2019年11月08日

アート・ブレーキーはドラムが下手。(タイムが継続しない)

高校の吹奏楽部。

先輩や同期が「あれは上手い・あれは下手」と放談するのをコンプレックスを持って聴いていた。

吹奏楽楽器では「音の倍音構成が豊かなこと」が一つの指標であり、ピアノでは「(神経を研ぎ澄ましたタッチによる)美しい音色」が最大の指標であると結論した。

だが、ドラムの評価基準が分からないまま、数十年を過ごした。

40代になった頃、「バンドで重要なことは、始めから終わりまでビートが途切れないこと」が重要だと、Kenta A.さんに教えられた。

そして、ドラムの評価基準は、「タイム感があること」。そして、それが「始めから終わりまで続いていること」と結論する。


娘は、体罰問題で全国的な知名度を得た中学生ビッグバンドでドラムを担当した。

娘を指導したドラム講師は、日野御大の弟君の直弟子・R氏である。

私は、弟君(おとうとぎみ)の情報をウェブで検索すると、「ドラミングにも、呼吸法が重要」とあった。

私の確信は「タイムが途切れないのが、ドラムの最重要課題」だが、娘の師匠の師匠は、「呼吸によって、タイムが途切れても良い」。つか、「そうでないとダメ」と主張する。


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2019年10月30日

Misiaは、歌が下手。

と、専門家が言わないから、一般大衆が勘違いしてしまう。


サミー・ディビスJrが日本公演をした時、前座をしばたはつみ嬢がつとめた。

すると、舞台袖にやってきたサミーが「糞」とつぶやいたのだという。

(その場にいた代理店氏から、妻が聞いた話なので、流通していないはず)

私は、娘とともに彼女の「マイラグジュアリー・ナイト」大好きだから、彼女の歌を「糞」とは思っていない。

だが、シナトラ・ファミリーの彼が「糞」というのだから、「糞」だったのだろう。

その話を初めて聞いた20年以上前は分からなかったが、今なら「糞」の意味が分かる。

しばた譲の歌は以下が欠落している。

・ハーモニー感

・タイム感

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2019年10月05日

小原孝さんのセプテンパーの演奏を聴いた。

FM放送で、小原さんの「ピアノの弾き語り」の番組を聴いていた。

9月なので、ふたつのセプテンバーという曲を弾いていた。

勿論、ふたつとは以下。

・竹内まりや

・アース・ウィンド&ファイアー


かねてより指摘しているが、芸大出身者には「タイム感がある」が国立音大出身者には「タイム感がない」。

タイム感とは、「体内にメトロノーム感覚(クロノス時間)」を持ち、それと調和するように「自由に演奏する(カイロス時間)」こと。

竹内まりやの曲は、「テンポルバートで問題ない」が、アース・ウィンド&ファイヤーの曲は、「テンポルバートでは、どうしようもない」。

テンポルバートでは、グルーヴできない。

グルーヴとは、拍・パルス(クロノス時間)からの「微妙な乖離」で音だし(カイロス時間)をすることである。


小原さんは国立音大出身。ジャズピアノの山下洋輔氏も同様。
グルーヴ系の曲には手を出さないほうがよい。

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2019年09月13日

矢沢永吉。最後のLA録音。そして、グルーヴ。

永ちゃんのLA録音のドキュメンタリーを観た。

彼曰く、

・日本ではグルーヴする音楽は録音できない。

LAのサンセットスタジオで、旧友のスタジオミュージシャンや、録音技師と再会した彼は、

・これが世界レベル。

とご満悦。

spontaは、何故、彼は、

・日本を世界レベルにしようと思わないのか。

と思ってしまう。
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2019年09月09日

ストラヴィンスキーの指揮者論。


FM放送を聴いていたら、ストラヴィンスキーが自作の指揮をしていた録音の特集があった。

番組では、ペトルーシュカ、火の鳥、春の祭典で知られる偉大な作曲家の指揮者に対する考えを紹介していた

・指揮者は、作曲家が指定したテンポをメトロノームに徹するべき。

日本の指揮者・山田和樹氏は、「メトロノームでは音楽にならぬ」との発言をするが、20世紀を代表する作曲家は「真逆の発言」をしていたのである。
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2019年05月01日

牛田智大君のピアノ演奏関連記事。


ショタコンピアニストとして、一世を風靡した彼が、大人になっていく・・・。

*

最近、過去の記事を閲覧する人がいるので、リンクを貼っておく。

2012年04月01日
牛田智大君へのアドバイス(その2)



2012年05月15日
牛田智大くんへ。「タイム感だよ」。



2018年09月29日
牛田智大君(ピアノ美少年)の絶望的な成長。

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2019年04月30日

題名のない音楽会、三ツ橋敬子、牛田智大、奥田弦。(敬称略)


この三人について、spontaは、たびたび言及してきたが、先日の「題名のない音楽会」で競演していた。



形式批評(評価基準を明確にした吟味)することが、「批判」なのかどうかは、分からない。

モダニズム的な主観評価ではなく、ポストモダンな客観評価なのであって、事実を明らかにしているのであり、私の主観は「メタな次元」に存在する。

というか、「メタな次元」のspontaは、この三人のファンである。
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2019年04月18日

昭和初期・戦後まもなくの歌謡曲の特徴はノンコード。


Am-Em-G7-C
というようなコード理論は、バークリーメソッドである。
バークリー音楽院が開学したのは1945年。
日本にバークリーメソッドが移入したのは、ジャズピアニストの秋吉敏子が学んで以降。渡辺貞夫氏がバークリーに留学したのが1962年。彼の自宅で、バークリーメソッドの勉強会が開かれ、そのあたりから、日本にコード理論が拡散していったに違いない。
そんなことを認識して、戦後のヒット曲のアレンジを聴いてみると面白い。
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2019年04月14日

音楽は、世界共通ではない。


spontaは、日本の民謡をオーケストラアレンジしたような楽曲が嫌いである。

長い間、その理由が分からなかったが、最近、ようやく分かった。

日本の伝統的な音楽には、和声が基盤として存在しない。

さらにいえば、拍の概念も薄い。つか、ほとんど存在しない。


たとえば、国家・君が代。

四分の四拍子になっているが、楽曲から、拍の概念は感じられない。

さらに、コードも感じられない。

・・・つ、感じ。

これに、コードを付けるのは、オカシイ。

つか、ウェブで探してみたが、コード感覚が希薄だから、メロディーの単音ごとに、コードが付く。



日本人には、伝統的な音楽感覚が存在し、それは独特なもの。

明治期以前の日本には、ハーモニーという感覚はなかった。

明治になって、西洋音楽を入ってきた時、日本の音階には4度と7度がなかったから、その音程がとれなかったとか。

音楽は、言語を超えるなんてことを言う人は、いい加減。つか、間違っている。
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2019年03月25日

浜松国際ピアノコンクールの審査について。


「題名のない音楽会」に、日本の代表的な国際的なコンクールとして知られる浜松国際ピアノコンクールの審査について、審査委員長が概説していた。
それは、以下。

・すべては審査員の判断。議論はされない。
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2019年03月24日

帝王・ベッケンバウアーとポジション・チェンジのサッカーのヨハン・クライフ。


はるか昔。ワールド・カップでドイツに負けたオランダの名選手・ヨハン・クライフは、「醜いサッカーをするくらいなら、負けたほうがまし」と発言したが、それは「負けたから」発言しただけ。

真実ではないというのが、もっぱら。

ドイツはゲームメイカーのフランツ・ベッケンバウアーが帝王と呼ばれ、フォワードのゲルト・ミューラーはボンバー・爆撃機と呼ばれた。
一方のオランダは、ポジション・チェンジを繰り返し、臨機応変な戦法で相手を惑わせた。

オランダのサッカーは新機軸。一方のドイツのサッカーは古めかしい。
だが、結果は、ドイツが世界を制覇した。


組織論的に考えると、

・帝王・ベッケンバウアーによる「中央集権・中央制御」なサッカー。

が、

・全員が主人公の、有機的なサッカー。

を負かした。ことになる。
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2019年03月23日

Wikidepiaに変更を書き込む。

Wikipediaは、百科事典であって、意見を書き込むところではない。

そんなことは分かっている。

つか、現実が、妥当性の低い・意見・主観によって成り立っているのだから、修正を書き込んだ。

閲覧履歴で「小澤征爾氏が、人生を棒に振らないように・・・」の記事にアクセスがあったことに対する、私なりの現実的な対応である。


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2019年03月21日

ベートーヴェンの交響曲を聴く。


久しぶりにCDを買った。

振らない指揮者として伝説になっているカルロス・クライバーのウィンフィル。

ベートーヴェンの5番と7番。

Amazonの評には次のようにあった。

「クライバーの第7はカラヤン+ベルリンフィルを超えている」と聞いたとき「ウソだろ」と思った。ぼくにとってベートーベンの7番は絶対にカラヤンだった。特に、終楽章のホルンのスピード感と切れ味は誰も追随できないだろうと....
違った。リズムの大氾濫状態を生み出しながら、それに流されず、ノリの良いロックでも聴くような恍惚感を与えてくれる。とにかくカッコいいんです。一度聴くべし。

結局のところ、何が起きているかといえば、「帝王カラヤンは、ベルリンフィルに君臨して、音楽をつくった」。

だが、カルロス・クライバーは、「楽団員たちの自由にさせた」。

それが、本質だと思う


この歳にして、カラヤンを聴きなおして、両者の違いを確認しようとは思わない。

カルロス・クライバーの演奏を聴いていると、泣ける。

管楽器のアーティキュレーション(フレージング)にその素晴らしさが出ていると思う。


カラヤンは、自身の主観が絶対だった。

カルロス・クライバーは、楽団員の主観を大切にした。

その違いが音楽に出ていると思う


若い頃、理由も明らかにせず、カラヤンの悪口を言うわが父を理解できなかった。

いま、60歳にして、カラヤンの「味気ない音楽」が、骨身に染みて理解することができる。

カラヤンは「音は美しい」。だが、それ以外はどうだろうか・・・。

指揮者の主観を100%実現しているのが、カラヤンの凄いところ。凡庸な指揮者なら、あそこまで徹底できない。


30年以上前のラジオ局でのできごと。

(子供向けの)ミュージカルの演出助手をしていた私は、ラジオ番組のオープニングのタイトルコールの録音に際して、
「テーマ曲が始まったら、気持がいいところで入ってください」
と、局アナの林美雄氏に指示した。

すると、深夜放送でも人気だった林氏は、「それでは困る」。キューを振るのが、あなたの仕事と、叱られた。

キューの赤いランプが付いたらコメントするのが彼の仕事であって、ディレクターのあなたが違うなと思ったら、僕は何度でもやりなおす。


舞台とテレビの違い。

というか、アートとビジネスの違いというか・・・。


アナウンサーとは「言う」器官なのであって、「感じる」必要はないということか。

最終決定権は、ディレクターにあり、アナウンサーは責任を持たない。そんなことかもしれない。

だが、演者の感性を否定してはならない。それが、30年以上たったspontaの結論。

そして、カラヤン。カルロス・クライバー・・・。

林美雄氏は早世されたが、懐かしい思い出である。









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2019年03月19日

カルロス・クライバー(振らぬ指揮者)にホロットする。


車に入れているCD。

変えるのが面倒なので、「英語のCD」と、音楽の2択になっている。

音楽は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番。

高校2年の時、川越高校吹奏楽部の定期演奏会でやった曲。ソリストは3年の熱田庫康氏。私はセカンドクラリネットだった。

聴いているCDは、マルタ・アルヘリッチ。指揮はサイモン・ラトルだったかと・・・。
今、マルタ・アルヘリッチ、ベートーヴェンの第1番協奏曲で検索すると、小澤氏との共演がヒットする。

今世紀になってから、一度も逢っていない父は、

・小澤征爾は、浪花節。

と批判していた。
その意味を、私は分かりかねていたが、真意は、

・小澤征爾氏の指揮は、タイム感のないテンポルバート。

ということ。

父は言語化できなかったが、間違っていなかった。そして、父は、カラヤンもぼろくそに否定していた。

息子の私が思う、父の欠点は、「否定するだけ」。「正解・理想を提示しない」こと。

この場合の正解こそが、カルロス・クライバーである。

この系列に、佐野裕氏や、山田和樹氏もいる。

山田和樹氏は、無知蒙昧にも、「音楽は、すべてテンポルバート」と、間違ったことを「題名のない音楽会」で主張する。

彼の言葉を信じた管楽器奏者は、東京芸術大学に入学できない。

彼の発言は、テンポを許すことでしか、オーケストラを律することができぬ、指揮者のステークホルダーを表現しているに過ぎない。

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2019年01月17日

勝手な憶測。 牛田智大君は、このブログを読んだ?


先日、牛田君が、浜松国際ピアノコンクールで、過去日本人最高の2位になった。私はBSのドキュメンタリー番組で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の抜粋を聴いて驚いた。





右手の演奏と左手の演奏がコールアンドレスポンスしている。

※ 勿論、そのためには、右手と左手がアイソレーション(独立してコントロールされている)している。

彼は中村紘子嬢に師事したという。だが、中村嬢にタイム感はない。「桐朋の音楽教室」の同僚である小澤征爾氏と同じ「協調的な律動感覚  (指揮者の棒に、左右の手が従う感覚)」である。

ショコタン当時、ショパンの独奏曲に関連して、情趣を込めるためにテンポルバートな演奏を心がけていると、インタビューで語っていた彼の「(糸の切れた凧のような)とりとめのない演奏」は影を潜め、グレン・グールドに通じる「右手と左手が独立したグルーヴ感」を持った演奏になっていた。

彼は、昭和音大に所属しながら、ロシアでピアノを学んでいるという。

ブーニンがロシア出身の人気ピアニストなのだから、ロシアのピアノ教師が「タイム感を尊重した指導」を行ったとも思えない。

とすれば、牛田君が、このブログを読んだ結果、「タイム感の存在」に気付き、グレン・グールドのような、右手の演奏と左手の演奏のアイソレーションしたとしか、spontaには考えられない

2012年04月01日 牛田智大君へのアドバイス(その2)。




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2018年11月13日

清塚信也ピアニストの弟子は、「日本音楽コンクール」で入賞できない。



「関ジャム」というバラエティー番組。

クラッシック・ジャズ・ポップスのピアノの違いを紹介するのがテーマ。

ピアノ演奏の解説者として登場したのが、テレビドラマで「タレントの代理演奏」で知られている清塚氏。

番組の中で彼は、クラッシック音楽で重要なのは「揺らぎ」。これをしないと「機械的な演奏」になり、音楽にならないと力説する。


だが、日本音楽コンクールの審査委員は、テレビ番組の中で、「審査基準は、〈テンポ感とリズム感〉」と明確に指摘する。

テンポが揺らいだら、〈テンポ〉を感じることはできない。
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2018年11月07日

中村誠一グループは、グルーヴを拒絶している。

CATVで、横浜の「旭ジャズまつり」というステージがあり、中村誠一氏のグループが出演していた。


中村誠一氏は、テナーサックス奏者。かつて、山下洋輔グループに所属していた。

博多公演の旅館飲み、タモリ氏乱入事件にも居合わせた。というか、中村氏とタモリ氏の即興演芸が、タモリ氏の芸能活動のスタートである。
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2018年10月22日

三ツ橋敬子さんの指揮を観る。


若手指揮者の三ツ橋敬子さんは、「題名のない音楽会」で、尊敬する指揮者として、「振らない指揮者・カルロス・クライバー」をあげていた。


私は、踊るバンドマスター・スマイリー小原が「振らない」で踊る理由は、ビッグバンドの楽団員たちが「タイム(メトロノーム)を共有しているから」と結論していたが、「振らない指揮者」の存在を教えられ、同根と直感した。


タングルウッド音楽祭で、ウィントン・マルサリスは、「(クラッシック音楽にはないが)ジャズには、コール&レスポンス」という「音楽による対話」があると胸を張った。

だが、クラッシック音楽にも「対話」がある。・・・というか、「対話がない訳ではない」と考える。

「対話が成立する条件」は、「タイムの共有」。
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2018年10月13日

Nコン(NHK全国学校音楽コンクール)は、何故、気持ち悪く感じられるのか・・・。



高校生の私は、吹奏楽部に所属していた。全国大会を目指したが、関東甲信越大会で「ダメ金」。
金賞を受賞したが、全国大会への推薦がもらえなかった。

「音楽の道にすすむこと」は、多くの若い人にとっては「夢・憧れ」。吹奏楽部での経験から、私は「(優秀な同級生たちとの対比から)自分には、音楽の才能がない」を理解した。

したがって、私は「プロの音楽家を目指す」ことで、人生を徒費していない。だが、「人生を徒費した先輩・友人たちは一人だけではない」。

芥川賞作家・奥泉光氏は、私の吹奏楽部の3年先輩(すれ違い)。彼の同級生は、東京芸大を出たピアニストで、現在は教育大学のピアノ科の教授になっている。

だが、タイム感に気付いていない点において、「人生を徒費した」最大の犠牲者である。

もし、彼が、中高生の時代に「タイム感」を知っていれば、世界的なピアニストになれたはずなのだから。

その一方で、「世界的なオーケストラの音楽」と、「自分たちの吹奏楽」の何が違っているのか。そのことが気になっていた。
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2018年10月04日

追悼・松本成二先生。川越高校・演奏マニュアルの顛末。



私の「アナリーゼ理論」は以下。


「フレーズの固まり」を明確にし、

「次のフレーズ」との境界線を明確にし、

横のラインである「主旋律と対旋律」の掛け合いを印象的にするとともに、

縦のラインである「メロディー・和音・ベース音」のバランスを調整する。

そして、一つの音楽作品としての「構成感」を高める。


この底にあるのは、

・同じものは、同じに。

・違うものは、「わざとそうした」のを明確に。

という統一理論。

この演出理論は、音楽・演劇・映画・絵画など、すべてに適用されると、spontaは確信する。

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