2017年04月01日

純粋・倉本聰批判。

昭和のドラマツルギーが崩壊している。
倉本聰という名前はビッグネームだが、それは、「前略、おふくろ様」や「二丁目三番地」の頃の話であって、私は北海道に移ってからの彼をまったくもって評価しない。

娘の大学の研究は、「客観的で、妥当性のある評価」の実現だったが、その結論は、次のようになる。

1. 個人の主観は、〈主観的〉であり、集団の大多数にとって、〈妥当性〉があるとは限らない。

2. 「人間は神ではない」ので、〈集合知〉によって、「客観的で、妥当性のある評価」を実現しようとしても、SNSは広告代理店や組織団体による発信が大部分であり、〈妥当性〉は感じられない。
というか、大衆の大部分は、パッシブ(受動的)な個である。

3. そこで、アクティブ(主体的)な個。つまり、「人間(自分)の中の内なる神(内観)」によって、「客観的で、妥当性がある評価」を下そうと考えた。
しかし、それでは、〈主観的〉であるとの批判を免れない。そこで、評価基準に基づいた〈形式批評〉によって、「客観的で、妥当性のある評価」を実現しようと考えた。
つまり、〈評価結果〉は、個の主観によって生まれたものに過ぎぬとしても、〈評価基準〉には、「妥当性を期待できる」し、その重要度によって、〈客観性〉の度合いも吟味できる。


その先には、データーマイニングの手法として、〈細分化〉がある。
〈細分化〉によると、次のようになる。


例文:
有名シナリオライターの倉本聰氏の、一流テレビ局が制作する新作ドラマは、素晴らしい品質を備えている。

上記は、以下のような固有名詞、形容詞がリンクした形である。

有名シナリオライター=倉本聰=一流テレビ局=テレビ朝日=新作ドラマ=素晴らしい品質

このリンクを外すことが、〈細分化〉である。

有名シナリオライターだからといって、素晴らしい作品とは限らないし、
倉本聰氏の作品だからといって、素晴らしいとは限らない。
これは当然のことだ。

名プロデューサーの秋元康氏が、トップアイドルだと、前田敦子氏をたたえたとしても、トップアイドルの評価基準に照らし合わせて、「客観的で、妥当性のある吟味」をしなければならない。
美貌、歌唱力、ダンス力、演技力のどれをとっても、前田嬢をトップと評価できる要素は見当たらない。





データマイニングの〈断片化〉の手法は、歴史の分野でも、この手法が注目されている。

たとえば、信長公記という歴史的な信憑性が高い文献であっても、記述のすべてが事実に基づいているとは限らない。
つまり、中世の京都の深夜に、数千人の武士が行軍すれば、甲冑の擦れる音は、闇夜にとどろくに違いない。ならば、本能寺の信長が、寝込みを襲われることなどありえない。
歴史とは文献学だったが、文献をすべて信じてしまうのではなく、文献以外の研究も交えて、総合的に歴史を検証しようというムーブメントが起きているのだ。

いままでは、「細分化」という分析の手法だったが、構成要素と全体の関係をバラバラにして分析する〈断片化〉という手法が新しい。




倉本氏は、番組宣伝の出演で巻物を出し、年度別に何が起きたか、何か流行ったかなどの年表があり、それを登場人物の人生と重ね合わせて、ドラマに活かすという手法を行っていることを誇らしげに語っていた。

しかし、そのようなドラマではない要素が、観客の感動を呼ぶのだろうか。
倉本氏が脚本を書いた神楽坂を舞台にしたドラマでは、初回冒頭の10分以上が神楽坂を紹介するだけで、ドラマ的な要素が一切感じられなかった。

今回は、その「懐かし昭和版」ということだろうか…。



彼は、シナリオ作成にあたって「履歴書」を書くと、自らの手法を紹介していたが、それは、作家が創作をするための地盤としては必要不可欠かもしれないが、それを実作に使うなら、「設定」でしかなく「ドラマ」は発生しない。

「履歴書を書く」とは、黒澤明監督たちの手法として有名だが、それは、準備体操やキャッチボールのようなものであって、それをそのまま、脚本にしたら、「設定だけのドラマ」になってしまうのである。




今回の倉本聰氏の作品は、宮崎駿氏の「風立ちぬ」のようなものだろう。
「風立ちぬ」の後半で、昔、学生たちの間で歌うことが流行った曲で盛り上がる。だが、その時代を知らない世代にはまったく意味がない。ならば、作家の自己満足である。

ドラマは叙事詩的であってはならない。抒情詩的でなければ…。そのことをシナリオ界の重鎮が語らないのなら、日本のシナリオ界の低迷は今後もつづくに違いない。





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2017年03月12日

長澤まさみ、映画で裸になるのを断る。

「山田孝之、カンヌ映画祭り」である。
しかし、山田孝之氏、登場する映画監督氏などが、あまりにカンヌ映画祭を、そして、映画を分かっていないことに、私は呆れてしまう。

山田氏は、カンヌ映画祭でパルムドールを得ることを目標に、映画づくりを始めているが、まったくもって、分かっていない。
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posted by スポンタ at 05:38| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

指揮者・三ツ橋敬子さんの理想と現実。

先週の「題名のない音楽会」が指揮者の特集で、若手の3人の日本人指揮者が自ら憧れの指揮者をあげていた。
その3人とは、カラヤン、クライバー、ストコフスキーであった。

そして、三ツ橋敬子さんがあげたのがカルロス・クライバー

彼女は、かつて「情熱大陸」に出演していた。

http://omosirodougadehappy.seesaa.net/article/256598807.html続きを読む
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2017年03月05日

日本に行きたい人、応援します。(テレビ番組)

今、テレビで楽しみにしている番組は、この番組だけといっても、過言ではない。

日本が好きで、好きでたまらない異国人の様子も素敵だが、ふだん、あまり日の当たらない伝統技術や伝統芸能に地道に取り組んでいる人たちが、異国人によって照明をあててもらって、自分たちのやってきたことの価値を感じる。
それがすばらしい。
日本は、アニメやアイドルだけではない。

先日の番組では、琉球舞踊だったし、その前は、庭師が使うジョウロ、刃物、手鞠、着物、錦鯉、庭など、異国人に指摘される前に、私たち日本人が、自らそのすばらしさに気づくべきものばかりである。

スポーツで金メダルなんてことよりも、日本人としての誇りを持つには、こちらの方が数倍もすばらしい。
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2017年03月04日

テレビドラマ。明日、突然ですが、結婚します。

視聴率が低迷しているが、ネット視聴のレイトはきわめて高いのだという。

つまりは、視聴率というシステムが、すでにテレビというメディアに対応していない。
視聴率によって、広告費が分配されるというビジネスモデルが崩壊しているのだ。


しかし、ビジネスモデルが崩壊しているからこそ、広告業界の寡占企業である広告会社Dの横暴が成立する。
下手に妥当性があるなら、市場は「合理」に従うが、妥当性がないなら、「無理が通れば、合理は引っ込む」のである。
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posted by スポンタ at 06:52| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月28日

日本史の教科書が変わる。

鎖国の表現がなくなり、聖徳太子がウマヤドノオオジになるのだとか…。

テレビの解説では、最近の研究により、事実が分かってきたということらしい。
だが、そんなことは偽りである。

この変更の裏には、いままでの皇国史観や、被虐史観を良しとしない人たちが増えている。その結果、教育が変化している。…そんな感じである。
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posted by スポンタ at 18:53| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

日本だけでなく、世界のほとんどの国には四季がある。

外国人&ハーフの鼎談の話題。
「日本だけ四季がある」というのは間違いと、疑問を傾げる。
これは、外国人にとってだけの疑問ではなく、海外旅行に行った日本人にも当然の疑問である。

そのような教育をした文部省に、疑問を提示するとともに、修正を依頼すべきである。
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2017年02月23日

Why English speaking people?

厚切りジェイソン氏は、30歳を越えて間もないというのに、すでに、リタイアーできるような資産を得ているのだという。
自らの厚遇に甘んじて、その原因となった奇怪な世界経済のしくみを批判しないのは、理知的ではない。

ジャニーズ事務所のSMAPのタレントたちは、自分たちがおかれている不可解な状況が解っているから、災害が起きるたびに、億を越える金額を募金してきたのである。

さて、彼のネタは、Why Japanese people? だが、英語にも理解できないものがある。



ポンド。
これを略語で記すと、lb.
つまり、1ポンド(重さの単位)と書くなら、1lb.となる。手書きすると、1ポンドなのか、11ポンドなのか、ほとんど分からない。



約を、英語にするとプロキシメトリー。
したがって、1.01では長いので、約1としようとすると、プロキシメトリー1となる。これでは、「約」という単語に置き換えて、短くしようと思ったのに、逆に長くなる。



Why English speaking people?
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2017年02月22日

厚切りジェイソン・パックン・シェリーによる欠席裁判。

フジテレビ「ボクらの時代」に、二人の外国人とハーフが鼎談していた。
ちなみに、三人とも伴侶は日本人である。
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2017年02月14日

若手女優の突然の芸能界引退について…。

今回の件とは、まったく関係なく、具体的な事実だけを指摘しておく。
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2017年01月18日

嫌われる勇気。

アドラーの本であり、ドラマのタイトルでもある。
だが、アドラーの心理学を、承認要求とか、人間の悩みは、すべて人間関係によるものであるとか、と、考えていては、本質はつかめない。

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2017年01月08日

いきものがかり。放牧・・・。

いきものがかりが、活動休止を放牧と形容した。

水野氏は、本格的な音楽を所望しているのに、いきものがかりが求められている音楽が、あまりに大衆的であるため、活動が行き詰まるに違いないと思っていたから、今回の活動休止は当然のことだと思っている。



ステージでの水野氏のギタープレイを見ていれば、グルーヴを求める演奏をしていることが理解できるはず・・・。続きを読む
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2017年01月07日

フランス留学中の女子大生の遭難。

昨年の軽井沢のバス事故は、娘の一学年上の学生だったので、SNSの共通の知り合いが数人いたというが、今回は娘の一つ下の学生なので、共通の知り合いが10ほどいるのだという。

娘は今、卒業旅行の第一段。
昨年の事故があったので、バスの選択には細心の注意を払っていた。

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2017年01月02日

大晦日の中村紘子氏の追悼番組に思う。

紅白歌合戦を観ていたら、リハーサルをやりすぎて、段取りになり、白々とした雰囲気のお笑い芸人たちを観て、つらくなり、Eテレで、昨年亡くなった中村紘子氏の追悼番組を観た。

番組は、彼女を絶賛していたが、生前の演奏は、彼女のダメさのすべてを表現しつくすという残酷な構成だった。

小品なら目立たなかったものを、「英雄ポロネーズ」やチャイコフスキーのピアノ協奏曲などの大曲だと粗が目立つ。
彼女のタイム感のなさ。たたきつけるタッチの音の汚さ。そして、晩年の録画だからだろうか、ミスタッチの多さである。

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2016年12月27日

さらに中園ミホさんは間違っている。

彼女は、誇らしげに、ある女優に、「あなたの代わりは他にもいるけど、私の代わりはどこにもいないの」と言われて、台本直しをさせられたことを語っている。
そして、大石静氏にしても、同様であると付け加えた。
しかし、これが三谷幸喜だったらどうだろう。

「俳優にはつながりがある」にしても、その俳優が死んでしまったら、つながりは無視して、制作が進められるに決まっている。

事実、おかくらの主人は替わりながらも、「渡鬼」は続いてきた。藤岡琢也、宇津井健、両氏のご冥福をお祈りする。



結局のところ、そのような現状に甘んじてきたシナリオライターたちのふるまいによって、作品におけるシナリオの重要性が低下したのである。


女優が、作品全体を見渡して、本直しをするのだろうか。もし、それが出来るのなら、彼女は女優はやめてプロデューサーになればよい。

中園氏のシナリオが屑なのなら、直しに応じるのも仕方のないこと…。私は、その作品を観ていないので、それは分からない。
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2016年12月26日

中園ミホさんは、間違っている。

「サワコの朝」を観ていたら、シナリオライターの中園ミホさんが、「最近は、恋愛ドラマはヒットしない。だから、逃げ恥のヒットは大歓迎である」と言う発言していた。

だが、逃げ恥が恋愛ドラマのヒット作だとしたら、今後、恋愛ドラマの制作は難しくなるに違いない。

逃げ恥は、ドラマではなく、バラエティーである。
なぜなら、視聴者は、感情移入ではなく、外部性をもって作品を鑑賞したに違いないから・・・。




主人公のおかしなカップルは、リスペクトできないから、感情移入できない。それでも、作品がヒットしたなら、この作品はドラマではなく、バラエティーなのだ。

バラエティーなら、感情移入は必要ないから、主人公たちの行動に違和感があっても、許容できる。

ドラマ=感情移入(内部性)
バラエティー=外部性的な鑑賞

ドラマ=筋の統一感
バラエティー=多様性


このパラダイムからいえば、「君の名は。」「シンゴジラ」がドラマではなく、バラエティーなことが理解できると思う。

ここで重要なことは、バラエティーなら、一度観れば満足する。二度観たいとは思わないこと。

バラエティー=ネタ消費・情報消費。
ドラマ=演技鑑賞

ドラマがあれば、再放送でも何度も観たい。ドラマ的な要素がなければ、結末を知ってしまうと、観たいとは思わない。

テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」の犯人探しでどんでん返しが連続するような作品は何度も観たいとは思わない。

一方、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」のように、バラのつぼみの正体が、幼児期に使っていた橇のマークだと知っていても、観客の多くは、何度も観たいと思う。



たとえば、ジャズ。
言うまでもなく、ジャズで一番重要なことは「スウィングしているかどうか」である。
なのに、スウィングしていないジャズミュージシャンがヒットしてしまうと、大衆のほとんどは本物のジャズを知らないことになる。
それが日本のジャズ界の惨状を生んでいる。

J○○Uさんは、グルーヴしていないし、ジャズヴォーカルに求められる声の倍音構成も薄い。
彼女が有名人ジャズヴォーカリストになってしまうと、世の中の人のほとんどは、ジャズと歌謡曲の違いがわからなくなる。

そして、知名度の低いけれど、グルーヴしていて、声の倍音構成も豊かな優秀なジャズヴォーカリストのことを、大衆は「だめなアーティスト」と誤解する。
結果、大衆は、ジャズはおもしろくないと思ってしまう。

「君の名は。」も同じこと。
いままでの作品の設定をつぎはぎにして、統一感・整合性の欠いた作品が大ヒットしてしまえば、鑑賞経験が少なく、自らの価値観を持っていない大衆は、「すばらしい作品である」と勘違いする。
その結果起きるのは、映画はつまらないものである。と思いは始めること。

私の分類では、この作品は、ドラマではなく、青春あるあるバラエティーである。したがって、ドラマの分類で、低評価を下すことは無為である。
バラエティーとしてみればよいのであって、映画本来の魅力は別のところにある。

小説でも同じこと。
火花は、芸人小説というジャンルの作品であって、それ以上でも、それ以下でもない。
実は、吉本芸人の又吉氏は、そのことが分かっていて、「僕の作品を読んでおもしろくないと思っても、すべての小説がおもしろくないって思わないでください。いろいろな作家の作品を読んでください」との発言を残している。

たしかに、又吉氏の小説は、面白くなかった・読むのが苦痛だったが、彼は悪い奴じゃない。愛すべき奴であり、物事が分かっている・・・。



「逃げ恥」は、ドラマではない。バラエティーである。

TBSドラマ「逃げるは恥だが、役に立つ」がヒットした。私は、第一回、第二回、第三回あたりまで観たが、辛くて観ることができなくなった。

リストラされた主人公が、見ず知らずの一人暮らしの男性の「住み込みの家政婦」になるだろうか・・・。未婚女性が男性と暮らすことは、まぎれもなく同棲であって、好きでもない相手と暮らす女性をリスペクトできない。
雇用主と家政婦が、食卓をともすることにも違和感がある。

そのような設定のヘンテコリンな女性と、ガッキーの魅力的な容姿はあまりに隔たりがある。

シナリオライター氏は、昔だったら、ガメツイ女と思われたが・・・。と、発言しているようだが、ガメツイという形容以前に、おかしな女性である。
それを補っているのは、ただひとつ。
ガッキーの魅力である。



しかし、「逃げ恥」がヒットした。
とすれば、「逃げ恥」はドラマではなく、バラエティーである。
さらにいえば、作品の中にパロディーがあるので、パロディー・バラエティーということになるだろう。

バラエティーなら、「感情移入」とは関係のない、というか阻害する「(家政婦として)生活ちょっと情報」が挿入されているも許される。

名作ドラマ「冬のソナタ」に、そのような「生活ちょっと情報」が入っていたらどうかと考えてみれば、「逃げ恥」がドラマでないことが理解できるだろう。生活ちょっと情報は、ドラマの進行を停滞させる以外の何ものでもない。

テレビ番組のパロディーシーンがあることも、「ドラマの虚構性を強調している」のであって、「虚構をリアルに感じさせる」というドラマの本質に逆らっている。
つまりは、バラエティー番組であって、ドラマではない。



結局のところ、「逃げ恥」は、主演のガッキーが数字を持っていた。それにつきるだろう。

台本には無理が多く、「家事のちょっと情報」や「パロディー・シーン」で、表面をつないでいる。

ドラマ枠でオンエアされているからといって、この作品はドラマではない。高視聴率の番組だから、再放送もされるに違いないが、これがドラマだと思ってしまうなら、日本のドラマ界の混迷は、より一層深くなるに違いない。



というか、もしこの作品が映画化されたなら、映画館でバラエティー番組を観るという実験が試みられるということになる。
posted by スポンタ at 11:21| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月18日

「俺物語」・実写版「ルパン三世」…。

今の日本のマスメディアには「ごり推し」、ウェブには「ステルスマーケティング」に満ちている。
そんな世の中だから、ほんとうに素晴らしいものは、どこかに行ってしまった…。



最近、CATVで、日本映画を二本観た。



「俺物語」のレビューを引用する。

★アラサーになったからか 感動せず。
★途中までは面白くてハッピーなのに途中からは普通の片思い青春の恋愛でグダグダ。
★他のレビューの高さに驚き。

レビューの高さをみてDVDを借りましたが感想は「ハッピーエンドまで長いありきたりな恋愛映画」でした。
もっとテンポよくマンガの調子で面白くてハッピーなエピソードが織り込まれていたら面白かったはずなのに つまんない映画になっちゃいました。

原作、キャスティングがいいのに 本当にもったいない。
半分くらいまではワクワクして早く付き合っちゃえー♪って感じで面白くてよかったです。
連続ドラマの一話なら納得の内容ですがわざわざ映画館に行くレベルではない。


http://eiga.com/movie/82239/review/



キャスティングも、たぶん原作も良かったのに、なんで、こんな映画になってしまったのか。残念でならない。
予告編だけだと、シラノドベルジュラックのような話なのかと思ったら、大違いだった…。

日本テレビが作った映画だというのに、日本のテレビ局の実力も地に落ちたということか。



こちらはTBSが作った「ルパン三世」実写版。

こちらも低評価である。以下に引用。

「人気アニメがどう実写化されるか期待して観に行ったのですが、下手にほめても観ればわかるので正直に書きました。10点以下は1年に1本あるくらい。昨年だと、実写版の『ガッチャマン』に4点をつけました」なぜそこまで低評価だったのか。「アクションはハリウッド映画の劣化コピー。会話中や歩行シーンでは洋物AVみたいに音楽が鳴りやむことがない。そんなチープな演出では、峰不二子に扮した黒木さんがポルノ女優に見えてきてしまうんです」(前田氏)


http://www.asagei.com/excerpt/26342



一番の問題は、アクションシーンにおいて、敵の弾は当たらないが、ルパンたちの弾は当たって、危機的な状況を切り抜けるという感じ。
それが、この作品の「チープ感」の本質だと思う。
キャラクターに寄せようとした俳優陣が失敗しているなんてことは、誰がやっても大体同じようなものなのだから…。



問題は、地上波テレビ局にも、広告代理店にも、シナリオを吟味できるプロデューサーが存在しないことである。

素人にも分かる欠点が、プロたちに分からないとは…。
posted by スポンタ at 09:27| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

インディゴの恋人

昨日、地方ドラマ賞をとったという1時間単発ドラマを観た。

http://www.nhk.or.jp/okayama/indigo/story/

前半は、すべて説明セリフ。したがって、ラジオドラマであっても、一向に差し支えないドラマである。

さらにいえば、設定だけで、物語が盛り上がっていく。
人が死ねばかなしい。別れがあれば寂しい。結婚式があれば嬉しい。
そんなドラマである。

何故、賞を取ったのか。私には、理由が分からなかった。




私は、かつての東芝日曜劇場を思い出した。

地方の小都市で、男と女が出会うが、結局、何事もなく、エンドマーク。
男も、女も、自分の言いたい事を言うでもなく、決定的な対立がある訳でもなく…。

作品の盛り上がりは、女性主人公が捨ててきた娘が中学3年生になって、尋ねてくる。
そんなところ。

自分が捨てた娘に対して、ハグする女性主人公。それが、私には理解できない。
本来であれば、自分にはハグする資格などないと、固辞するはず…。



大原美術館の収蔵作品の目玉が、エルグレコの受胎告知だとしても、マニエリスムの作家であり…。エルグレコの表現主義と、女性主人公の芸術は、どうかかわっていくのか。そのあたりもよく分からない。
同様に、男性主人公がラジオのスイッチを切るのが、山下洋輔というのも理解に苦しむ。山下氏の音楽はコンテンポラリー的であり、所謂ジャズピアノではないのだし…。



映画学校にいた時、撮影所がなくなり、撮影所の伝統が消えてしまうと、映画出身の先生たちが嘆いていたのを覚えている。
あれから、30年以上が経っているが、日本にドラマの伝統が消えてしまったのを実感する。
だが、それは先生方が心配した技術の分野ではなく、プロデュースやシナリオの分野であった。


結局のところ、先生方が、プロデュースやシナリオの分野で、揺るぎない伝統を確立できなかったために、現在の日本ドラマの低迷がある。



若い人たちが、賞をとったことを良いことに、この作品を秀作だと勘違いして、真似しないことを願うばかりである。

そして、日曜日の9時からTBSでやっていたことを理由に、東芝日曜劇場を秀作だと勘違いさせられていた自分に、腹が立つ。

当時、ドラマが分かっているような人たちは、「東芝日曜劇場ねぇ…」と、口を濁すばかり。その本質を指摘しなかった。

たしかに、そのようなドラマはあっても悪くはない。だが、それがドラマの王道などと思われてしまったら…。

アンチドラマである。

posted by スポンタ at 18:49| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月09日

「君の名は。」と平原彩香さん。

「君の名は。」が空前のヒットで、宮崎駿氏の「千と千尋…」に迫る勢いなのだという。
しかし、監督の新海氏が、宮崎駿氏に比肩するのかといえば、そうではないだろう。

というのも、2ちゃんねるのスレッドを見ていたら、新海演出の特徴は、
・実景をトレースしていること。
・髪型を変えると、キャラクターの違いが分からない。
・主人公以外は、3次元CGなので、違和感がある。

などだという。
私の分析は、出資会社などの意見を素直に取り入れたため、設定が満載になり、構成に矛盾が起きている。



結局のところ、新海演出は誰でもできる。
…そんな感じ。

何故なら、実景をトレース。そこにこそ、この作品の最大の魅力があるから。

大洗の街に、戦車が大集合するガルパンのような系列の聖地巡礼の発生をねらった作品なのである。



一方の平原彩香さん。
デビューしたのはJupiter。ヒットの手柄は、ホルストにある。

デビュー作がブレークしたために、彼女は、ろくなレッスンもしないまま、商品になってしまったのが不幸の始まり。
スターになった彼女のダメさを指摘する人はいないし、教える人もいない。彼女のお父さんがグルーヴしているのに、彼女はグルーヴできない。
彼女の家は、音楽を教えないのが伝統だというが、それが良いことなのか。体操やフィギュアスケートを思えば、教師や先輩が教えることによって、技術が進化していったのであり…。

サウンドオブミュージックの吹き替えのパフォーマンスを聴けば、ジュリー・アンドリュースとの違いは明確。つか、比べるのが非情。
メイ・ジェイさんのように、松たか子さんと比べられなかったのが、せめてもの慰め。

彼女の歌は、ひとつの景色の時はよいが、複数の景色を表現しなければならない時に、欠点が明確になる…。



実写トレースアニメは、これから続出するに違いない。
その時、新海監督は、どのようなオリジナリティーを発揮するのだろうか。

そして、平原さん…。
posted by スポンタ at 10:53| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

バスルーム 裸の二日間

という映画をCATVで観た。

しかし、内容は、エロな映画ではなく、良質な室内劇だった。

男女の問題。
世代間の問題。
ファシズムと大衆。
芸術の問題。

それらが、鍵が壊れて、バスルームに閉じ込められた女学生と老教授の間で繰り広げられる。



セックスの話は表層であって、監督は、それを描こうとしていない。
描こうとしたのは、老人のセックスではなく、老人の愚かさとはかなさである。

こういう映画が、エロ映画というくくりで分類・宣伝されることは、なんとも残念である。

http://yume551.com/foreignfilm/3385.html



エロでも、サスペンスでもない。

ベルイマンや、ウッディ―・アレンと比すべき作品なのに、そんな感想ばかり…。
嘆かわしい。

http://video.akahoshitakuya.com/v/B008Z4XHVC


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