2018年07月17日

日本音楽コンクール・ピアノ部門の審査基準は〈タイム感〉。



日本音楽コンクール・ピアノ部門のドキュメンタリーを観た。

本選に残った4人は、大学生、卒業生など・・・。しかし、優勝したのは、高校生。

審査委員は、審査基準を「テンポ感」「リズム感」とカメラに向かって告白する。

そして、本選の演奏の抜粋、それに向けての準備の日々の映像を観る。
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はぁちゅうとしみけんが事実婚!

「はぁちゅうの悪だくみ」の元Dentsu社員のはぁちゅうさんと、食糞を公言しているAV男優のしみけんが「事実婚」だと。

ふむ・・・・。

いろいろと面白いのだが。

どうなることか。

ジャニーズタレントのMJさんは、AV女優との交際が明らかになって、飲尿しているのでは・・・。と、噂が立ったが、はぁちゅうさんはどうなんだろか。


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2018年07月04日

ル・マンの勝者、豊田章男氏(社長)・中島一貴氏(ドライバー)のパーソナル形成論。

 

「生成承認項目フレーム・生成自己肯定感フレーム」について、考察している。

これは、ローレンツの「発生時の刷り込み理論」。アドラーの「承認欲求理論」と、チョムスキーの「生成文法」に触発されて、構想したオリジナル理論である。


概要は以下。


・人間は「自殺する(生理的な自殺)」唯一の動物である。
・「自殺しない」ために重要な心理的な要因が「自己肯定感」である。
・「自己肯定感」は、「承認者により承認される」ことにより、強固になる。

※ 「引きこもり」「無差別殺人」は〈社会的な自殺〉である。

1. 生まれる前の人間(個)には、「承認項目のフレームがある」。デフォルトは「空欄」である。
2, 生まれると、個は「承認者」を決定する。
   ※ 「承認者」は両親であることが、ほとんど。
3. 個は、「承認項目」(承認者に認められる項目を決定する)。
   ※ 親の「ものいい」「行動」や「環境」から、承認項目が決定される。家業があると、それを継ぐ「個」が多いのは、そのせい。
4. 個は、「(刷り込まれた)承認項目」の妥当性を、実社会を観察・体験して吟味する。
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2018年06月29日

民族の記憶(ドーハの悲劇)


ワールドカップのポーランド戦。

最後、10分ほど、ボール回しに終始して、決勝トーナメント進出を決めた。

この作戦を非難する人は、ドーハの悲劇を忘れている。

日本代表のメンバーは、ドーハの悲劇を痛恨事として覚えているから、ボール回しでゲームを終了することに躊躇がない。
今回の戦術を批判する人は、サッカーの歴史を知らない。


早くも、西野采配に批判が集中しているという。
だが、オカドチガイ。

勝つことが、試合の目標。西野采配に文句を言うぐらいなら、その前に、戦略的なファールを批判すべきである。
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2018年06月28日

西野監督とピーター・ドラッカーの至言。



練習試合3試合と、本番2試合。

練習試合は、2敗ののち、初勝利。

本番1試合目は、開始早々のラッキーから、「勝利」し、
2試合目は、2度「同点に追いついた」。

まさに、上げ潮である。
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2018年06月20日

試合後のスタンドのお掃除は、「運」を呼ぶため。


機能論的にしか分析されていないのが、マスコミの不備。
あるべき分析は、日本人の存在論・世界観である。

マスコミもウェブも、「日本の求心力を削ぐ」ことを目的に発信している人が多数存在するので、日本人の本質が語られない。

ファンの「お掃除という善行」は、自分たちに「幸運」が舞い込むためにやっている。

モラルの問題ではない。
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日本代表、初戦の勝利の理由。


ハリルホジッチ監督を続投していたら、思うとゾッとする。その理由は、乾・柴崎両選手のサッカー人生を台無しにするから。


「ドーハの悲劇」では、ハーフタイムに「異常に盛り上がった感情」を抑える人がいなかったと、当時のメンバーが述回する。
「悲劇ではなく、必然だった」。

同様に、「マイアミの奇跡」も、積み重ねたブラジル対策の結果だから「奇跡ではない」。
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2018年05月29日

純粋・村上春樹批判。(グルーヴは、うねりではない)


私は、当時の彼女から「風の歌を聴け」をすすめられて読んだが、何も感じなかった。

その後、「ノルウェイの森」に熱狂する後輩にもついていけなかった。

そのことは、「私の感性は、世間とズレテイル」と反省させた。


私はかならずしも「小説が嫌い」というのではない。

吉行淳之介の小説は読破しているし、司馬遼太郎もほとんど読んだと思う。面白いものは、面白い。
宇野千代の「おはん」は、傑作だと思う。

だが、村上春樹には、何も感じない。


さて、彼のエッセイに「意味がなければスイングはない」というのがあると知る。

元ジャズ喫茶のオーナーである彼が、「いい加減なこと」を言うから困る。


あとがきで村上は「ただの言葉遊びでこのタイトルをつけたわけではない」「この場合の『スイング』とは、どんな音楽にも通じるグルーヴ、あるいはうねりのようなものと考えていただいていい」と述べている。

× どんな音楽にも通じるグルーヴなど存在しない。

× グルーヴが存在できるのは、堅調な〈タイム感(メトロノーム)〉がある場合だけ。テンポルバートの音楽では、グルーヴはありえない。

× つまり、「うねりのようなもの」がグルーヴと考えている時点で、村上春樹は、「グルーヴを理解していない」。




ニューハード(ビッグバンド)出身の片岡雄三氏は、「ビートをバンドに預けると、グルーヴできない」と、体罰で全国的な知名度を得た日野皓正校長の中学生バンドで指導している。

この場合のビートとは、〈タイム感〉のことである。



「グルーヴは、うねり」などという「分かったような・分からないような表現」を使うのが、「文学者のやり方」だとしたら、愚劣である。


スウィングの明確・正確な定義をしない・できない。

・・・グルマン的(量を誇る)にジャズを鑑賞してきた人なのだろう。

スウィングとは、「クロノス時間からの微妙な乖離(カイロス時間)」である。それを、村上氏は分かっていない。




さらにいうと、「音楽は意味を表現しない」。
音楽が表現するのは、「意志」である。


ベルリオーズの幻想交響曲の最終楽章のように、「マリー・アントワネットの処刑に至るシーン」を時間を追って「意味」を表現するのは、陳腐。

ベートーヴェンの「運命」や「熱情」など、「意味ではなく、意志」を表現するに留めるのが、「芸術的」である。


村上氏は、モダニズムの人、知性の人であり、

spontaは、ポストモダン。anti知性の人。

二つの立場の違い。

破断的に、「キース・ジャレットは胡散臭い。ウィントン・マルサリスは退屈」などと言ってもらっては困る。きちんと形式批評してもらわなければ・・・。

ここにおいて、村上氏は、「革新を求める」というジャズの本質は分かっている。ただし、破断的に表現している。

私が解説するなら、
キース・ジャレットは、「大衆から支持されている時点で、革新なのかどうか疑わしい」。ウィントン・マルサリスは、「過去のジャズを追っているだけで、革新ではない」。



・・・な感じ。純文学のファンは、ジャズのファンとかぶっていると思ったので、あえて記述した。
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2018年05月28日

リラックスの意味。

 
アナハイム・エンジェルスの大谷選手が、パフォーマンス時に「リラックスすること」を心がけていると発言している。
だが、巷間、「リラックス」の効能が理解されているだろうか・・・。
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2018年05月25日

不倫写真。「男は何故、手をつなぐのか」。


写真週刊誌。最近では週刊文春が、多くの不倫現場の撮影をあげている。

有名人・芸能人なら、対策を取るべきはずなのに、「手をつないで歩く姿」を撮られてしまう。
その理由について考察する。


AV男優のしみけん氏(法政大学合格も入学せず、クイズにも深い造詣。ゲイ雑誌の記者だったマツコデラックス嬢に「あんたは本気でAV男優を目指しなさい」とアドバイスされたエピソードがある)は、水道橋博士(明治大学に入学するも、一日も通わず)との番組において、次のように解説する。
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2018年05月23日

日大アメリカンフットボール部のニックネームは「フェニックス」。


昔、法政大学のラグビー部の人から聞いたエピソード。

篠竹監督が合宿所で鳥を飼っていた。

カリスマ監督は、鳥をとても可愛がっていた。

「鳥が死ぬと、監督の機嫌がどうなるか分からない」と選手たちは考え、鳥が死ぬと、新しい鳥を買ってきて、監督に気づかれぬようにした。

日大アメリカンフットボール部には、不死鳥。フェニックスがいたのである。



ちなみに、

篠竹監督のショットガンフォーメーション。

私は、「決め打ち」のパスでないところが、「行き当たり、ばったり」と感じて、好きではなかった。

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宮川泰介君の素晴らしさは、「正直」だからではない。


彼のすばらしさは、「組織に殉じた」からである。

高須クリニックの高須氏が、宮川君に関連し、「彼は、高須グループが求める人材であり、彼が、海外留学をしたいなら、費用を出す」と発信している。
高須院長曰く、「正直者が好き」。

だが、それは間違っている。


宮川君の素晴らしさは、まず、試合で、「チームのために、自らを捨て」。

さらに、記者会見で、「日大のために、自らを捨てた」ことである。


「正直者はバカを見る」のであって、「バカ正直な人間」を組織にとっても不都合である。

だが、宮川君は、「自分の属した組織」のために、自らを捨てる勇気を持った。

そこが、素晴らしいのである。


若い人は、間違っても、「ワシントンの桜の木のエピソード」を信じてはいけない。
「真実を白状」しても、世の中に正義などないから、無為。
正直に振る舞うことは、「心の弱さ」の反映であって、人間は「良心の呵責」に耐えながらいきるべき。


宮川君には、「自分を捨てる」勇気があり、「他人を批判しない」という美風があった。

だから、評価すべき。評価したい。




捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ・・・。
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「花伝書」は間違っている。



花伝書では、「やる気を無くす」から、若い時期は「自由にやらせる」べきと説いている。

だが、それは間違っている。


「絶対音感」という特技があり、幼少期でないと収得できないことが知られている。


家を建てる時、「基礎が傾いていた」なら、どんなにすばらしい建築を建てても「無駄」。


「芸術の技能」も、基礎があって、応用がある。

基礎的な部分が「間違っている」まま、応用編に突入してしまうと、基礎的な部分を修正しづらい。というか、ほとんど不可能。
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2018年05月16日

奇跡のショット

コンラートローレンツの「刷り込み理論」と、チョムスキーの「生成文法」を合体させ、「生成承認フレーム」という新概念を構想しているが、こんな写真をかつて撮影していたことを思い出した。

kamo_03.jpg

小学生が稲作体験をする近所の公園の夕方。
カルガモの隊列を娘が追うのを見て、急いで撮影ポジションに動いたのを覚えている。

その後の私の研究という意味でも、まさに奇跡の一枚。
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2018年05月15日

ナッツ姫・水かけ姫の「(歪んだ)承認要求内容」。



アドラーの「承認要求」説と、チョムスキーの「生成文法」を合体させた「生成・承認要求フレーム」を構想した。

それは、

誕生後の「初期入力値」。

その後の「バージョンアップ入力値」で構成される。(spontaのオリジナル理論)

※ アドラーの心理学では、人間の環境認識は「人間関係」が基本であり、その中でも『他人(特に親)に「承認されること」が重要である』と説く。

※ チョムスキーは、人間は誕生後に「言語を習得する」のではなく、誕生前に、言語の基本構造(主語・述語・目的語のフレーム)である「生成文法」を持っていると説く。

※ spontaの「生成承認欲求」説は、コンラート・ローレンツの「刷り込み」理論にヒントを得ている。
「刷り込み」が行われるのは、「刷り込み」の媒体(フレーム)が、「誕生前から存在している(生得的)」からであろう。
でなければ、「動いているボール」を「親と誤認する」などありえない。
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2018年05月14日

このブログでは〈本質〉を書く。

数学者の岡潔は、日本文化の特徴として「真如」をとりあげた。

「真如」とは、「(量を誇る)知識」ではなく、「短い言葉で真髄を表現すること」である。「真如」では分かりにくいので、spontaは〈本質〉と言い換えることにする。

※ 岡氏はその他、日本文化の特徴として、「(競争心ではなく)向上心」、「(感情ではなく)真情」をあげている。
※ 真情とは、「人間と環境・自然がともに喜ぶこと」。


最近、「現代思想」のムック本を読んでいるが、人類学では、中央アメリカ原住民の叡智に注目している。

中央アメリカ原住民の文化は、日本民族と同じ「自給自足系」であり、西洋文明の「寄生系・自然征服系」に対照する。
もっとも、「自給自足系文化」は縄文文化であり、日本民族のもうひとつのルーツ「弥生系」は「寄生系・自然征服系」である。
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2018年05月12日

「くぱぁ」ってオノマトペなんだって。(猥談)


オノマトペって、擬声語、擬態語とのこと。

エロ系のジャーゴン(専門用語)だが、女性器が「口を開けた」時の擬声語。

というか、そんな音がするはずもないから、擬態語である。


なんともビミョーな表現だが、なんだか納得する。
日本人の感覚って、不思議。
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2018年05月10日

「前略おふくろ様」のモチーフは妥当なのか・・・。 (その3)


萩原健一が演じる片島三郎青年は、田中絹代演じるおふくろ様の「輝いていた青春」を知らないことに「原罪(ぬぐい去ることのできない引け目)」を感じている。

「しわくちゃのおばあさん」としてのおふくろ様しか知らない自分は、「憐憫したり・見下す」ばかりで、母親に対して、「あこがれたり・見上げたり」しないと、自問自答。

−−−そして、反省する。

だからといって、田中絹代の若かりし日の映像が流されるのではない。映し出されるのは、蔵王のスキー場の食堂の厨房で割烹着を着て働く姿のみ。

一度、東京に来て、「オニオングラタンスープってもんが食べたい」。ただそれだけ。
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2018年05月06日

NHK「奇跡のレッスン」吹奏楽編を見た、中高生の吹奏楽部員に。 (その2)


「知識」は情報量を誇るが、「本質」は短い言葉で表現される。
悪人正機説(法典を勉強した僧しか極楽往生できないのはおかしい。それでは、働くことがない人ばかりの世の中になる。仕事に生きた人も極楽往生できる)で言えば、「知識を誇る人」は銀。「本質」を短い言葉で表現することが金である。


【音楽のアナリーゼの本質】

・「継続要素」と「異要素」の定着。

※ 継続要素は「調和的・さりげなく」に、異要素は「印象的(意図的・わざとらしく)」に表現する。
・メロディーの解釈は、「メロディーの構成音」と、それをつなぐ「経過音」&「刺繍音」に分類される。構成音が〈主〉、経過音・刺繍音は〈従〉として表現されるべき。


たとえば、「ツアラツーストラはこう語った」(リヒャルト・シュトラウス)の冒頭。

1度5度1度のメロディーは、調(主音)を現しているから、「継続的」。
その後の3度2度は、調性(長短)を現しているから、「印象的」な表現となる。


音楽は「純粋」であるべき。「意味」を表現するのは堕落という考えがある。

たとえば、ベルリオーズ「幻想交響曲」の終楽章は、コンシェルジュリーの牢獄から引き出され、パリの街を引き回され、コンコルド広場でギロチンで処刑されるまでが、音楽として描かれる。
・・・だが、それを知ってしまうと「陳腐に聞こえる」。

私が結論するのは、「音楽が表現すべき」は、「(意味ではなく)意志」である。


娘は日野バンドのドラマーに、君の演奏は「何かをやりたい」感じがするとの講評を得たが、それは、最大限の讃辞である。
その「何か」が明確な演奏は、ベルリオーズの楽曲のように「説明的」。





アナリーゼにおいて重要なことは、「音楽でアフォーダンスすること」である。
※ アフォーダンス:何かを感じさせること。

そのために演奏家は、楽譜に込められた「(作曲家の)意図」を察知して、演奏に盛り込む。
つまりはアナリーゼ。「譜面通りに演奏する」だけではダメなのだ。


2000年。私はギャルド・リュプブリケーヌ吹奏楽団が出演する教材ビデオのディレクターをつとめたが、日本人作曲家が初演を聴いて「譜面通りに演奏しているだけ」と呟いたのを覚えている。 (同行、音楽監修者は、真島俊夫氏)

世界一の楽団でも、そんなもの・・・。


ちなみに、日本でよく演奏される「リシルド序曲」は、ギャルドの楽長の作曲だが、楽団で「その存在は忘れ去られていた」。
重層な和音の響きが、日本人に好まれたのであって、フランス人には「やぼったく」感じられたに違いない。

我が吹奏楽部顧問(松本先生)は「全国大会出場」を目指して、「隠し味」と称し、別パートを加えた演奏をした。(たとえば、ホルンのパートを、ユーフォニウムにも演奏させるとか・・・)

だが、そういう行為は「軽やかさ」を減じる。ギャルドの指揮者は、「やってはいけない」とインタビューで発言したのは印象的。

この番組のマーク氏も、(インフルエンザで欠席者がでたので仕方なく)松本先生と同じことをやっている。


高校時代の恩師の発言が、世界一の楽団の指揮者に否定されるとは、強烈な体験である。

当時、N響のチューバ奏者や東京芸大の先生を臨時講師に迎えてリハーサルをしていたから、先生の指導方針は「当時の日本の音楽教育の最先端だった」はず。

晩年、そのことを先生に伝えようとも思ったが、先生の周辺の「信者の卒業生」たちを思えば、先生に接触することは不可能であった。

※ 先生の逝去のウェブニュース。

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川上奈々美さん「その時にそなえて、指でひろげてました」(猥談)



エッチ系チャンネルの無料広報番組(MCは水道橋博士)を楽しく観ている。

あるセクシー女優(川上奈々美さん)は、中学〜高校にかけて、「処女であること」を恥ずかしいと思い、友人たちと「その時」にそなえて、指で拡張していたと告白する。

収録では、「(ちんこの太さを思えば)4本なんか必要ない」との突っ込みも・・・。
高校生になり、いよいよ「その時」がやってきた彼女は、初回から「痛くなかった」と。


彼女のサイト



民話のような「素朴な話」だが、今、流通できるのか・・・。
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