2015年06月02日

分かりやすい武道の定義。

先日、剣道の国際大会があり、その判定に、かの国のウェブが反応しているという。

以下、YAHOOのコメントから引用。続きを読む
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2015年06月01日

ルネ・マグリットの革新性について…。

一般の画家は、「どう描くか」で、画家としてのアイデンティティーを主張した。
しかし、マグリットは、「何を描くか」で、自己を誇った。


さらにいうと、「何を描いたか」という画家の問いに対して、観客は「何が描かれたか」を鑑賞するのが本道だろう。

それを、形而上的(メタ)に解くことが必須であり、形而下的(リアル)になぞることに意味・価値はない。

とすれば、マグリット作品の鑑賞において、観客は、従来の「感覚知(身体知)」で鑑賞するのではなく、「形式知(意味)」として鑑賞しなければならない。

マグリットの作品が観客に強いるのは、「作者が作品に託した意味」ではない。マグリットが作品で示したのは、作品の「構造」。したがって、観客は、「メタ鑑賞」をしなければならない。
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2015年05月28日

殺される人・殺されない人…。

最近、ウェブ広告で「誰も言わない明治維新の真実」がよく乗っかってくる。一度興味をしめして、クリックしたら、履歴が残ったのか、別のサイトを見ていても、広告が載ることが多い。さらに、Googleで検索をかけても、広告でよく出会う。
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2015年05月23日

面接対策…。

ここ数日、娘が、ある奨学金の書類審査に合格し、二次審査の面接に向けて、対策をディスカッションしてきた。

基本ラインは、「いままでの経歴」を、コンピテンシー的な実績となるような「ナラティブ(物語化)」を試みること。

その項目たちの重要度のランクづけ。


それらによって、「自分の経歴」を誇る嫌味を軽減できる。
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2015年05月18日

映画「ハンナ・アーレント」解題。

娘の大学の研究会の課題になったハンナ・アーレント。
教授は、映画もあるよと紹介したので、私も観た。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

何の知識もない大学生に、分かるはずもない。
つか、岩波ホールで、久しぶりに満員になったというが、この映画を理解した観客がどれほどいたのか?

映画の公式サイトにある、ハンナ・アーレントに関する解説で、何が分かるというのか…。
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2015年05月11日

親離れ・・・。

このブログの読者なら理解するか、はたまた、呆れるかもしれぬが、私は、娘の大学の授業の塾講師のようなことをしている。
勿論、その理由は、私の研究分野に、娘が飛び込んできたからである。00年代に、共著本が一冊出ているだけで、何の成果はない。

娘が大学に進学するにあたり、私は研究内容を解説し、理解させた。なぜなら、それは、「インターネットにおけるコミュニケーションの研究」だから・・・。

インターネットは、Googleの時代から、SNSの時代に移行しており、私の研究の社会的な価値は、決して低くはない。とはいえ、私の研究が真実を含んでいるとしても、それはアカデミズムとの親和性は極めて低い。

そして、大学1.2年で娘が理解し、大学という場で、自分の意見として発表してきた。しかし、いまだ、娘の研究を理解する人も、価値を認める人も皆無である。続きを読む
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2015年05月09日

ジャズという音楽があるのではなく、ジャズな人がいるんです。

とは、ヨルタモリの東北のジャズ喫茶のマスター吉原さんの言葉。
吉原さんのモデルは一関のジャズ喫茶のマスター・菅原さんである。私と娘は、ブルーノート東京の開場前のドア近くで、そわそわする菅原さんを目撃している。
勿論、当日の出演は、カウントベイシー楽団である。

菅原さんは、早稲田大学ハイソサエティーオーケストラのドラム出身だが、タモリ氏はダンモ(モダンジャス研究会)の出身である。
娘は、縁あってその50周年記念コンサートを観に行った。その記念コンサートの司会は、娘の高校の大先輩であり、メインゲストは娘の先生である。

コンサートのパンフレットで、タモリ氏は、「ジャズの素晴らしいところは、音楽が誕生する瞬間に立ち会えること」と指摘する。続きを読む
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2015年05月08日

セマンテック・ズームの必要性。

菊地成孔氏と町山氏の論戦を、ちょっと遅れ気味に観戦している。

http://www.kikuchinaruyoshi.net/2015/04/22/町山さんに激敗-笑/

結論を言えば、誰かが「まとめサイト」を作ってほしい。
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映画「セッション」につき、菊地成孔氏の批評は、間違っている。

菊地氏は、「いまからでも、アメリカに行って、ジャズの現状を正したい」。しかし、英語ができないからもどかしい。と発言している。

その後、菊地氏は、町山氏と映画論・作品論に終始しているが、「本質的な問題」は、主人公のふたりが「速く演奏すること」・「合わせること」がジャズにおいての理想・目標である。と認識していることであろう。


しかし、これは大間違いである。

日本でも、「速く演奏すること」&「合わせること」が理想・目標と認識されている。

ならば、菊地氏は、アメリカになど行く必要はない。

夏の「山野学生ビッグバンドコンテスト」に行き、「(かつての国立音大のような)速く演奏するバンド」のステージと審査員に向かって、中指を立てればいいのだ。

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2015年04月27日

元LINEの森川さんの至言。

あるイベントで、学生から、「これからの面白いコンテンツって何ですか?」という質問に対して、彼は、

「もうコンテンツというパッケージで見るのが古い。関心がある人がリーチできるかどうかが勝負。可視化するか否かで、コンテンツになるのか、単なる出来事で終わるのかが変わる。

と答えたという。

さすが、LINEで日本中にその名を知らしめた人である。
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2015年04月17日

田原総一朗氏の誕生日に集まった面々…。

障害者ベストセラー氏、金髪つだる氏、他の人たちが集まったという。
娘の後輩であるウェブ有名人学生も、「錚々たるメンバー…」との感想を語っている。
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2015年04月12日

この国のかたち(5)

6. 日本のオリジナリティ。
日本のオリジナリティは、極めて厳しい「現実主義」であり、それは、縄文に起因する。
縄文スピリットの確信は、西欧の近代が捏造したさまざまなコンセプト(個人主義・人道主義・唯物論・現世主義・二元論)を価値なきものにする。
つまり、日本こそが、脱構築であり、フランス現代思想を現実化したもの。サルトルの学問が、禅とほとんど同じだということは、そういうこと。

7. 日本語
現代日本語には、終止形はない。なぜなら、鎌倉時代に日本語の転換期があり動詞の活用において、終止形は連用形を借用するようになったから。この背景には、日本人が「言い切ること」を嫌う心理があると想像できる。
現代人の若者言葉でも、「・・・じゃね。(言い切らず、疑問形にする)」「・・・みたいな(言い切らず、形容にする)」等、文末をぼかすことで言い切らない慣用表現が多く生まれている。
ハイコンテキストなコミュニティーでは、「自分の意見が、他人と異なる」と異分子として追放される。そのため、「自分の意見」を言わない・誇示しない慣用表現が多い。
一時期流行した「私の独断と偏見によって・・・」という慣用表現が、「自分の意見を孤立化することで、摩擦を避けよう」という心理の表れである。
お笑い芸人の「もしかしてだけど、もしかしてだけど・・・」という歌詞も同じ。かつてのお笑い芸人・ギター侍は、さまざまな批判を述べたあと、自虐したあとに「切腹」とさけぶことで、心理的な摩擦を抑えていた。
*
民間の研究では、古・日本語には、動詞がなかったという。その理由も、同様で、「命令形」で他者と摩擦を起こしたくない心理があると思われる。
長年連れ添った夫婦の会話で、よく言われるのは「風呂」「飯」「寝る」だという。ここには、命令形はなく、女房が「やらなければ、自分が支度する意思」を示している。老夫婦の「寝る」には「同衾する」という意味を含まないので、さしたる準備はいらないから、動詞なのであろう。
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2015年04月11日

この国のかたち(4)


4. 自給自足系の文化で、国家として成立しているのは、日本だけである。
縄文文化は、弥生文化に侵食されてしまったが、その精神は、日本人のスピリットの中でサバイバルしている。
3.11の大災害の中で、パニックが起こらなかった・利己的な行動が少なかったのは、その証明である。

5. 貨幣経済と闘ってきた日本社会。
鎌倉時代にすでに納税の過半は貨幣によっていたという。しかし、悪貨は良貨を駆逐する。そこで、持ちいれられたのが、米本位制である。
戦国時代が訪れたのは、下剋上の世の中になったのではなく、貨幣経済により家父長制が崩れたのである。
父に従っていれば、生涯安泰の時代は終わった。そこで、お金を集め、鉄砲を買い、武力で隣国を支配して、サバイバルする時代となった。賽銭箱を始めたのが信長だというが、分かりやすい。この時代に、ザビエルが来日していることは印象的だ。

戦国時代を終了させた家康が、「米本位制」にこだわったのは当然のことであり、その結果、200余年の江戸時代の安逸を訪れた。米本位制であれば、諸外国の影響は最小限に抑えられる。
しかし、ペリーがやってくると、そうもいかない。アヘン戦争の中国のようになってはいけないと、幕府は開国し、薩長派閥体制による明治政府がスタートした。そして、日本の経済は外国勢力に蹂躙される。そこで、西郷隆盛は米本位制を提唱するが、西南戦争の露と消える。
明治以降、世界恐慌をはじめとして、日本経済はさまざまな痛手をおってきた、その最大のものが、第二次世界大戦であり、バブル経済とその崩壊である。
さらにグローバル化がすすむ時代の中で、世界経済に内包されることで、日本が世界経済を好転させることを期待したい。
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2015年04月10日

この国のかたち(3)


3. 大和朝廷の公用語は、中国語だった。
とすれば、「大和朝廷は、大陸人(中国人・朝鮮人)に牛耳られていた」とみるのが自然である。つまり国家の中枢は、異国人であり、奴隷たちが、異国人のために異国語を使って公用文書を作ったのである。
しかし、日本は、そのままではなかった。その後、日本語が公用語となっていく。アメリカインディアンの言葉が、アメリカの公用語になることはないし、アフリカでも、部族語が公用語になることがないから、これは異例のことである。
私が想像するに、異国人たちは「日本に同化すること」を強く望んだのであり、それほどまでに「日本の文化・伝統・習慣」に妥当性があり、魅力的だった。
平安時代に日本を支配した藤原家の起源の藤原鎌足は、南朝鮮の王子だというが、彼が朝鮮のやり方に固執したという話は聞かないし、藤原道真にしても、「故郷に錦を飾る」ような感覚はなく、日本人としての人生を謳歌したようである。
本来であれば、レコンキスタとばかりに、朝鮮半島に進軍するだろうに・・・。
それほどまでに、日本は特異であり、魅力的なのだ。
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2015年04月09日

この国のかたち(2)

2. 稲作は、徴税作物・商品作物である。したがって、それを愛でるのは弥生な人たちである。日本には、縄文と弥生というふたつのルーツがあることを理解すべきである。

一般的に、先住民族が暮らしていた地域に侵入した民族が、先住民族を奴隷として使って国家(支配体制)を建設することは、世界中で起きていることだ。

・自給自足:縄文人 → 採集
・パラサイト:弥生人 → 農業により自然を搾取。家畜。

※ 桓武天皇は、肉食は家畜、家畜は奴隷制につながるとして、肉食を禁じた。
※ 刀狩りを実行できたのは、秀吉以外、世界史に例がないという。

ヨーロッパでは先住民族としてケルト民族があげられる。近代において、アフリカ大陸では、ほとんどのアフリカの部族が、ヨーロッパ文明に支配されたことは、言うまでもない。「支配民族は、被支配民族が自立する術を奪う」。アフリカで飢饉が頻繁に起きているのは、アフリカ人が、チョコレートなどの経済作物を作ることを強制されていることも一因である。
日本では、採集による自給自足の生活と、緩やかなコニュニティーをつくりあげてきた縄文人が、紀元後数世紀から、農業技術をもち中央集権国家を形成している弥生人たちの侵略を受ける。武器をほとんど持たない縄文人たちが、(騎馬?)武装した弥生人たちに侵略されるのは、必然である。
そのようにして、徴税作物としての稲作が日本に定着したのであり、その施策をすすめるために「瑞穂の国」伝説が捏造されたのである。稲の植生に合わない東北地方で飢饉が頻繁に起こったのは、稲作が強制されていたためであり、東北が最後まで大和政権に抵抗したのは、飢饉を考えると、中央政権に妥協できなかったからに違いない。
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2015年04月08日

スポンタ版・この国のかたち。

娘が、フランス人講師の授業を受け、従来の日本文化・歴史・社会心理の紹介ではない、実用生活に応用できるビデオを作る。ということなので、私なりに「従来・既存の日本分析の誤り」を指摘しておく。


1. 日本は、ハイコンテキスト(同一性が高い)な文化である。

それが、日本を解釈するための、第一原則といっていい。つまり、「和を持って、尊しとなす」というような伝統は、「理想」としては存在するが、「現実」ではない。

ローコンテキストのコミュニティでは、異分子がヒーローとして扱われることもある。
しかし、ハイコンテキストのコミュニティでは、異分子として阻害される。
たとえば、スポーツファンの集まり(ローコンテキストなコミュニティ)では、阪神ファンと巨人ファンは、同じ野球ファンとして仲良くできる。しかしプロ野球ファンの集い(ハイコンテキスト)では、巨人ファンと阪神ファンは反目する。

「ハイコンテキストなコミュニティ」を、円滑に運営するために、天皇制や、家父長制など、さまざまな「階層的な身分制度」が整えられてきた。しかし、日本人の本質は、「現実主義」なので、「全体の存続」のために、制度を破ることは許容される。「お家騒動」・「切腹」はその類い。そこが、騎士道と武士道の違いでもある。
天皇制や江戸時代の藩の制度では、天皇や藩主は統治しない。彼らは、求心力の源泉であり、統治において内部崩壊が起こっても、コミュニティとしての求心力を失わせない制度である。また、上部組織のトップも単独ではなく、集団指導体制であることが多い。

このように、伝統的な日本のコミュニティ設計は、西欧とはかなり異なる。明治以降に導入された制度にとらわれていると、日本の本質を見誤る。
日本の裁判でも、「謝らなければ、厳罰」だが、「自分の非を認めて謝罪すれば、減刑される」。証書の裏の細かい文字を、一般消費者が「読みませんでした」といえば、それを考慮して、裁判が進められる。日本の裁判制度は、きわめて「温情的」であり、そのような「隣人との心理的な融和」を絆として、日本社会が営まれている。
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2015年02月25日

IT天才中学生は、今。

娘の後輩でもあるウエブ有名人のtwitterをよく訪れるのだが、「情報の先生用の支援サービス」を始めた。とのこと。

https://tech4teachers.jp/

サイトは凝っていて、「流石」と思わせる。

*

だが、「彼の両親は、彼のことをどう思っているのだろうか」。
天才と謳われた個性の終着点が、「ホームページ業者」・「教育関係業者」で残念。と思わないのだろうか。

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2015年02月24日

ハタハタ3匹が標準で、一匹はありえないか。

といえば、私もそう思う。せっかく秋田まで行ったのなら、愚痴りたい気持ちも分かる。
しかし、問題は「お店の固有名詞」を出したことである。

特定複数の会合では、それも許容されようが、ライブという不特定多数のシチュエーションでは、やってはいけない。

関連して「チクった奴批判」もあるが、認識不足である。

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2015年02月22日

NHKのアポロ陰謀説解説番組に思う。

番組では、科学的解釈として、月面の旗が揺れる理由や、UFOに見える宇宙船からの廃棄物をあげた。
登場した大学教授は、陰謀論を操る人の「自分だけが知っている優越感」をあげた。
しかし、ヘルメットのシールドに移りこんだ太陽が大きすぎることには、言及しなかった。




私が指摘したいのは、「陰謀論を否定すること」も、陰謀論のひとつだということ。
何故なら、「否定すること」で、陰謀論の「情報としての価値」を増加させているからである。




今回、何故、NHKが全国放送でアポロ陰謀論をとりあげたのか、これこそが「(明らかなる)陰謀」である。

すべての情報は、当事者でなければ、肯定も否定も出来ない。
ならば、相対的に俯瞰する。
それが、科学的なやり方のはず。


神が去って以来、世の中のすべては、相対的に存在するのだから。

ということで、閲覧諸氏も、相対化してみては・・・









パート14まであるらしい。
この番組でも、述べているが、「わざと見つかるように映像を制作した」のではないかということ。
勿論、それを暴いているのだから、これらの番組も陰謀に加担している。

(^▽^;)

ならば、今回の番組で感じるのは、NHKは極めて稚拙な固有の立場だということ。
アメリカでは「わざと見つかるように映像が仕組まれている」と暴露しているのに、日本では「騙されるように、番組がつくられている」。

・・・この差は大きい。







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2015年02月20日

橋田寿賀子賞のような・・・。

娘は、社会学部系の学部に所属しているが、4月から3年になるので、そろそろ研究を実験段階にしなければならない。

研究テーマは、評価の社会実験。


というので、いろいろとディスカッションしていたのだが、

娘が突然、「それって、橋田寿賀子賞のような奴でしょ・・・」と言い出す。


何かをする時、一言で説明できないと、人は動いてくれない。
その意味で、キャッチフレーズは重要で、その場合、巧みな比ゆ・形容は効果的だ。



「橋田寿賀子賞のような」とは、「そのようでいて」まったく「違う」ことを示唆する。

シナリオ修行もしていない娘から、こんな言葉が出てくるとは驚いた。本田ケイスケのように、リトル・スポンタに聞いてみたが、「そんなことを、自分が言った記憶はない」との答えが・・・。

驚いている。



昨日、娘はゼミで学生幹部との面接。

一口サイズのお菓子とジュースの差し入れをしたら、「そんなことするの〇〇さんだけ」・「差し入れのセンスがいい」と喜ばれたのだか。


*

私の前では、優柔不断な発言をする娘だが、ゼミ内では毒舌で知られ、毒舌への反発を中和させるのが、差し入れの狙い。

撮影現場の「差し入れ」の重要さを、幼い頃から教えてきた成果が、やっと出てきた。と私はうれしくなる。

*

娘の就職後の進路は、「差し入れされる側」ではなく、「差し入れする側」を希望しているが、どうなりますか・・・。














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