2016年06月26日

「人に笑われてきた悔しい歴史」

という話を、イチロー選手がしたとか。

マナリーズや、ヤンキースは勿論、三重の地元にいた時から、イチロー氏への逆風は、大きかったのだろう。

とはいえ、ひねくれものの私からいえば、「悪名は無名に勝る」。
反発するような外野がいたからこそ…。


などと、うそぶいてもみる。
('◇')ゞ
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2016年06月23日

鳩山弟氏、逝く。

死因は十二指腸潰瘍だというが、直接の病気がそれであって、何か重大な病気を抱えていたのかもしれない。

政治家が亡くなると、謀殺されたのではないかと勘ぐりたくもなるが、今回はどうだろうか。彼が若き日に秘書をつとめた田中角栄氏と同じような…。



謀殺されるパターンを以下のように考えている。

・闇の勢力に「長い間、荷担していた」が、距離をおいたり、反旗を翻す可能性がある場合。(口封じ)

・闇の勢力「ターゲット」をコントロールしたい場合。(脅し)


つまりは、暴力団の抗争のような「報復・復讐」などの感情は関係ない。
政治家・有名人などさまざまな対象があるだろうが、軍隊にも等しい組織が実行すれば、情報が外に出てくることはありえない。


3億円事件や、日航機墜落事故なども、軍隊レベルの組織が荷担した可能性が高く、情報が漏れることはない。

今回の鳩山弟氏に関して裏の事情は知らないが、小沢一郎氏が、いまだに存命なところを見ると、「謀殺ではない」と想像するのだが、素人の意見にすぎない。



政治家一家に生まれ、常にトップを走った彼は、料理や蝶を趣味とした愛すべき人格。若干、早世ではあるが、堂々たる人生であり、拍手を送るべきである。

合掌。
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2016年06月20日

クレショフ効果。

アマゾンのコマーシャルである。

家族に赤ん坊がやってきて、疎外感を感じる犬の物語。

赤ん坊がライオンのぬいぐるみに興味を持つと、この家の主は、タテガミをアマゾンで注文し、犬につけてあげる。
すると、赤ん坊と犬は打ち解けることができた。

新しい家族の誕生。感動のストーリーである。




私が注目するのは、「犬」は演技をしているのではないこと。
つまり、「阻害されている」と感じているのは、観客の私であって、犬ではない。

鑑賞者の感情は、編集によってねつ造される。それがクレショフ効果。モンタージュ理論である。



これは、表象を考える上でも、わかりやすい。というか、自分の心理を中心に物事を考えすぎる向きには、きわめて示唆的である。
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2016年06月19日

テレビは「昼の演劇」である。

放送大学の青山昌文教授は、「ギリシア演劇」は昼間開催され、観劇は市民の義務だった。と指摘する。

昼間の演劇とは、何か。

古代国家の市民感情を一体化するために、「英雄を扱った悲劇や、愚者を扱った喜劇」が営まれた。
当時の演劇は、参政や法治と同じく、市民にとって重要な要素であり、演劇によって、「市民としての実感」を持った人たちが、徴税や徴兵に応じたのである。


勿論、市民たちを楽しませなければ、演劇の効果は少ない。そこで、作劇法も開発されていったに違いない。

たぶん、当初は降霊など宗教的儀式だったのかもしれないが、次第に、演劇的側面が増えていったのかもしれない。



他民族国家(植民地の宗主国)では、そのように(演劇を含めた)芸術の社会的な価値は高い。単一民族の日本では、あらかじめ民族的な一体感があるので、芸術にそのような価値を求める必要はない。

西洋諸国に比べて、日本の芸術への公的資金の供与が少ないのは、そうした文化的な背景がある。けっして、芸術に対する理解の差などではない。続きを読む
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2016年06月15日

絶対と相対。

舛添氏は、正月の温泉旅行について、政治家としての機微から、政務をした相手の名を明かせないと証言した。

それにつき、都議会議員は、それ以上突っ込むことをしなかったのは、残念である。



ことの問題は、「都民への説明責任」と「政治家としての機微」を比べて、「政治家としての機微」の方が重要と考えたことである。
そのあたりを都議会議員が問いただせばよかった。

「都民」と「政治家としての私」を秤にかけて、「政治家としての私」を取った。これはあってはならない。




私はかねてから、「忙しい」とは、当事者にとって、当該案件の重要度が低い。ということであって、絶対的な「忙しい」などという状況は存在しないと解説し、反論されたことはない。


どんなに忙しい人であっても、大切な人の通夜には、全員集合となるのだから…。
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2016年06月14日

舛添氏の死生観。

「朝まで生テレビ」で、彼は、外来的出自を持ち、日本社会・文化に同化したことを告白していたという。

今回の彼の「辞任せず」騒動を思うに、そのような出自を感じてしまうのは、私だけだろうか。

この国の死生観では、死に至る前に、「もはやこれまで」という決断がある。舛添氏には、そのような処世の美学があるとは思えない。
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2016年06月12日

反パパラッチなウェブ活動はできぬものか…。



こんなウェブ記事があった。

それでも取材が続いていることから、会見翌日のきょうも「度々申し訳ありません。マスコミの方々へ」とのエントリーで更新。「命に関わることなのです。御理解ください。今日もマオの実家や周辺での取材、カメラでの盗撮?の様な行為はお控えください、お願いします」と訴えた。

「マスコミの方々もお仕事である事は重々承知しておりますが」と理解を示した上で「人の命に関わることです。よろしくお願いします。マオ本人の負担になるような撮影はやめてください。本当によろしくお願いします。よろしくお願いします。静かに見守って頂きたいです」と呼びかけている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160610-00000364-oric-ent


「24時間マラソンが、ズルをしていないか」を監視するウェブ活動があるが、海老蔵氏の懇願に従わないマスコミを、ウェブ活動がやり玉にあげてもよい。と、思っている。

私が、彼の近所に住んでいたら、当然のように、張り込んでいる人たちの所属会社を聞き、ウェブにアップすると思う。

コミュニティーの自浄作用とは、そういうことだと思う。



今回は、人命とこどもが関わっており、すべてをさらけ出した彼らを、人気商売であることを差っ引いても、手を差し伸べてあげたいと単純に思う。



芸能ニュースには、不倫報道の是非もある。今回のことが、「日本人の良識」として、批判の対象にならぬことがおかしい。
と、思うのだが…。

「ゲスな商売をする奴」がいても仕方がない。でも、世の中はそいつらを「ゲスだ」と糾弾すべきである。
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2016年06月11日

海老蔵ブログの実際…。

既報なので詳細は必要ないと思うが、ここで気づくべきなのは、個人がメディアを持っていたとしても、日常のすべてを記述するのではない。ということだ。

1年8ヶ月の間、厳しい日常を繰り返していたとは、明るいブログの話題とは対照的である。




細君は「私は前向きです」とのメッセージを旧職場に送ったというが、それは、「前向き」と「非前向き」の間を揺れながら、日々過ごしていることだろう。



それにしても、情報バラエティーの取り上げ量は、異様に多い。
舛添関連に飽きているとしても、多すぎる。

都知事の居直りの追い風になるとは思わないし、それをマスコミが望んでいるとも思わないが…。
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2016年06月06日

消費税に関する世相操作。

安倍首相が、消費税の導入を延期して、それを財務大臣が反対する。などということが起きている。

その構造によって、「消費税の増税が正義である」との世相が形成されつつある。

これは、とても分かりやすい世相操作である。




森元首相は「ひからびたチーズ事件」が、「演劇的な表現」であって、出来レースだったことを、暴露しているが、同様なことが、繰り返されているのである。

※ ひからびたチーズ事件とは、小泉首相から、「怒って退席した」と振る舞ってほしいと懇願され、森氏は、ひからびたチーズに憤慨したと発言した事件。



同様に、「三菱自動車が、燃費の情報を操作していた」との日産自動車の告発から、「三菱自動車が、日産自動車傘下に入る」というのも、明らかに、出来レースであって、世相誘導であるに違いない。


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2016年05月31日

芸の極意。

笑点の司会者・新メンバーが話題になっているので、芸術を真剣に考える私は、落語家たちの芸の極意について、ちょっと書いておく。

不治の病になった師匠に付き添う弟子は、師匠からの「奥義の直伝」が、いつ来るのかと、日々、待ち続けるものらしい。続きを読む
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2016年05月27日

平田オリザ批判。

放送大学の青山昌文教授によれば、ギリシア演劇は、「昼の演劇」であって、今日の演劇のような、「個人が、趣味嗜好のために観る」というものではなく、すべての市民が観るものであって、「演劇を観ること」は市民としての義務でもあった。と。続きを読む
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2016年05月22日

緒形拳氏の演技術。

俳優の石黒賢氏がインタビュー番組に出演していて、新人時代の自分は、先輩からのアドバイスもあって、本番で最高の演技ができるように、リハーサルでは控えめに演技をしていたが、初めて共演した緒形拳氏が、本読みの段階から、「ホンイキ」であり、号泣する演技を繰り返していることに驚いた、とか。
緒形氏の演技に接して、本番のために「出し惜しみ」をしている自分を「みみっちい」と感じ、考えを改めた…。

ご存じのように、緒形拳氏は「新国劇」出身の俳優であり、同じ演技を何度もする演技を体得している俳優である。

石黒氏の感慨は「没入型」の演技術の欠点を示しており、青春期から舞台で学んだ緒形氏の演技術は大きく異なる。「ホンイキ」で何度も演技できるのが、本物の俳優である。
posted by スポンタ at 10:48| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月18日

教育者のだめさ。

映像制作に関する放送大学の講義を観ているが、教育者のダメさ、理論家のダメさを痛感する。

理論は理論であり、創作には創作の事情がある。
できあがったものを理論に当てはめるのが、理論家の仕事ではあるが、創作者は、理論を気にしながら創作をしているのではない。


これは、重要である。続きを読む
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2016年05月16日

演出家の仕事のひとつは、名優を輩出することである。

とすれば、何故、藤原竜也はダメなのか。ということになる。もし、彼がダメなのだとしたら、蜷川幸雄氏がダメということだろう。続きを読む
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2016年05月14日

昭和の巨匠たちが、死ぬ前にすべきこと。

昭和の巨匠たちが亡くなっていくが、彼らのほとんどが、死ぬ前にすべきことをしていないと、私は感じている。

彼らが、自己批判しないで、逝ってしまうので、世の中は、昭和のまま、宙ぶらりんである。
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2016年05月13日

演出家・蜷川幸雄氏、逝く。

演出家というと、何か奇抜なこと・特別なことをすると思っている人が多いと思うが、優秀な演出家は、「誰もが思うような、当然のこと」を、ねばり強く指摘し続ける人のことである。

ひどい言い方をすれば、宝塚歌劇団には、そういう演出家がいないから、あのようなかたちになってしまったのかもしれない…。

テレビドキュメンタリーで観た蜷川氏の稽古では、「セリフが一本調子になっている」と主演俳優に叱咤していた。続きを読む
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2016年05月11日

マービン・ミンスキーの時代が終わる…。

「人工知能の父」と呼ばれたマービン・ミンスキーが88歳で1月に亡くなっている。
とある学会誌に、彼の特集があり、MITメディアラボで3月17日に追悼式典が開かれたという。

私は門外漢だが、
1956年のダートマス会議が、人工知能の研究が始まったに等しい重要なイベントであり、20代で、彼は出席したのであって、彼の逝去によって、その世代の時代が終わった。

ミンスキーは、「2001年宇宙の旅」の科学監修者をつとめたのだとか…。
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2016年05月07日

ディドロの演技論。(役になりきるはダメ)

青山昌文教授の大学院の教科書を読んでいるが、革命的なことが書いてあるので、披露しておく。はっきりいってしまえば、アクターズ・スチューディオのシステムは間違っている。ということ。

メソッド演技を簡単に説明すると、演じる役柄になるため、その役を徹底的に調査し、俳優が「その役になりきる」ことを理想とする。

しかし、それが間違っていることを、私はすでに指摘している。
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2016年04月29日

こどもに「勉強しなさい」と言う必要はない。

もし、「そう、思う」なら、一緒に勉強すればよい。
親は仕事で、坊主はお経で、こどもは勉強。などと考えることに妥当性はないのだ。

一緒に勉強をする意志があるなら、それでいいのであって、勉強でこどもから教えられる状況になれば、こどもは親に優越感を感じて、勉強への意欲を増すに違いない。

もし、親が負けず嫌いなら、親ももっと勉強すればいいし、そういうフラットな競争が親子の間で成立するならば、親子の距離も近くなるに違いない。




我が家においては、「演劇の鑑賞能力」に関しては、私の勝ち。一方、「音楽の鑑賞能力」では娘の勝ち。私は、音楽を聴いたとき、娘に感想を求める場合が多い。

とはいえ、年の功か、音楽のボキャブラリーでは私の勝ち。
先日娘は「バルトークのルーマニア民族舞曲集」を知らなかったので、父親の威厳をかろうじて保った。クラッシックや吹奏楽は娘の領域ではない。

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2016年04月28日

絵文字は、エモーション字と、外国人は解釈しているらしい…。

外人は、画像絵文字で、「舌を出している」のは、「おいしい」ではなく、「からかっている」。つまりは、アッカンベーをしている
と感じるらしい。

同様に、外国人はイヤフォン通話をするが、日本人はイヤフォン通話をしないのだとか…。(スマホの強盗が頻発する海外では、イアフォン通話が普及しているらしい)



巷間、「音楽は世界共通」だというのが、もっともらしく広がっている。しかし、音楽も言語のひとつであり、民族や文化によって、意味解釈は異なるはずである。

たとえば被災地キャラクターとして注目される「くまもん」の瞳は、西洋人には「悪魔の…」と、感じられるらしい。

言葉なら、意味抽出不能であり、絵や音なら、意味抽出が可能。とはいえ、感じるものは、民族・文化によって、異なるのだ。
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