2007年09月21日

アルゴの時代100:弁護士/ 検察官という自由な言論を禁じられた人達…。

光市の母子殺害事件の被害者の夫である本村氏の言葉は、私たちがどのような現実に生きているか。ということを改めて示している。

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2007年09月20日

アルゴの時代99:マルチキャストは全体主義を加速させる…。だが、インターネットには対話がある。

Eプラットフォーム構想によって生まれた大宇宙が、グーグル的なポピュリズムによるマッチングシステムしか持たぬならば、忌々しき事態である。

それは、ゲッペルスが存在したプロパガンダの時代と同じである。だが、インターネットでは個の発信が可能だから、そのような事態にはならない。
いまはまだ、個の発信が野ざらしになり、既存メディアたちが「自己都合による引用」しかしていない。

しかし、そういう時代がいつまでも続くはずはなく、「自己都合ではない引用」をするメディアが遅かれ早かれ登場することは必然である。

スポンタは、そういう新メディアのための企画書を、この数回のアルゴの時代のシリーズで書いている…。



昨日はジャーナリストの加賀谷貢樹氏と話す機会があった。

彼はウェブの言論は真正性が低いと不平を言う。私は次のように答える。

真正性は主観でしかなく、主観が真正を規定するならば、ウェブはSNS化していくしかない。
つまり、真正性を指摘することは、他者を批判するためのツールでしかなく、その結果は、コミュニケーションの断絶しかもたらさない。
ならば、真正性を問題にすることは、すでにディスコミュニケーションの始まりなのである。
あるべきは、主体のステークホルダー(利害関係)を明示し、複数の真正性が並置・対照される状況である。


スポーツ報知が巨人びいきで、デイリースポーツが阪神ひいきでもかまわない。

*

そして、真正性は重要度の高さとカップルで勘案しなければならぬ。
重要度の低いものは真正かどうかはどうでもいい。

工場の生産管理に詳しい人ならば、QCシートの、達成度と重要度のグラフを考えれば理解できると思う。
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2007年09月19日

アルゴの時代98:相互トレーラー(予告編)の時代。



マルチメディアとは、メディア特性を勘案したコンテンツ流通であり、マルチキャストとはメディア特性を勘案しないコンテンツ流通である。

2005年の毎日新聞社が主催した「ネット・ジャーナリズムの可能性」というシンポジウムで国立情報学研究所の曽根原登氏は、ウェブビジネスの成立要件として「所有の排他性」と「獲得の競合性」とあげていた。
当時は、ウェブ2.0という概念がなかったから、「外部性(参加者が増えることが参加者全員の利益になる)」について無考慮なのは仕方のないことだろう。

*

ところで、有料情報提供サービスであるWOWOWやスカパー等において、「所有の排他性」と「獲得の競合性」がビジネスの要件でないことは明らかである。加入者の希少性において、または、加入障壁の高さにおいてプレミアム感を得るようなビジネスモデルでは、WOWOWもスカパーもマイナーメディアのままである。

では、WOWOWやスカパーにつき、いかなるビジネスモデルが考えられるかといえば、相互トレーラーである。



トレイラーとは、映画において、本編作品の前につけられる予告編を意味し、それ自体は価値を見出さぬ。そのように理解されていると思う。だが、ほんとうにそうだろうか。



たとえば、フジテレビのシルク・ド・ソレイユのアレグリアやサルティンバンコというサーカスがある。
あのイベントの本編がステージであり、テレビで流されてCMや舞台裏を紹介するメイキング番組はトレーラーだろうか。

テレビの視聴者が、数千万人のレベルであり、一回のステージ数千人だろう。ならば、1万回公演を重ねたところで、イベント観覧車と視聴者の数が同じになる。
そのことをイベントに冠スポンサーになった企業からすれば、どのように見えるか…。

サーカスのスポンサーになるのではなく、その紹介番組やCMで冠スポンサーとして会社名を連呼されることが、メインになる。つまり、スポンサーにとって、トレイラーでしかないCMやメイキング番組こそがコンテンツそのものであり、イベントはトレーラーを成立させるための役割(アリバイ)でしかない。

テレビ局も観客からの入場料でペイすることなどはなから考えておらず、番組枠を広告的に使うことで広告主からの広告収入を増やすことを目論んでいる。

…でなければ、あのような大々的なプロモーションなど成立するはずもない。



Youtubeにアップされることで、視聴率が上がる時代が来ている。

本編とトレーラー。その関係はすでに主従の関係ではない。

有料放送においても、相互トレーラーによる活性化を果す。そこに果すウェブの存在は大きい。
posted by スポンタ at 05:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

アルゴの時代98:放送と通信の融合。マルチキャストの時代はこない。相互トレーラーの時代にむけて…。

「インターネットは世界に発信する」との標語がいまだ達成されぬように、「マルチキャストの時代」もやってこない。


つまり、今後のプロデューサーたちは、トレーラー(予告編・コンテンツ宣伝)としてマルチキャストを利用するかもしれぬが、本編はマルチキャストには流通させぬ。ということが起きると思っている。



11時台の人気番組「アメトーク」は、あの時間帯でこそ人気番組であって、ゴールデンに行ったら3ヶ月で打ち切りになるのかもしれぬ。ゴールデンで特番が組まれることはあっても、ゴールデンに進出することで番組の寿命は短くなる。

番組編成部も番組担当者もそれを知っているが、非情な編成部はあえてゴールデンに進出させ、番組を短命に終わらせるのである。



マルチキャストされるのはすべからくトレーラーであり、本編はマルチメディア的展開になるに違いない。
posted by スポンタ at 07:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アルゴの時代97:放送と通信の融合。Eプラットフォームの実体。

電通総研の元社長氏が書いたには、Eプラットフォーム構想が綴られている。それは、Eプラットフォームという大宇宙の中に、テレビもインターネットも含まれるという考えだ。

テレビでインターネットが見られ、パソコンでテレビが見られ、ワンセグ携帯でもテレビが見れる時代だから、そのようなコンセプトは当然の論理的な帰結かもしれぬ。
だが、世の中は広告代理店の利益を守るようには動いていかぬ。私はそう考える。



地上波テレビがおもしろくない。と言う人は多い。

その理由のひとつは、視聴率調査会社が分計という一分毎のデータを出したからだろう。CMマタギの手法は明らかに分計対策である。だが、もうひとつ地上波テレビがおもしろくなくなった理由がある。

それは、多チャンネル化・マルチキャスト(広義の意味において)化することによって、地上波コンテンツが最大公約数的な作品づくりを強いられること。

地上波が広告収入に依存していることも、その意味合いを加速する。結果、地上波テレビは、すべてトレーラー(予告編)と化している。
土曜日の午後の地上波の番組枠のほとんどは、番組の予告や番組宣伝のために使われている。かつては、その時間にローカルなスポーツの中継がなされていたと思う。



番組表とは、ひとつのメディアであり、フレームである。
そのフレームがなくなるのが、YouTubeが提起する新しい番組送出形態である。

そのとき何が起こるかといえば、サブカルチャーの低迷であり、カウンターカルチャーの不振である。




テレビとは、東京ドームでコンサートをするようなものだろう。
だが、東京ドームでなければコンサートができぬということではない。200人前後のライブハウスでの熱狂もあるし、2000人程度の公演もあるだろう。
マルチキャストが一般的になり、ユーザーがフレームを感じなくなったとき、すべては東京ドームでのコンサートになってしまうのだろうか。
否、広告代理店が東京ドームのような巨大スペースを提供しようと、プレイヤーたちは、小さなステージをいくつも作って、コンサートをするに違いない。そして、群小たるプレイヤーたちのコンサートを妨害するような巨大ステージは、そうとうの妥当性がなければバッシングを受ける。

ならば、電通総研の元社長氏に都合がいいEプラットフォームの時代はやってこない。

Eプラットフォームのようなテレビとウェブが同居するメディア空間が現れるにしても、それは、かつてのたけのこ族が群出した原宿周辺であり、東京ビックサイトで行なわれるコミックマーケットのようなものであり、広告代理店が活躍する場は限られるのである。
posted by スポンタ at 06:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月16日

アルゴの時代96:電車男と「水曜どうでしょう」。


マルチメディアとマルチキャストについて論じることにした。

マルチメディアとマルチキャストの違い、は、次のようである。

【マルチメディアの例】
電車男。
掲示板の書きこみ→書籍→映画→ドラマ

【マルチキャストの例】(番組販売)
「水曜どうでしょう」
タレントの大泉洋が出演する北海道テレビの人気番組。
北海道ローカルの番組に過ぎないが、私はTVKで毎週金曜日に観る。この番組は、インターネットの「インプレスTV」でも観れるという。この夏、テレビ朝日の深夜枠で、「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇・完結編」がオンエアされた。


マルチメディアでは、メディア変換において、再フォーマット・再オーソライズがなされる。
一方のマルチキャストでは、メディアが変わっても、フォーマット・オーソライズはほとんどなされない。



インターネットイノベーションは、「マルチメディアの時代からマルチキャストの時代」に向かっている。
だが、そのことは、ユーザーをハッピーにしない。



最近、毎日新聞社がヤフーとの関係を強めるという報道がなされているが、それは、それぞれのメディア特性を無視したマルチキャスト的展開であって、マルチメディア的な展開ではない。

権威評価型な情報発信者と受信者のマッチングブランドの合体が不毛なことは、今後のビジネスの行方によって次第に明らかになっていくだろう。
posted by スポンタ at 06:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

アルゴの時代95:ブログと書籍。マルチキャストとマルチメディアの違い。


単著をめざそうとした。だが、単行本に望まれる論述形式で綴ることは、「読者の理解を強制する」と考えて、選択することができなかった。

否、そもそも、ブログをマルチキャスト的に、出版物にしようという考えが間違っていたようだ。

マルチメディアでは、メディアのために再フォーマット・再オーサライズがなされる。

一方、マルチキャストでは、メディア変換のみで新たにオーサライズされずにリリースされる。




編集者氏には迷惑をかけてしまったが、今回の頓挫によって、私にとってのブログの意味がより明確になった。

それは、論述で読者に理解を強制することは傲慢であり、マクルーハンのようにアフォリズム(箴言集)的に記述することで読者の気づきを触発すべき。ということである。

それは、私のブログがコミュニケーション(情報の伝達)を目的にするのではなく、トリガー(気づきの引き金)であることを目指す。ということでもある。


ブログ:
アフォリズム(箴言集)・読者の気づきを触発する。
グラフィティー・序破急・日常的・シリアル的



書籍:
論述的(弁証法的)・読者の理解を強制する。
作品的・起承転結・シリーズ的




私は、このカテゴリーを「アルゴの時代」と命名し、ナンバーリングをつけてきた。
これこそ、書籍メディア的なシリーズ感覚であり、ブログ的なシリアル感覚とは異なる。



尚、序破急とは、落語のように何時でも、「お後がよろしいようで…」と、言えば終われる形式である。
一方の起承転結とは、クライマックスが来ないと、作品を終わることができぬ。そういう形式。

サザエさんは、いつでも、カツオが盗み食いをして、サザエさんが「コラッ」とたしなめれば、何時でも作品にエンディングをつけることができる。だが、土曜ワイド劇場では、主人公を断崖絶壁にまでもっていかなければなかなかエンディングにまでつなげることができぬ。
前者が序破急であり、後者が起承転結である。
posted by スポンタ at 03:24| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

アルゴの時代94:フラット(平等)と分相応(ノブリス・オブリージ)

フラットが革命であり、インターネットがフラット化を推進し、いまよりも理想的な世の中が訪れる。と、考える人が多いようだが、おおきな間違いである。

フラットとは平等だが、個は多様だから平等は不可能である。
フラット・平等の思想のもと、弱者も自力更生を求められ、自力更生のできぬものは、見捨てられる。それがフラットな社会である。

一方、戦前のような分相応な社会では、「強い者が弱い者を助ける」という社会構造が成立していた。つまり、本当に強い者たちの思いにより、「人助け」が行なわれる。これにより、弱者も救済される。

だが、フラットの理想では、強い者たちが存在できず、結果、弱者救済も行なわれない。




私たち日本人は、戦後、進駐軍によって平等という思想が渡来したことを忘れてはならない。
あれからまだ60年余しか経っていない。

日本人には、分相応の精神が似合っており、平等などという弱者切捨ての思想は、精神風土に似合わないのである。
posted by スポンタ at 05:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

アルゴの時代93:安倍首相辞任の理由は、フラットではない日本を嘆いたから。

安倍首相が辞任するという。何故、突然辞任したか、マスコミは分からないというが、そんなことはない。

お友達内閣はともかくも、今回、身体検査をしてつくった大臣たちも、批判され、政治がすすまぬという状況に、絶望したからである。


昨年ネットシンポで、述べている。言論の主体、言論そのもの、意見の三つは分離して、扱われるべきである。興味がある人は、ネットシンポのシリーズを読んで欲しい。



佐々木氏は、「フラット」がいい。という。ならば、日本をフラットにしよう。

閣僚も、与党も野党も、国民も、おなじ尺度で身体検査をする。それがフラットな世の中である。

そして、マスコミも…。

民主党議員の賭けゴルフを批判したマスコミ者たちが、賭けゴルフをしていたら告発される。

テレビキャスターたちが、賭けゴルフを一度も経験したことがないとは、テレビの末端にいた私には想像もつかぬことである。


マスコミの批判の尺度がおかしくなっている。安倍氏が辞意を表明するのも、当然のこと。彼の知性を尊敬する。


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2007年09月08日

アルゴの時代91:1993年と2007年。「バイ・ザ・ウェブ」



私が提案した出版企画「グーグル時代の終焉」は、執筆時に「バイ・ザ・ウェブ」へと変化した。
それは、リアル&ウェブの未来を語るにつき、グーグルを起点にすることに価値を見出せなくなったからです。勿論、2007年のグーグルの詳細を語る才能が私になかったこともある。

今朝、原稿を送付するとともにメイルでお詫びしたが、このブログ上でも、編集氏にお詫びしたい。

結果、「バイ・ザ・ウェブ」提出されたのは、1993年と2007年。そして、それから…。である。

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2007年09月07日

アルゴの時代90:インテグレーションから、アルゴリズムの時代へ。那覇空港の地上職員

企業の情報システムがインテグレーションの標語のもとに行なわれている。
その内容を文系の私は理解しないが、その基本的構造は人事的ヒエラルキーと相似的であるとイメージしている。
ならば、既存のインテグレーションシステムも、単一アルゴリズムの専横に過ぎぬ。との批判をまぬかれない。つまり、統一(統合)されたシステムとは、固定値を導き出すことに優れていて、その値が、必ずしも正しいとは限らない。ならば、近似値を生み出すアルゴリズムを並存させた法が得策である。

演算処理のスピードが限りなく0に近づいたとき、その妥当性は高くなる。否、演算処理のスピードが限りなく0に近づいているにも関わらず、単一アルゴリズムでの処理をつづけることの妥当性は低下している。


その具体例をいかに提示する。

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2007年09月05日

アルゴの時代88:浜田マキ子氏にインスパイアーされて…。

一昨日、浜田マキ子氏にお会いした。マキ子氏は、歌川令三氏の友人であり、「サイバージャーナリズム論」の出版をきっかけに知遇を得た。

彼女と話をさせていただいて、つくづく思うのは、私が思っているようなことは、誰でも思っているということだ…。

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2007年09月04日

アルゴの時代87:浜田マキ子氏と会う。ニュースアグリゲートサービスを提案する。


先週は、本を書いていた。「グーグル時代の終わり」とのタイトルで二百数十枚を書いたが、グーグルを批判するだけに集中できず、編集者の望む原稿にはならなかった。いま、「バイ・ザ・ウェブ」と書き直している。このタイトルは、インターネットによって変わるリアルとネット。そんな感じだ。

そして、昨日、浜田マキ子氏と会った。立会い人は、歌川先生。そして、CS関係者氏である。

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2007年09月02日

アルゴの時代85:タイトル変更。「パラダイムシフト・バイ・ザ・ウェブ」

本を書く。書いている。などと偉そうなことを書いた。
「グーグル時代の終わり」などと、勝手にタイトルも決めた。
この一週間、仕事の合間で、2百数十枚の原稿を仕事の合間の1週間で書き上げた。

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2007年08月31日

アルゴの時代84:鳥越俊太郎氏のコメントを評価する。奈良県橿原市の医療事案について。

奈良県の橿原市で、妊産婦のたらい回し事案が起きた。1年前に分娩に関わる事案があったが、今回は妊娠7ヶ月であり、結果は死産だった。

鳥越俊太郎氏と私は、彼がオーマイニュース日本版の編集長だったとき、開店準備ブログ上で記事とコメントのやりとりをし、メイルのやりとりをしている。

彼は、テレビ朝日の朝の番組で次のように語っていた。

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2007年08月30日

アルゴの時代83:無名の個が発信力を得るに至る道筋。

昨日のエントリーが極めて散文的なことを恥じている。

だが、そのような散文的な表現をしてもさえ、原稿をアップさせたくなった理由は何かと考えていたが、それに気がつくことができた。

 それは、無名な個が発言権を得るに至るプロセスの問題である。

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2007年08月29日

アルゴの時代82:さくらパパ。真偽と重要度。

さて、私は、普通の男であれば、綺麗な人がいたらエッチしたいという気持ちを理解する。そして、尊敬できる人が妾を持っていたからと言って、そのことでその人の尊敬をやめることは不自然だと思っている。
私は一切の賭け事をしないが、さまざまな場面でのゴルフで「握り」が行なわれていることは衆知のことだ。

勿論、自分の周りの人たちを、自らのセックスや賭け事で不幸せにすることは、人の行いとして褒められたものではない。批判されてもいい。
だが、それをして、発言権が失われるとしたらどうなのだろうか。

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2007年08月27日

グーグルは早い・安い。だが、美味いかどうかは未確定。

2日間、ブログを休んだ。

その理由は、「グーグル時代の終わり(仮題)」の原稿を書いていたからだ。

巷間、ブログをそのまま本にするというムーブメントが続いている。
だが、実際にそのようなことが成立しているかどうか。私には疑わしく思っている。

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2007年08月21日

アルゴの時代81:受信者に広告枠マージンの入る時代。aglocoって何? (その2)

aglocoとは何かといえば、自分のパソコンのディスプレイにツールバーを置くことで、広告枠収入をネットユーザーが受け取るシステムである。

アズワードは、無名の情報発信者が広告収入を得る方法だが、aglocoはそうではない。
無名の受信者が広告枠収入を得るという画期的なもの…。



先のリンクした画面に、名前とアドレスを書き込めば、簡単にaglocoに登録ができる。

まだアメリカでしか稼動していないので、広告収入を得ることはできぬが、9月には日本版もリリースするという。
状況は、セカンドライフと同じ。まだ、日本語版のリリースはないが、一部の人達の間でもりあがっている…。


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posted by スポンタ at 10:37| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月20日

アルゴの時代80:24時間テレビとYouTubeと2ちゃんねる。


ことしの24時間テレビ恒例のマラソンは萩本欽一氏だった。彼は、沿道の観衆とハイタッチをしながら、ゴールをめざした。

テレビの画面の中でおこなわれることは、たとえ生番組であったとしても、100人以上の人間の合意・総意のもとで制作されている。そのことを忘れてはならぬ。

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posted by スポンタ at 08:57| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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