2021年04月17日

「リコカツ」大絶賛。

TBSの金曜ドラマ「リコカツ」が素晴らしい。

前作「俺ん家の話」は、伏線もなく最終回に主人公が死ぬという噴飯だったが、今回はそうではない。クドカンという作家性だから許されるということらしいが、これではシナリオライターを目指す者たちはタマラナイ。


世の中の反応はどうなんだろう。


やはり。というべきか、俳優と役柄の相性。劇の舞台(自衛隊・ファッション誌の編集)の感想ばかり。つまりは、表層。


この作品の最大のすばらしさは、ヒロイン・ヒーローの抱える家族観が、正反対なところ。−−−これは17世紀フランス古典演劇理論における「内的整合性」に合致する。

北川景子: 個人主義的な家庭観・自立的な女性像。
瑛太: 儒教的な家庭観・封建的な女性観。

それが、主人公ふたりの〈意志・哲学・行動規範〉の根本にある。瑛太の家族に関しては、それが「家訓」として明文化されているのが効果的。


離婚を決意した主人公のふたりが、親の離婚を知り、離婚することを伝えられないという〈設定〉もいい。−−−古代ギリシアのミメーシス理論的な「ありがちな設定」

だからこそ、これから観客を裏切ってストーリーは展開していくのだろう。


ストーリーは基本的に、主人公のふたりの〈対立〉が表で、その裏で、「共感」が芽生えていくのだろう。

恋愛は、好き・嫌い。
結婚は、損得勘定。
だが、一緒に時を過ごすと、愛着・撞着も生まれる。

ましてや、「テレビ表現の都合」だけでなく、この男女、一度も性交していない。つまり、(やっちゃった後に別れる)成田離婚よりも、もっと手前。出国ゲート離婚って感じ。
ミキティー夫婦は、夫婦喧嘩をしても、夜を越えれば仲直りするという。勿論、ゴマキのように朝からやってもいい。案外、このドラマ。同衾してエンドマーク。そんな感じかもしれぬ。
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2021年02月23日

マービン・ルロイ監督におけるミメーシス。(哀愁〜心の旅路)


恋愛映画の古典的傑作を2点考察する。


「哀愁」1940年。

本作で主演のヴィヴィアン・リーは、前年製作の『風と共に去りぬ』では乱世を生き抜く強い女性を演じたが、本作ではその反対のか弱い踊り子を演じている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%80%E6%84%81_(%E6%98%A0%E7%94%BB)



「心の旅路」1942年。

(こころのたびじ、Random Harvest)はアメリカ合衆国の恋愛映画。 監督はマーヴィン・ルロイ、出演はロナルド・コールマンとグリア・ガースンなど。
1941年に出版されたジェームズ・ヒルトン作の小説である。この小説は『失われた地平線』、『チップス先生さようなら』などのヒルトンの先行作品と同様にポピュラーになり、その年のパブリッシャーズ・ウィークリー(英語版)全米ベストセラー小説リスト(英語版)の2位(英語版)になった[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E6%97%85%E8%B7%AF
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2021年02月09日

韓流ドラマに勝てない日本のドラマ。(NHK大河ドラマが典型)

今村昌平の映画学校時代の恩師・池端俊策先生・脚本の「麒麟がくる」が終わった。


私の結論は、

・「麒麟がくる」は、日本の映画・ドラマの低迷を象徴する作品である。


その理由はふたつ。

・日本の映画・ドラマが、「近代主観主義」を乗り越えられずにいる。(作品は作家のオリジナルとの考えをやめる。あるべきは、古代ギリシアのミメーシス理論)

・日本の映画・ドラマ界の、シナリオライター養成法が間違っている。(出自・環境による作劇をやめる。あるべきは、対極・対照による作劇)
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2021年02月08日

「麒麟がくる」最終回を観終わって。日本のドラマはダメだ。

NHK大河ドラマを見るのは、「武田信玄」以来。「武田信玄」を途中で挫折して以来。なぜ、「武田信玄」を観たかといえば、前作の「独眼竜正宗」が面白かったから。

今回、「麒麟がくる」を観たのは、脚本が恩師だったから。

40年ほど前(1979年)になるが、今村昌平の映画学校。夏休みの宿題2時間シナリオの個人面談の記憶が鮮明である。−−−私が提出した「ペシミスティック・オプティミスト」がシナリオとして成立しているかを問いに答えない先生は、「先生がシナリオで大切にしていることは何ですか?」の問いに、

・情熱の挫折

と答えられたことを鮮明な記憶として残っている。
「情熱の挫折」が、池端俊策先生のモットーなら、

・本能寺の変において「情熱を挫折させた明智光秀」の物語

なら、期待したのだ。



だが、期待は無残に裏切られた。

前半において、

・主人公・光秀は「斉藤道三のお使い」。

中盤・以降は、

・「信長のお使い」。

・足利将軍・帝・諸大名との調整役に終始した。

大河ドラマは基本的に英雄伝である。〜市民劇ではない。

つまり、「(自己都合ではない)大きな夢」を持った英雄・英傑が主人公でなければならぬ。

「麒麟がくる」では、斉藤道三が与えた「大きな国をつくる(大きな夢)」との言葉が、信長と光秀をとらえ、全国制覇に邁進する。

だが、物語の終盤は、「大きな夢」のために主人公が動くのではなく、「信長への私憤」が募り、「本能寺の変」へとつながっていく。これでは、〈市民劇〉としては成立しても〈英雄劇〉としては成立しない。

・大義 > 公憤 > 私憤

でなければダメ。
光秀の最晩年における状況は以下。

・大義: 大きな国をつくる。農民の繁栄・幸福。

・公憤:  同僚の諸将への冷遇、残忍な仕打ち。

・私憤:  家康をもてなす宴会の係を罷免され、罵倒させた。拝領された領地をとりあげられる。個人的な信長への反発・反感。足利義昭を殺害する命令。


最終回では、主人公は「私憤によって、反逆を決心する」。これでは〈英雄伝〉は成り立たない。
夏休み明けの個人面談の池端先生の言葉に殉じるなら、

・「大きな国をつくる」ことを投げ出した信長

が提示され、

・「夢を失った信長」が光秀から謀反される

でなければならない。

当時、池端先生は時間があったら真山青果の全集(1975-1978講談社)をこれから読むと楽しみにされていた。真山氏は新歌舞伎の座付き作家で、「元禄忠臣蔵」「平将門」などをなしたというから、今回の池端先生の劇作と無縁ではないだろう。池端先生は向田邦子賞を受賞しているが、市民劇に限定した作家ではない。

池端氏の師匠ともいえる今村昌平監督は、「英雄伝」とは無縁の作家。「主体的な意志」を持たぬ「昆虫的な行動」に終始する主人公たちを登場させ、人間の本質を描こうとした。

黒澤明監督が英雄伝な映画をつくったのは、シェイクスピアなど、翻案が多かったからで、彼が「夢に殉じる個性」に憧れたのではないだろう。つか、晩年の迷作「夢」にいたっては、ドラマメーカーですらない。


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2021年02月05日

ランジャタイ・平蜘蛛を中心に描かなかった「麒麟がくる」。

最終回を前に、「麒麟がくる」の欠陥を指摘する。


推理小説と違って、歴史小説が「最終回ですべての謎が解ける」のではダメだと思う。

「誰が犯人か分からないまま、執筆していた」と白状するのは、人気シリーズの作家氏。作家が犯人を知らない・分からないなら、読者も分からないのは当然。作者の欲望が「謎を解くこと」なら、それが作品の魅力になることは当然である。
だが、歴史小説はどうだろう。

明智光秀を描く場合、本能寺の変において、なぜ、彼は信長に謀反したのか。その理由が、作品のテーマといえる。だが、それは、偶発的なものではなく、信念をもった行動でなければダメ。

なぜなら、歴史小説の主人公はヒーロー・英雄でなければならぬから。

つまり、一時の感情で行動するキャラクターは、「人間的である」かもしれぬが、英雄としては欠点があるとしかいえぬ。

否、英雄はつねに葛藤を抱えていて、それに打ち勝つことで英雄となる。

「麒麟がくる」でいうなら、「相手を殲滅する」か「人道主義を貫くか」は、つねに光秀を悩ませたテーマであって、「信長が非情派」、「光秀は人道派」と安定していたのでは、ドラマにならない。

つか、「人道主義」は、「自らの生死をかけた戦い」を日常とする戦国時代に合致しない。

「道」の語原は、見知らぬ土地を行く時は、現地人の首(へん)をぶらさげて歩く(しんにょう)と言う意味。中国の古代ではそうだった。そして、日本では、「家(同胞)のため切腹を辞さぬ」風土があった。それを「日本軍の玉砕に苦しめられた」占領国によって、ヒューマニズムが移植された。

つまり、日本人が人道主義を社会通念としたのは戦後のことであって、戦国時代にそれを適応するのは、現代人の「ご都合主義」であり、歴史的な真実ではない。

国営放送の大河ドラマは、時代考証学者がスタッフにいるから、オリジナルキャラクター以外は創作できない。歴史的事実に描かれていない部分のみ、作家の創作が可能になる。

ウェブでは、最終回を前に、

・信長が家康を暗殺せよと命令する

のではないかとの憶測がある。だが、本能寺の変発覚後、家康が伊賀路を通って急遽帰郷したことを思えば、そのようなシナリオライターの創作は、プロデューサーたちによって否定されるに違いない。


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2021年02月02日

こうあるべきだった「麒麟が来る!」。明智光秀のドラマ

ヨーロッパの演劇人たちは、第二次世界大戦後、「ドラマが若者たちを戦場に誘導した」ことを反省し、不条理劇(ばかげた演劇)を生み出した。

芸術作品が「何事かのテーマを訴える」ことを危険(プロパガンダ)と理解したのである。


英雄は作られる−−−。

と言われる。つまり、権力を持った人たちが、自己都合のために「英雄を捏造する」のである。


大和朝廷の人達は、

・蘇我政権による空白を隠ぺいするために、聖徳太子なる英雄を捏造した。

厩戸皇子は存在したが、聖徳太子なる「制度改革をたった一人で成し遂げたヒーロー」はいなかったというのが、歴史専門家たちの結論である。

大河ドラマでいうと、ヒーローたちは戦国時代・明治維新に顕著である。それらが英雄たちが、現代の視聴者たちから隠ぺいしたのは、

・戦国時代では、「自由主義経済が、封建制度を崩壊させた」

・幕末の志士の物語は、「明治政府が、英国の傀儡政権に過ぎなかった」

ことである。さらに戦後の力道山・長嶋茂雄という国民的ヒーローの登場は、

・講和条約締結後も、「アメリカ支配が続いている」

ことを隠ぺいした。近ごろでは、アメリカからの年次要求書というシステムは失われたよう。しかし、

・原子力発電所が日本国土から無くならない。

・誰も望んでいない「裁判員制度」が実行される。

など、「アメリカ(を影で操っている人たち)からの圧力」の結果としか考えられぬことは多い。

その意味で、国民的作家・司馬遼太郎氏は、「昭和の御用作家」。彼は、戦国武将を描くばかりでなく、坂本龍馬を国民的な英雄に仕立て上げた

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2021年02月01日

「麒麟が来る」は、ダメだ。


池端俊策先生

#池端俊策

「麒麟が来る」もあと一回。最終回を残すのみ。
ハッシュタグ検索を念頭に、200字以内で、ツイートする。


「麒麟が来る」の問題は、かつて倉本聰氏を北海道においやったNHK大河ドラマ制作陣に、池端氏が「戦う意志もなく、白旗を掲げた」ことに起因する。
NHKの学歴エリートたちの「思いつき」は、「シナリオの集中度」を下げる。結果、「麒麟なる理想」を掲げるも、消化不良に終わった。
委細はブログにして・・・。あるべき、シナリオのコンポジション。内的整合性について解説します。

池端俊策さま。

今村昌平の映画学校の夏のシナリオの講評で私に、「私がシナリオで一番大切にしているのは、主人公の情熱の挫折」と答えた池端先生。先生は担任の生徒の一人で忘れていても、学生の私はいまでも鮮明に覚えています。

当時、シナリオの講義で、フランキー堺さんは「ホンが読める」と称賛していましたね。先生のその感想は、東芝日曜劇場で1979年に放送された「馬が逃げた!」の制作過程においてのことでしょうか。


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2021年01月21日

「オー!マイ・ボス!恋は別冊で」は人情噺。だから、おもしろくない。


第二回を観た。
たぶん、三回目以降は観ない。

その理由は、人情噺だから。

※ 人情噺とは、封建的人間関係を忍従する主人公たちの物語。ここでは、宮崎アニメの主人公たちのように、運命に立ち向かうキャラクターは存在できない。時代劇では、封建制度を否定したら、成り立たない。TBSドラマ・水戸黄門は、「葵の御紋」に平伏する人たちの物語であって、それを否定したら、物語は成立しない。
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2021年01月20日

「ここに来て抱きしめて」(2018年、韓国)は、史上最高ドラマ(大衆娯楽作品)である。(その4)

史上最高の大衆娯楽ドラマと形容したが、まだ第10回を観ているところ。

この作品の素晴らしいところは、過去の傑作をミメーシスしているところ。

ミメーシスとは、「いまの時代に合うように、さらにインパクトを強化して模倣・再現する」こと。
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2021年01月19日

「ここに来て抱きしめて」(2018年、韓国)は、史上最高ドラマ(大衆娯楽作品)である。(その3)

【主旨】

「ここに来て抱きしめて」(2018年、全20話)は、「私のベストワン(主観)」ではなく、「客観的な評価」でベストワンな娯楽恋愛ドラマである。

私の鑑賞の基本は、まず、まっさらな気持ちで観ること。もし、作品に満足がいかなかったら、その理由を分析すること。満足が言ったら、それでよいし、同様な作品が増えるように、すばらしさの理由を明確にすべきと思っている。

この作品の場合は、さまざまなインスピレーションを与えてくれるので、そんな直観的に感じたことを書き留めておく。
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2021年01月16日

「うちの娘は彼氏が出来ない」の感想。

まず、「良い・悪い」「おもしろくない・おもしろい」の定義をしないとね。これを参考に・・・。

【sponta中村のOZ理論】

映画・ドラマの「客観的で、妥当性のある評価基準」(2020.07.17)



評価の実際 & 例外。(2020.07.17)



つーことで、第1回の感想・評価。
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2021年01月15日

「オーマイボス! 恋は別冊で」の感想。

「義母と娘のブルース」(2018.TBS)を年末に見て、上白石萌歌に魅力を感じたので、「オーマイボス! 恋は別冊で」を観たが、上白石違いで、姉の上白石萌音だった。

(妹・萌歌が第7回東宝シンデレラでグランプリ。姉・萌音は審査員特別賞だったから、ルックスは妹の勝ち? )


ドラマ情報は以下。



つーことで、感想。

私は印象批評・主観批評を排して、客観批評・形式批評(評価基準を明確にした評価)を行っている。

委細は、こちら

【sponta中村のOZ理論】

映画・ドラマの「客観的で、妥当性のある評価基準」(2020.07.17)



評価の実際 & 例外。(2020.07.17)



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2020年12月29日

「麒麟が来る」は、歴史を捏造している。(光秀はヒューマニストではない)

作家・堺屋太一氏は、「経済小説をなぞらえて、戦国を描くのもあり」と豪語していた。

休日を憩うサラリーマンが、「日曜8時の歴史ドラマで月曜からの仕事への触発とする」なんてことだろう。
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2020年12月28日

韓国映画「隠された時間」は、時をかける少女を超える。

spontaは、嫌韓派である。近代から現代にかけて、かの民族が日本に何をしてきたか。彼らの教育が何をして、国際社会で何をしてきたかを問題視する。

だが、是々非々のなので、韓流ドラマを愛でる。


この間、CATVで「隠された時間」(2016年、韓国)を観た。

タイムスリップ系青春映画の傑作である。
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2020年12月21日

韓ドラにはまった百田尚樹氏へ。(韓ドラの要点)


お騒がせ放送作家・百田氏が韓ドラにはまったというので、韓ドラの要点。日本のドラマとの違いについて要約・解説する。

会話体(パロール)なので、閲覧諸氏も本質をつかみ取るために参考にされたし。
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2020年12月18日

「ダンスウィズミー」は失敗作である。

「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」で知られるTBSの演出家・鴨下信一氏は、

「最近のドラマにはアンタゴニスト(対立関係)が足りない」

と、週刊フジテレビで発言した。


2010年にはTBSの競合局であるフジテレビの自己批評番組『新・週刊フジテレビ批評』に出演し、現在のドラマに見受けられる「"前回のあらすじ"がない」、「出演者の"年齢ギャップ"」、「"自閉的"キャスティング」、「"貧弱する"脚本」という4つの問題点を挙げ、「原点に返って、対立がちゃんとあって、テーマがハッキリしているドラマらしいドラマを作らなければダメ。各局だけで考えず、ドラマを作っている人たち全員で考えないといけない。」と語った[6]。



世界的な巨匠・小津安二郎監督の遺言は、

・「映画はアクシデントではない。ドラマだ」

である。


吉田(喜重)は小津の可愛がった女優岡田茉莉子と結婚し、死の床についていた小津のもとを訪ねた。吉田は小津の変わり果てた姿に言葉を失ったが、小津は帰り際の吉田に「映画はドラマだ、アクシデントではない」と口ずさむように言った[41]。



これらの発言が、映画・ドラマの本質を表現しているとしても、それだけではない。つまりは、作家個人のやり方・技法を離れて、「映画・ドラマの総体」を表現していない。

科学では「証明」というプロセスが存在する

相対性理論を掲げたアインシュタインは、数年後、アフリカの離島での日食の観測によって、「重力によって光が曲がること」が観測され、理論が証明された。

だが、文系の学問では、そうはいかない。文系の学問では、「証明ではなく、体系化」が求められる。

かつて、比叡山・最澄は「自らが中国から持ち帰ったものが雑密でしかない」と悟り、本密を持ち帰った空海の教えを仰いだ。


鴨下信一・小津安二郎の言葉は間違いではないが、「映画・ドラマの全体」を網羅していない。つまり、そのための条件があったり、別の視点がある。

落語家・桂枝雀は「笑いとは、緊張と弛緩です」と笑いを定義したが、それは、物語があり、最後に「サゲ」を持ってくる落語に顕著な理論に過ぎぬ。

弛緩している(リラックスしている状態)でも笑いは発生する。たとえば、桂歌丸が嫌悪した「お盆で股間を隠す芸(アキラ100%)」。


残念ながら、私は実作家としてのキャリアを積むことができなかった。だが、それをいいことに、すばらしい作品を生むための「映画・ドラマの定義」を模索している。
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2020年12月17日

遊川和彦氏の作劇理論。 (35歳の少女)

「女王の教室」「家政婦のミタ」「同期のサクラ」の遊川氏脚本の「35歳の少女」の最終回が最悪との評があった。


残念ながら、私は一話たりとも観ていない。

従って、引用元からの推測で私見を述べる。
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韓流ドラマの分析。「欠点ある恋人たち」「雲が描いた月明り」。(その3)

「欠点ある恋人たち」は、3日で全16話を観たが、

「雲が描いた月明り」は、5話程度で挫折した。

その理由は以下。
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2020年12月14日

韓流ドラマの分析。「欠点ある恋人たち」「雲が描いた月明り」。(その2)

この記事の主旨は、「日本の映画・ドラマの低迷を解消したい」の意図につきる。


日本では、「鬼滅の刃」が大ブレークしている。だが、

・過激なシーン(戦い)が多いので、こどもには見せられない。

や、

・鬼は嫌い・怖い。

との意見もあり、賛否両論である。(私はアニメシリーズを、主人公が養成期間を終え、街に飛び出し、最初の鬼退治をするあたりで、挫折している。その理由は、死体をリスペクトしないゾンビものは嫌いだから。憤死・犬死があるにしても、死者は安らかに彼岸に旅立ってほしい)
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2020年12月11日

韓流ドラマの分析。「欠点ある恋人たち」「雲が描いた月明り」。(その1)

#欠点ある恋人たち

#雲が描いた月明り


「雲が描いた月明り」


惹句は、以下。

?「ワンダフル・ラブ〜愛の改造計画〜」「君を憶えてる」で抜群の存在感を示し、「恋のスケッチ〜応答せよ1988〜」で一躍大ブレイクを果たした“最旬イケメンスター”パク・ボゴム。そんな彼が地上波初主演となる本作で、お茶目さと男らしさを併せ持つ極上のツンデレ王子に変身! 世の女性を虜にする最高級の容姿と愛嬌満点の演技を惜しみなく披露し、もはや押しも押されもせぬ人気俳優としての地位を確立した!
?製作陣には、日本でも大ヒットを記録中の「太陽の末裔 Love Under The Sun」ペク・サンフン監督を迎え、男として生きてきた孤独な“男装女子”と一国の運命を背負う“ツンデレ王子”の禁断の恋物語を胸キュン満載に演出。同時間帯視聴率1位を独走し、2016年KBS演技大賞で最多受賞となる8冠に輝くなど、“クルミ(雲が)”シンドロームを巻き起こした!
?ヒロイン役には「太陽を抱く月」などで名子役として活躍してきたキム・ユジョン。本作では子役のイメージを脱ぎ捨て、大人の女優としての魅力を存分に発揮し、新境地を開拓した。さらに、日本でも圧倒的人気を誇るアイドルグループ“B1A4”のジニョンや、新進気鋭の若手俳優クァク・ドンヨンなど、美しすぎるイケメン俳優たちが重要な役どころで登場! 極上のクオリティで今年最高のトキメキをお届けする2017年No.1シンデレラ・ラブコメディがついに幕を開ける―!

「欠点ある恋人たち」


惹句は、以下。

“ほほ笑みプリンス”アン・ジェヒョンד美の女神”オ・ヨンソ、豪華初共演!最強ビジュアルを誇る、すれ違いまくりの“しくじりカップル”誕生!?

「シンデレラと4人の騎士<ナイト>」「僕が見つけたシンデレラ〜Beauty Inside〜」などのヒット作で、数多の乙女心をわし掴みにしてきた韓流貴公子アン・ジェヒョン。トップモデル出身の超絶スタイルと、子犬のような癒し系フェイスを持つ彼が、誰もが振り向くイケメン御曹司に変身! 持ち前の圧倒的なビジュアルは、まさにキャラクターと完全一致。さらに本作では、振り切ったコメディ演技で新境地を開拓! カッコイイだけでなく、ヒロインに翻弄される情けない姿にもギャップ萌え? そんな彼をブン回す凶暴女子には、最高視聴率37.3%を記録した「私はチャン・ボリ!」のトップ女優オ・ヨンソ。まるで人形のような美貌で女性ファンも多い彼女が、メンチを切ったり叫んだり、表情筋フル稼働で熱演。「猟奇的な彼女」に続く、とってもチャーミングで男勝りなヒロインをつくり上げた! 2人の絶妙な掛け合いと見当違いなすれ違いに、可笑しく、もどかしく、ときめいて、凸凹カップルの抜群のケミストリーにハマってしまうこと間違いなし!


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