2020年11月23日

私の音楽遍歴(タイム感)

先日のメールで驚かされたのは、

・世界的な指揮者の小澤征爾さんに、リズム感がないとは考えられない。

ということ。そうですよね。

前衛芸術家のマルセル・デュシャンは、モナリザに髭を書くことで「名画のアイドル性・ポピュリズム」を指摘しましたが、彼には、展覧会に小便器を置くという名作もある。

だが、無名の私の「小澤征爾批判」は「キティーちゃんに髭を描く」ようなもので、心地よくはないはずです。
続きを読む
posted by sponta at 06:46| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月19日

子どものためのピアノの先生との(メールでの)対話。

人と人との対話から、「自分の考えがまとまる」ことがよくある。

相手の質問に答える中から、本質が追求できる。

つーことで、ショタコン(少年愛)系ピアニストだった牛田智弘くんに興味を持った方から、メールを頂戴したので、返信をくりかえしている。


私の

・小澤征爾氏には、メトロノーム感覚(タイム感)がない。

に、

・(私も、こどもたちにメトロノームに合わせたレッスンをしているが)小澤征爾さんに、メトロノーム感覚がないとは、信じられない

ふむ。

それが一般的な感想・感覚だろう。

そこで、私は次のように書いた。

・FM-NHKで彼のブラームスの交響曲を聴いたら、曲中のグランドポーズ(全部のバートが休符)のところで、アタッカ(拍の継続)でなかった。

つまり、

・小澤氏の「無音状態」には、(本来・西欧人が持っている)拍がない。

それが理由で、師匠・斎藤秀雄氏と彼がN響楽団員に拒否されている。(Wikipediaに記事があります)

この場合の「拍」の定義とは、「小節の中の1拍・1拍の長さが同じ」なこと。
テンポルバートとは、「テンポが自由」なことであって、「テンポの不在」を意味しない。

したがって、小節の中にグランドポーズがあったとしても、それが、1拍とか、2拍とか、3拍とか、4拍とかに割り切れなければならない。

1.5拍とか、2.3拍になってはいけない。

テンポルバートでは、リタルダンド(減速)やアチェルランド(加速)は許されるが、(急激な)一旦停止は許されていないのである。


関連記事はこちら。







posted by sponta at 10:54| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月09日

耳が聴こえないベートーヴェンは、果たして不幸だったのか?

ベートーヴェンの生誕250周年だという。

黄色いバイエルで挫折した音楽劣等生の私は、かなりの時期、ベートーヴェンを嫌悪していた。

ドイツの音楽。それも古典派は野暮ったく、ロマンあふれるロシアの音楽や、軽やかなフランス音楽を好んでいた。

だが、50歳代になって、ベートーヴェンの深みがわかるようになり、敬愛するようになった。

・向こうからベートーヴェンが歩いて来たらお辞儀をするが、モーツァルトが歩いて来たら抱きしめる

という形容があって、そんな感じだなぁ・・・。と、ずいぶん思っていたが、今は、


モーツアルトは、「思いつき」を音楽にしたに過ぎぬ。

創造のために「苦悩」したこそ、真の芸術家であると、ベートーヴェンを第一と思う。


もちろん、演劇界でシェイクスピアを批判してはならぬのと同様に、バッハ、モーツアルト、ベートーヴェンを批判してはならぬ。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月05日

祝50周年。ジャズ喫茶ベイシー店主・菅原正二様。いまジャズ関係者がなすべきこと。

【論旨】

低迷するジャズ界を復活させるには、「ジャズの定義」を明確にすることが不可欠である。

つまり、

・ジャズという音楽があるのではない。ジャズな人がいるのだ。

などは、「人生論的な解釈」であって、近代主観主義者を感嘆させても、実利はない。

私が思う(表象論的な)ジャズの定義は以下。

ジャズとは、

・協演者・観客の「テンポ・メロディー・コード」の共有を前提にした自由な音楽。

ジャズヴォーカルとは、

・単音であっても、コードを感じさせること。

・アカペラであっても、グルーヴを感じさせること。

である。

これらを明確に定義しな限り、

・日本には、グルーヴしないジャズが溢れ、観客を興ざめにする。


学生ビッグバンドジャズの最高峰・山野コンクールの優勝バンド(慶應義塾ライトミュージックオーケストラ)が、

・ソリストがグルーヴを始めると、ピアノがそれを「タイミングのズレ」と感じて、打ち消す。

こんなあってはならぬことが、日本のジャズ界の風景である。

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月01日

カラヤン・バーンスタイン・べーム・クライバーの順は、知名度の差ではない。

NHKの4Kハイビジョン化の番組。(4Kとは、縦横の画素数がハイビジョンの2倍。8Kなら4倍)

過去の世界的な名指揮者の映像を復活させるプロジェクトだが、以下の4氏の映像が選ばれている。

私が注目したのは、紹介された順番。

1. カラヤン

2. レナード・バーンスタイン

3. カール・ベーム

4. カルロス・クライバー

素直に思えば、知名度の順だが、spontaは、それが、「タイム感のない順番」の差とおもえる。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月18日

ランランの「ゴルドベルグ変奏曲」を吟味する。

spontaが気にしているのは、「古典派」「ロマン派」の別である。

テレビ朝日「題名のない音楽会」で、ランランの演奏を聴く。

曲はバッハの「ゴルドベルグ変奏曲」で20年の研究を経て、ようやく録音したのだとか。

スタジオの日本人音楽家は、この曲は「エベレスト登山に匹敵する難しさ」があると指摘する。

ゴルドベルグ変奏曲といえば、グレン・グールドの録音が知られるが、番組はグレン・グールドの演奏に言及しない。


ランランの演奏を聴いた日本人のバッハ専門家は、「自由な感情表現」と絶賛した。

だが、どうなんだろう? とspontaは首を傾げる。

確か、この曲は、バッハが、依頼主の貴族が「眠りに入る」ために作曲したと記憶する。
ならば、ランランの「ロマン派」的な演奏の是非は?



spontaは、あきれるほどグレン・グールドの演奏を聴き返してきた。

ランランの演奏をロマン派とするなら、グールドの演奏は「古典派」。禁欲的な演奏といえる。


グールドのピアノ演奏は〈タイム感〉を持っている。つまり、メトロノームの感覚がありながら、右手の演奏と左手の演奏が微妙にタイミングをずらすことにより、グルーヴしている。

コンサート開始前に、「私はグールド君の(ゆっくり過ぎる)テンポに同意していない」と異例のコメントを発したバーンスタインは、グルーヴを理解しない。


一方のランランの演奏は、「一つの意志・感情」のもと、テンポを動かしながら、揺らしながら、「感情」を表現している。


番組の最後に、ランランの「ラプソディーインブルー」の演奏が披露された。

ランラン氏は、チック・コリアと協演した時に、この曲のすばらしさを知り、演奏するようになったという。
だが、ランランの演奏は、チック・コリア氏のような「堅調なタイム感(メトロノーム感)」は無く、テンポルバート・自由気ままに演奏された。

結局のところ、作曲者のガーシュインが、ジャズを、スウィングを理解していなかった。だから、ランランの演奏がジャズでない(グルーヴしない)のも不思議ではない。

「スウィングしなけりゃ、意味がないよ」。それがジャズである。


番組はありがちな「ゲストを絶賛する」に終始した。

これでは、ランラン氏の「何が良い」のか分からない。

つか、バッハという「西洋音楽の起源の作曲家」の演奏を「ロマン派的に演奏する」ことの是非を問うべき。

・バッハを冒涜している。

との評価もあって不思議ではない。

タイム感のないランラン氏は、テンポルバート(テンポを揺らす・動かすこと)により情趣を盛り上げるしかなかった。

だが、グールドは、テンポをキープしたまま、グルーヴによって深い情趣を生み出している。・・・のではないか。
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月02日

ジャズっぽく歌おうと思ったら、もうジャズじゃない。(平原綾香)

ま、そういうことなんだと思う。
さらに彼女は、

・「ジャズを楽しむ」ために、「ジャズの歴史」を勉強する必要はない。気軽にジャズを楽しんで。

と続ける。
「もっともらしい発言」にウェブ記事のインタビュワーは納得して、ウェブ記事は終了する。

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月02日

プロ音楽家になりたい中学生に・・・。

娘の1年後輩に「プロのドラマー」を目指す男の子がいた。

世界的なジャズミュージシャンのワークショップに所属しているのだから、「夢は膨らむ」。彼は、中学を卒業すると、(プロを目指すとして)高校に行かなかった。

だが、「速さ・勢い」はあるにしても、「四拍を均等に叩くことができない」少年に、未来はない。


その頃、娘は「現役のジャズヴォーカリスト」に指導を受けることになった。
そこで、私は、プロのレッスンとは、

・そこで学ぶ。「出来上がらせる」。

のではない。

・「出来上がったもの」を見せて、修正を仰ぐ。本番のリハーサル

のようなものと、教えた。


娘は「私の忠告」を守り、現役ジャズヴォーカリスト(グレースマーヤ先生)を満足させた。つか、私のような父親を持つ中学生は希有。抜きん出た存在だったよう。

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月27日

ドラム教師(プロ演奏者)がやるべきこと。

高校の部活の顧問・松本成二先生は、早稲田大学のビッグバンドのバンドリーダーになった先輩が「プロになろうか?」と進路に悩んだ時。

・「早稲田の○○でなく、六大学の○○でないとダメ」

とアドバイスしたとか。


そういえば、音楽出版レーベルの社員だった人の名前を,「山野コンクールの最優秀ソリスト賞」のリストで見つけて、「それでもプロにならなかったんだ」と嘆息した記憶がある。

つまりは、「六大学でもダメ」ということ。


続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月07日

ジャズに関して、「題名のない音楽会」が間違っていることを言う。



#ジャズ #題名のない音楽会

「間違っていること」を指摘するのがこの記事の主旨ではないので、正しいことを以下に記す。

・ジャズの本質は、
「タイム(ビート・メトロノーム)、ハーモニー、メロディー」の共有を基本とした、「自由な演奏」。


・ロックの本質は「反抗」ですが、
ジャズの本質は「(新しいことへの)挑戦」(原信夫の浅草ジャズコンクール審査委員長の言葉からの引用)。


・ジャズで一番重要なことは、「スウィング(グルーヴ)」。
続きを読む
posted by sponta at 13:14| 東京 ☁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月23日

挟間美帆さんは「ジャズのターミネイター」である。

※ ターミネイターとは、「最終的に終わらせる人」の意味である。

挟間美帆嬢。


松田聖子の「ハートをロック」の歌詞で、作詞家・松本隆は、主人公をクラッシック音楽のコンサートに連れていかせ、

・「ビートがなければツマラナイ」

と嘆息させる。

クラッシックには「ビートがない」。

ロックには「ビートがある」。

ロックが耳に馴染んでいるヒロインには、「ビートがなければツマラナイ」。

松本作詞家の言葉を引用するまでもないが、「ロックの根幹」は「ビート」である。


では、ジャズでは・・・。

ジャズで一番重要なものは「スウィング」である。

スウィングを説明すると、音出しにおける「メトロノーム(タイム)からの微妙な乖離」。

スウィングとグルーヴは同義だが、コンピューターミュージックでは、グルーヴを生み出すために、「グルーヴ・クオンタイズ」というパラメーター(設定するための指標)がある。

「スウィングしなければ意味がないよ」というスタンダード・ナンバーをあげるまでもなく、「スウィング」はジャズ最大の魅力である。


だが、どうだろう。

直近のグラミー賞でノミネートされた日本人・挟間美帆嬢のジャズは「スウィング・グルーヴしない」。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月17日

諏訪内晶子さんをチャイコフスキー・コンクール優勝に導いた江藤俊哉先生の評価基準。

ラジオを聴いていたら、国際ヴァイオリン・コンクールの第2位を二度経験していた彼女が、師匠・江藤俊哉氏にアドバイスを求めると、

・私なら、挑戦しないよ。

と言われたとか。

つまり、

・著名な国際コンクールで第2位なら、すでに「世界的な評価を得た」

のであって、それ以下の成績に終わることによるデメリットの方が大きい。

当時、高校生だった彼女は「コンクールに参加すること」は、「留学」の代理行為であり、「勝つこと」が目的ではなかった。といい、江藤師とコンクールの準備をすることになったという。

過去に二度、「2位になった」なら、その原因がある。と江藤師は考えた。

そして、「チャイコフスキー・コンクールのための練習」を開始する。

・チャイコフスキーは、サンクト・ペテルブルグの人であり、モスクワの人ではない。

つまりは、辺境の地・ロシアにあって、フランス語をしゃべる貴族的な人。女帝エカテリーナは、ディドロからの通信(ルーブル宮殿で行われた展覧会の批評=美術批評の先駆け)を読んでいたというから、そういうことなのだろう。

・チャイコフスキーのコンチェルトの「貴族的な楽曲解釈」がどういうものだったのか。

は、分からないが、コンクールの審査員の「満票」で優勝が決定したのだから、江藤氏の解釈は正解だったのだろう。
私が指摘したいのは、

・(チャイコフスキー・コンクールなどという)芸術作品の評価でも、「形式批評(評価記事を明確にした評価)」が行われている。

ということ。

もし、主観批評なら、「審査員の審査結果」が「みんな同じ」など「ありえない」。

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月01日

海苔漁師の「奇跡のラ・カンパネラ」の感動とは何か。

#海苔漁師 #ラ・カンパネラ

妻が録画して、娘が感動したというさんま・珠緒の「夢かなえたろか」の企画。

佐賀の海苔漁師が1曲だけをさらい7年をかけた演奏は、感動させる。

番組では、フジコ・ヘミング嬢の前で演奏を披露。絶賛された。
#海苔漁師 #ラ・カンパネラ
posted by sponta at 06:19| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月14日

「アヴェ・マリア」と「オー・シャンゼリゼ」。

幼い頃、テレビ・ラジオなどで「アヴェ・マリア」という歌を知る。

私はキリスト教徒ではないが、キリスト教にはマリア様という大切な人がいるとは知っていた。
そして、なんんとなく、「マリア様の名字は、阿部」などと勘違いした。

フランス後のavecが、英語のwithという意味だと知ったのは、二十歳を過ぎた頃だと思う。

そして、何故、「マリアとともに」という題名にしなかったのか? と不満に思う。


同様に、「オー・シャンゼリゼ」。

この場合の「オー」は感嘆符ではなく、英語でいうとat。
つまりは、「シャンゼリゼ通りにて」との題名にすべき。


誤解を生むような題名は避けるべきだと思うが、どうなんだろう。

クリスマスソング「ホワイトクリスマス」は、作曲者アービング・バーリンが、「真珠湾攻撃に憤慨して」、日本語訳を許さなかった。
「アヴェ・マリア」は古曲であり、著作権者の意見などない。なのに何故「アヴェ・マリア」のままなのか。
ニーチェというかリヒャルト・シュトラウスの「ツァラツーストラはかく語りき」が「ツァラツーストラはこう語った」に変わった今。「アヴェマリア」も「マリアとともに」になっていい・・・。

posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月08日

戦後の日本の音楽観を概観する。

私が高校生だったのは、1974年からの3年間である。

この時、吹奏楽顧問の松本成二先生が、

・音楽はすべて1拍子。

と言ったのを印象深く覚えている。

少し前になるが、小澤征爾氏と同じ国際指揮者コンクールで優勝した山田和樹氏も、「メトロノームに合わせたのは、音楽ではない」と民放放送唯一のクラッシック音楽の番組で発言していた。つまりは、音楽を芸術にするのは「テンポルバート(自由にテンポを動かすこと)」。

これは、松本先生の「音楽はすべて一拍子」に同じ。

松本先生は現代国語の高校教師でありながら、「国際コンクールで優勝を勝ち取る指揮者」と同じ音楽理論にたどり着いていた。
だが、西洋人たちの「継続性の高い感覚」については思いも寄らなかったよう。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月30日

アポロシアター・アマチュアナイト・JAPANに思う。

BS放送でアポロシアター・アマチュアナイト・JAPANを観た。

興味は、優勝者のパフォーマンス。何が争われたか。

優勝者は本場に乗り込んでいくのだろうが、彼らの先行きは「?」な感じ。
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月13日

牛田智大君が、浜松国際ピアノコンクールで優勝できなかった理由。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【要旨】

「浜松国際コンクール」。

優勝者のピアノコンチェルトは、ソリストとオーケストラの間に「対話」があった。

だが、2位の牛田君の演奏は、ソリストとオーケストラは「アンサンブル」していた。

NHKの制作者は、音楽の奥義を知らないので、「ありがちなナレーション」で番組を構成した。結果、視聴者は「コンクールで何が競われていたか」が分からない。

審査員たちは、「主観批評」を誇るが、それを「自分以外の誰かに理解させる努力」を怠っている。
結果、若い人たちが「世界的なピアニストになる」ためには、審査員クラスの音楽家に師事することしかない。そのことは、審査員たちの社会的な存在価値を上げるが、このコンクールの究極の目的「世界的なピアニストを輩出する」ことに繋がらない。

いまだ日本人優勝者を出していないこのコンクールの主催者たちは、「この問題を解決すべき」である。


タイム感のなかった故・中村紘子を恩師と仰ぐ限り、牛田君の将来は見えている。美少女ピアニストが世界的なピアニストとして活躍できた時代はすでに遠い。

「クロノス時間とカイロス時間」を独立してコントロールすることが、「世界的なピアニストになるための条件」だと牛田君に伝えたいが、無名の私にはコミュニケーションルートがないので、残念である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月08日

アート・ブレーキーはドラムが下手。(タイムが継続しない)

高校の吹奏楽部。

先輩や同期が「あれは上手い・あれは下手」と放談するのをコンプレックスを持って聴いていた。

吹奏楽楽器では「音の倍音構成が豊かなこと」が一つの指標であり、ピアノでは「(神経を研ぎ澄ましたタッチによる)美しい音色」が最大の指標であると結論した。

だが、ドラムの評価基準が分からないまま、数十年を過ごした。

40代になった頃、「バンドで重要なことは、始めから終わりまでビートが途切れないこと」が重要だと、Kenta A.さんに教えられた。

そして、ドラムの評価基準は、「タイム感があること」。そして、それが「始めから終わりまで続いていること」と結論する。


娘は、体罰問題で全国的な知名度を得た中学生ビッグバンドでドラムを担当した。

娘を指導したドラム講師は、日野御大の弟君の直弟子・R氏である。

私は、弟君(おとうとぎみ)の情報をウェブで検索すると、「ドラミングにも、呼吸法が重要」とあった。

私の確信は「タイムが途切れないのが、ドラムの最重要課題」だが、娘の師匠の師匠は、「呼吸によって、タイムが途切れても良い」。つか、「そうでないとダメ」と主張する。


続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月30日

Misiaは、歌が下手。

と、専門家が言わないから、一般大衆が勘違いしてしまう。


サミー・ディビスJrが日本公演をした時、前座をしばたはつみ嬢がつとめた。

すると、舞台袖にやってきたサミーが「糞」とつぶやいたのだという。

(その場にいた代理店氏から、妻が聞いた話なので、流通していないはず)

私は、娘とともに彼女の「マイラグジュアリー・ナイト」大好きだから、彼女の歌を「糞」とは思っていない。

だが、シナトラ・ファミリーの彼が「糞」というのだから、「糞」だったのだろう。

その話を初めて聞いた20年以上前は分からなかったが、今なら「糞」の意味が分かる。

しばた譲の歌は以下が欠落している。

・ハーモニー感

・タイム感

続きを読む
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月05日

小原孝さんのセプテンパーの演奏を聴いた。

FM放送で、小原さんの「ピアノの弾き語り」の番組を聴いていた。

9月なので、ふたつのセプテンバーという曲を弾いていた。

勿論、ふたつとは以下。

・竹内まりや

・アース・ウィンド&ファイアー


かねてより指摘しているが、芸大出身者には「タイム感がある」が国立音大出身者には「タイム感がない」。

タイム感とは、「体内にメトロノーム感覚(クロノス時間)」を持ち、それと調和するように「自由に演奏する(カイロス時間)」こと。

竹内まりやの曲は、「テンポルバートで問題ない」が、アース・ウィンド&ファイヤーの曲は、「テンポルバートでは、どうしようもない」。

テンポルバートでは、グルーヴできない。

グルーヴとは、拍・パルス(クロノス時間)からの「微妙な乖離」で音だし(カイロス時間)をすることである。


小原さんは国立音大出身。ジャズピアノの山下洋輔氏も同様。
グルーヴ系の曲には手を出さないほうがよい。

posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0