された歴史である。

モダニズムに「通史的な妥当性はない」。

ならば、
明治期に排撃された「江戸時代のシステム」こそ、「通史的な妥当性」を持つ。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0