死者に鞭を打つようで申し訳ないが、自殺は短慮である。そして、唯物論者の所作である。
とはいえ、彼女の死は、情報化社会が行き着いた先に、人間がどのようにメディア&P2P(インターネットでの口コミ)に付き合っていくべきか。という問題を提示している。
☆
お嬢様育ちの彼女を責める気持ちはもうとうない。彼女は不遇だっただけ。もし、彼女の近くの誰かが、メディアとP2Pの特質を説き、その中でどうふるまうべきか。または、耐えるべきかについて、アドバイスしていたら、このような終末はやってこなかった…。
彼女は自殺ではあるが、情報社会の犠牲者である。ならば、自殺とはいえ、成仏もたやすいだろう。私は、彼女が情報社会の犠牲者である。と、説くことで、彼女の冥福を祈りたい。
☆
インターネット以前の情報ツール
1.メディア:フロー型(垂れ流し)
2.P2P(口コミ):バーバル(言語的抽象性)&フロー型
インターネット以前は、メディアはフロー型(蓄積されない情報)だった。そして、P2Pは口コミ。こちらも言語のみ、フロー型である。
※新聞も古新聞に価値がないという慣習により、フロー型である。縮刷版は図書館で見られるのみであり、それを活用する人は少ない。
それが、ビデオデッキの普及により、メディアがストック型に変容していく。YouTubeの登場により、メディアのストック性(蓄積)は増している。一方、P2P(口コミ)も、コンテンツコミュニケーションになっていく。写メイルの交換や、ネット上での情報共有、転送、YouTubeなど、P2Pはもはや口コミではなく、コンテンツコミュニケーションとなっている。
インターネット普及時代の情報ツール
1.メディア:ストック(蓄積)&フロー(垂れ流し)型
2.P2P(市井コミュニケーション):市井コンテンツコミュニケーション&ストック(蓄積)
インターネットが普及する前は、メディアは言論統制ができるが、口コミは言論統制ができない。そういう時代だった。
以前にも指摘しているが、ナチスドイツの言論統制はゲッペルスによってのみ成立したのではない。ゲシュタポによる口コミレベルでの言論統制によって成立した。
今、民主国家でゲシュタポな組織・システムを採用することはできないから、口コミは無政府状態となる。とはいえ、口コミの拡散性は物理的限界に従うから、メディア発信の影響力とは比べるべくもない。
結果、人の噂も75日ということになる。
*
だが、インターネットの時代になると、口コミは市井コンテンツコミュニケーションになる。市井コミュニケーションは、コミュニケーションがそのままストックされる。結果、マイナーなメディアと同等な影響力を行使する。地上波テレビを数千万レベルとすれば、数千〜数万レベルまで達する…。
メディアでは言論統制ができたが、市井コンテンツコミュニケーションに言論統制はできない。結果、「自分に都合のよいところだけを発信する」ことが不可能になった。
ならば、どうするか…。
自分のすべてをさらけ出す覚悟で、メディア人にならなければいけない。売れっ子だった川田氏の場合は、そういう覚悟をするタイミングを逸してしまったのだろう。
☆
政治家は女性関係の問題で、権力の座からひきづり降ろされようとする。有名人がゴシップで叩かれるのも、そういうことだ。だが、だが…。である。所謂下半身の問題ではあるが、そこで問題にされるのも、実は健全性である。
東欧の有名芸能人が彼氏との房事のビデオがインターネットに流失したことがある。彼女曰く、彼氏との素晴らしい時間を映像として記憶しておきたかった。とのこと。私は十秒ほどのサンプル版しか見ていないが、彼氏との素晴らしい時を過ごす彼女の嬉しさが伝わってきて、好感が持てた。かの国の大衆の反応も、彼女の気持ちを理解したようで、騒動は鎮静化していった…。
一方、香港の男優(エディソン・チャン)が複数の女優たちとの映像がインターネットに流出した件。こちらは、男優の行為の本質が愛ではなく、快楽だったといえるのではないか。私はぼかしのはいった静止画しか見たことがないが、愛の写真というよりも、淫らな行為を楽しんでいるといった雰囲気が感じられた。
男優は香港内での活動を停止し、女優たちが活動を停止したり、自殺未遂をはかった。当事者たちをそのような状況に追い込んだのは、愛とはかけ離れた「不健全」な性生活が映像として提示され、それを大衆が支持しなかったことがあるのではないか。
日本でも、IT系ベンチャーの社長と結婚・離婚をした女優のホテルでの写真がインターネットに流出したことがある。ネットにアップされた静止画を私は観たが、ここで女優は健気にもお財布からお金を出そうとしている。睦ごとも終わり、経済的に余裕のある彼女がホテル代を準備しているように見える。
ここにおいて、女優は被害者であり、よき人である。撮影者と噂される男優は、女優に愛を求めたのではなく、単にセックスを求めたのかもしれぬ。だが、それを彼女は許し、そして彼女は裏切られた。
一般常識からいえば、彼女は愚かな女かもしれぬ。だが、女優としては、愛しい存在である。だから、彼女が芸能活動をやめることはなかったし、彼女は傷ついてはいない。
☆
人間は上半身と下半身でできている。そして、人間の感情には、喜怒哀楽がある。
インターネットが登場する前は、メディアは上半身と喜楽だけを扱うことができた。だが、これからはそうはいかない。説得力のある下半身の行動と、喜怒哀楽の提示が求められるのである。
小難しいことを書いてきたが、簡単にいえば、「お天道様はいつも見ている」。その一言であるし、そのように行動すればよい。
☆
川田氏が死に至るまでの事情は私には分からない。だが、メディアとP2Pコミュニケーションの間で、彼女は軋んでしまった。だから、彼女は悪くない。と明言する。
2008年。個に求められるのは「耐性」である。彼女が唯一責められるならば、耐性の欠如である。
川田亜子氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。



