2019年11月12日

「統合の象徴」の必要性。

多様化の時代、移民により多民族化がすすむ近代国家にとって「統合の象徴」は不可欠である。

古代ギリシアでは、「コロシアムで行われる」ギリシア演劇の観劇は国民の義務。
つまり、「劇中の出来事」を共有することで、市民としての「一体感」を訴求される。
この一体感により、「治安の向上」はもちろん、「納税」「徴兵」が円滑にすすめられた。
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2019年11月11日

令和天皇陛下の「御即位パレード」の意味・価値。

カナダの思想家・マクルーハンは、「メディアはメッセージ」と発言している。

その意図は、メディアの本質は、

・「コンテンツ」が伝えたいことではない。

・「メディア(そのもの)」が伝えたこと。

である。

今回の天皇陛下即位パレードのテレビ中継。

驚くべきことに、公共放送も、民間放送も

・コンテンツの内容(パレードの様子)

を伝えたが

・メディアとして機能したこと(「統合の象徴」としての価値の確認・増強)

を一切伝えなかった。


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「かいつま」で・・・。グレン・グールド。

「自分の頭で考えるべき」。「教えるべきではない」との尤もらしい発言をする人が少なくない。

私は、それは「自分の意見に自信がない」。または、「意地悪」と考える。

剣豪・宮本武蔵は「秘伝はない」として、「五輪の書」を最晩年に編んだ。そして、各章の最後に「よくよく吟味するように」と、鵜呑みするのではなく、自分自身で「武蔵の言っていることが正しいのか判断せよ」と付け加えている。
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2019年11月10日

ラグビー・ワールドカップ日本大会が表現したこと。

同時期の名古屋で、「(先々代の天皇陛下への侮辱・戦没者への侮辱を通じて)日本の国体(こくたい)へのバッシング」を行った展覧会が話題になった。

当事者たちは、

・「他民族・他国家への侮辱」は許さないが、「自民族・自国への侮辱」は許容すべき。

との方針のようである。


今でも

・日の丸・君が代を否定する。

人たちが少なからず存在する。

彼らは、名古屋の当事者の人たちの亜種・同類であり、(今は分からないが)かつてのNHKもそうだった。

かつて、「クローズアップ現代」で「卒業式の日の丸・君が代否定」問題をテーマにした時、キャスター嬢は、否定派に共鳴していたと記憶する。ならば、放送局としての「一貫立場を貫く」なら、

・ラグビー・ワールドカップ日本代表の「さざれ石」見学は、報道すべきではなかった。

「さざれ石見学」も、日本人が主導したら「国粋主義的と批判された」に違いないが、南洋諸国にルーツを持ちニュージーランドに生まれたリーチマイケル主将だから、許容された。

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2019年11月07日

追悼・金田正一氏。(フィットネスの重要性)

MLBの400勝投手・金田正一氏が先日亡くなられた。

ブルゾン・ちえみ嬢は、アルバイト時代、来店する彼に「励まされた」との感謝のコメントを発している。

金田氏の最大のエピソードは、新人・長嶋茂雄との初対決で4打席4三振にしとめたこと。(私は幼少過ぎて、記憶はない)。


私が金田正一氏を認識したのは、キャンプで徹底的に走り込み、ロッテを優勝に導いたこと。

当時の記憶では、「下半身の強化」が大切だから・・・。そんなことだったと思う。

だが、ラグビー・ワールドカップ日本大会を思えば、金田監督の「優勝のための準備」は、次のように改められる。

・下半身の強化 → フィットネス(持久力)の強化
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2019年11月06日

高梨沙羅選手の美容整形に思う。(女性の心の闇)

かなり昔、「愛は静けさの中に」という映画があり、聴覚不能者の女性の悲哀が表現されていた。映画を観た我が姉は、「女性にとって、耳が聞こえないことよりも、ブスなことの方が不幸である」と一蹴した。

女優マリー・マトリンは、彼女自身・ろうあ者であるが、この映画の相手役の男優と結婚している。(その後、離婚)。

我が姉は巨乳のせいか、学生時代にモテタ。彼女が似ていると言われたのは、大竹しのぶ嬢。姉は美人系ではないが、ブスではない。
中学の時、弟の私も「冷やかし」の対象として巻き込まれ、厄介だった。


我が母の高校の卒業アルバムを観た私は、母の顔が「消しゴムで消してあり」唖然とした。

私は、そのような「自己肯定感が希薄な女性」に育てられた。

小説家・田辺聖子。ファッション・デザイナーのコシノ三姉妹を思えば、我が母も、我が姉もブスではない。
私の印象をいえば、女優・菅井きんに似ている。


問題は、「彼女たちの心」である。
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2019年11月04日

天皇陛下、ご即位につき思う。(統合の象徴たる天皇)

我妻の姉は「バラの包装紙で有名なデパート」に勤めていた。

幼き日の妻は「来てみる?」と姉に呼ばれる。

姉の職場を訪れると、皇室対応係だった姉の仕事を見学する事になった。

今回の天皇陛下のご即位のテレビ映像を見て、「幼いのに、礼儀正しく侍従にしたがっていた幼い頃の殿下」を思い出し、感慨深げ。
ミッチーブームがまだ冷めやらぬ頃、一家そろってデパートに買い物など不可能だったに違いない。
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2019年11月03日

雅子皇后が選ばれた理由(を推理する)。

spontaは、「評価基準」を明確にすることで、昭和な「主観の時代」を払拭しようとしている。

「主観の時代」とは、「権力者の時代」。「弱きものが強きものを払拭する」などありえない。


萩本欽一氏のかつての番組では、

・めだかの兄妹が、鯉や鯨になろうとしても、所詮は、めだかにしかなれない。

と、諦観している。

だが、それでよいのか。

「評価基準が開かされない」なら、すべてのコンクールは、審査員の好き嫌いがものを言う「ビューティーコンテスト」と変わりない。

つか、ビューティーコンテストも「人気タレント(土屋太鳳)の姉」という「(秘された)評価基準」で優勝すると批判される。


人気俳優・水嶋ヒロ氏は「(某)文学賞」を受賞し、ヒット小説を生み出した。だが、次回作の不発などにより、「(某)文学賞」の審査の恣意性を証明してしまった。

一方、吉本芸人は「芥川賞」を受賞し、いまも文学者としての地位を崩していない。彼のサバイバルを許しているのは、「評価基準を明確にしない文学界」があるから。これにより、「出版社の強権」が保持されている。

−−−だが、「芥川賞」がツマラナい・理解できない、そして、それが業界関係者によって批判されないなら、「芥川賞」自体が地盤沈下を起こす。
つか、原因と結果は逆で、文学界・出版界が地盤沈下を起こしているから、吉本芸人の著作が「芥川賞」を受賞したに違いない。


「評価基準が明確になれば、妥当性のない主観は否定される」。

だが、それを「強権者たちは許さない」。

そういう構造がある。

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2019年10月29日

替え歌「ビクトリーロード」をNHKは是認するのか?

公共放送なのだから、「法律を守っていない行為」を批判すべきである。

ラグビー日本代表の愛唱歌「ビクトリーロード」は、ジョン・デンバー氏の楽曲に無断に歌詞をつけたのであって、それを「個人的に楽しむ」なら、鼻歌と一緒だし、ロッカールームで選手たちが全員で歌うなら、許容される。

だが、その行為を「テレビでオンエア」したり、それを「(最終選考に選ばれなかった選手が行った)美談」としてとりあげるなら、「公共放送と

して、法律を守っていないことを是認する行為」であって、批判されるべきである。
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2019年10月28日

インターネットの特性を久米さんにご教授。(その2)

インターネットの本質は、「即時性(起きたことをタイムラグなしに知れること)」ではない。

「ログ性(昔の情報でも、いつまでも知ることができる)」である。


情報の歴史において、インターネットは「グーテンベルグの活版印刷」以来の画期的な出来事・時代の変化だと言われている。
活版印刷は、大量印刷により、「多くの人たちに読まれること」を可能にしたと思われている。

だが、そうではない。

当時のヨーロッパの民衆の識字率は低かった。したがって、江戸時代の日本のように、瓦版や読本が流行したのではない。

キリスト教会の聖書の印刷に活版印刷が使われた。「一枚の版木から印刷する」のとは桁外れの印刷量が実現したに違いないが、それは「情報拡散」に寄与したのでなく、「情報保持」に貢献したのであろう。


インターネットで起きていることも、同様である。
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2019年10月27日

インターネットの特性を久米さんにご教授。(その1)


長尾真(元京都大学総長)は、

・あるはずの情報がそこにないなら、真実を含んでいる。

と発言している。


今年、久米さんがNHKの朝ワイドに出演したのが選挙前だったので、久米さんは、躍進が予想される山本太郎氏(令和新撰組)の話ができなかった。

民間放送でも、提供スポンサーに毀損する情報は発してはならない。

とある日本テレビのアナウンサーの常套句「ジャストミート」にしても、予定してたものが「スポンサーの競合商品」だったので、急きょ差し替えたのだという。

先日、FM-NHKで三木鶏郎氏がテーマで、「長生きしたけりゃ、ちょっとおいで」とのコマーシャルソングが話題になったが、「特定企業の商業的利益につながる情報発信は禁止される」という規範から、ボヤかしたまま対話がつづけられた。・・・アホらしい。すでに船橋ヘルスセンターは廃業している。

不思議なのは、国民的番組の「笑点」では、レギュラー出演者の独演会の告知を「恥ずかしげもなく、行っている」。全国放送のスポンサー料に換算すると、何千万円にもなるのを、出演者の利益のために使っていいのか。

「映画の告知宣伝でゲスト出演」とは異なるが、許容されている。

ならば、「あたり前田のクラッカー」の番組中宣伝もいいのではないか・・・。と、思えてくる。

「あたり前田」は笑えたが、笑点メンバーの独演会告知は笑えないし、情報を知っても、「遠くて行けない」。


国営放送に限らず、メディアには「話題にしてはならぬこと」が多々ある。

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2019年10月24日

「純粋スポーツ鑑賞者」と「スポーツ応援者」の違い。

かつて明石家さんま氏が、「イタリアのサッカーリーグに日本人選手が移籍して困る」と発言していたのを覚えている。

真意を想像すると「理想の世界が(卑近な日本人の選手によって)汚される」。

有名タレントでサッカー好きとして知られる彼だから、セリアAに移籍するJリーグの選手とも「顔見知り」だったに違いない。
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2019年10月23日

「にわかファン」とは、「応援したい人たち」である。

ラグビー・ワールドカップ日本大会に関連した番組で、2015年の日本代表躍進の立役者・五郎丸氏が、

・「にわかファン」を歓迎します。

と発言していた。

私は、この発言の「背後にある考え方」を危惧する。
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2019年10月22日

「聖書がわからないと西洋を理解できぬ」は、本当か?  (その2)

【結論】

「武力による統治(他民族支配)」に限界を感じた西洋人は、「宗教による統治」に可能性を見いだす。その目論見は、ローマ・カトリック教会によって完遂される。

中世の時代。ヨーロッパを支配していたのは、各地域を統治していた王族ではなく、ローマ教皇である。

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2019年10月21日

「ラグビー・南アフリカ戦」敗退の原因。

結論を言うと、

・「2015年イングランド大会の敗戦を南アフリカチームは忘れていなかった」

ということ。

あの時の南アフリカチームの敗因は、

・日本の速攻(スピード)にやられた。

・日本の持久力に負けた。


つまり、今回の南アフリカの勝因は、

・早い・鋭いディフェンス

と、

・後半、体の大きいフォワードの選手を全とっかえすることで、持久力で負けなかった。勿論、バックスの選手も持久力を鍛えた。

である。


ジェイミー・ジャパンは「ゲームプランがばっちり決まる」のが連続していたので、過信があったのかもしれぬ。


W杯前、五郎丸氏がNHKの大相撲中継にゲスト出演していたが、小兵の炎鵬の「逃げない相撲」に日本ラグビーを重ねていた。

今回、南アフリカは、「早い・速い・鋭い」ディフェンスの作戦を立てて挑んできた。

ならば、日本代表はどうすれば良かったのか?


相撲であれば、全力で突進してくる相手には、「はたき込み」でかわす。

今回の日本代表も、「速攻ではなく、遅攻をすればよかった」。

だが、予選リーグの成功体験があまりに大きく、「遅攻」というオプションをジェイミーは準備していなかったと思うし、それが現場の判断として出来なかった。

そのあたりはスクラムハーフの田中選手の投入が、遅れたことに象徴されていると、私は感じている。


速攻ばかりで、遅攻ができない。

これは、ラグビーばかりではない。サッカー日本代表の課題でもある。





「聖書がわからないと西洋を理解できぬ」は、本当か? (その1)

ヒストリーチャンネルで「イエス・キリストの生涯」(全8回)を観た。

キリストの誕生から復活までを、再現ドラマで提示しながら、キリスト教各派の有識者がコメントするという内容である。

番組の冒頭には、「聖書が分からないと、西洋は理解できぬ」とのコメントがあった。

うろ覚えだから、「聖書」ではなく「キリスト教」かもしれぬし、「キリスト教」ではなく、「イェス・キリスト」だったかもしれぬ。


我が父は、大学生になった時、「キリスト教が分からないと、西洋は理解できぬ」と、北陸・金沢の教会に行き、母と出会った。
だが、私の両親がキリスト教徒ではない。

幼き日、クリスマスの教会に行ったことがある。空に星がきらめいて、馬小屋でイエス様が生まれるという「紙芝居」を観たが、ただそれだけ。教会に通うことにはならなかった。


高校の時、全校生徒に無料で聖書が配られた。

きっと、全国のホテルの引き出しに聖書が置かれているのと同じような団体による所作だろう。配られたのち「生徒会則に反する行為だった」との放送を記憶している。

しかして、自分のものとなった聖書を読み始めるのだが、「○○の父は××、××の父は△△・・・」
との記述で嫌になり、頓挫する。

何よりも、福音書なる概念が分からない。

結婚式はキリスト教の神父にお願いしている。教会に出向き短い講義を受け、ポケット版の聖書を頂戴した。
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2019年10月20日

ノーサイドと自他共栄。そして、真理谷円四郎。

江戸時代の剣術指南の真理谷円四郎は、「相抜け」を究極としていた。

「相抜け」とは、向き合った瞬間 (戦う前)に勝敗を決すること。

戦いの多くは、開戦前に勝敗は決しており、「戦うこと」は野暮な行為でしかない。

そんな円四郎は、こんな言葉を残している。

・仕合いとは、「相対する」という異様な状況を解決すること。

彼が目指したのは、「勝つこと」によって試合を終えることだが、「負けを認めること」を否定しない。

でなければ、「相抜け」など完遂されない。
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2019年10月19日

南アフリカ戦を前に、日本ラグビーの本質。

決勝トーナメント・準々決勝を前に、今回のできごとの「本質」をまとめておく。


「もう奇跡とはいわせない」とは、NHKの実況アナのセリフだが、2015年の南アフリカ戦は、油断していた相手を「土俵際のうっちゃり」で番狂わせを起こした感じ。

だが、今回のアイルランド戦、スコットランド戦は、ともに「危なげない勝ち方」「普通に勝った」である。

つまりは、試合の最初から最後まで、「スクラムで劣勢になる」ことがなかった。

陸上競技・徒競走では「スタート」が重要である。どんなに「快速の持ち主」でも、「気持ちの良いスタート」が切れなければ、実力は発揮できない。「スクラムで劣勢になる」とは、バックス陣が「じりじりと後退」しなければならないので、「快速の持ち主」が実力を発揮できない。

FW第3列や、ハーフ、センターも同じ。「じりじりと後退」していると、「怪力の持ち主」でも実力が削がれる。


そして、本場ニュージーランドのスタッフたちが、目を見張る「戦略」。

日本代表とアイルランドの試合を見て、「あのように戦っていれば、負けなかった」と悔やんだとか。
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2019年10月17日

ユッキーナと少女慰安婦像。

「あるべきはずの情報がないとき、それは真実の情報を含んでいる」
とは、日本語ワープロの開発を主導した情報学者・元京大総長・元国会図書館館長の長尾真氏の言葉である。


同じく情報学の公文俊平氏は、「情報は現実の写像(一対一対応)と考えている」ので、「公権力やアカデミズム受けが良い」が、「現実は単純ではない」。



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2019年10月16日

ラグビー協会とサッカー協会は、ともに「世界一」を目指している。

サッカー協会は、今世紀中にワールドカップ優勝を目標に掲げているが、ラグビー協会も同様だろう。

だが、そこまでの道のりと、現時点の到達地点は大きくことなると感じている。
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