2008年05月25日

KY(空気読めない)を考える。:コムツーの時代。

コムツーとは、コミュニケーションUのことであり、私の造語である。
一般的に「コミュニケーションは情報伝達である」と定義されるが、私は、「コミュニケーションには、情報伝達とは別に、同一コミュニティーの成分であることを確認する要素がある」とする。

情報伝達が、コミュニケーションT、略してコムワン。
同一コミュニティー属性の確認がコミュニケーションU、略してコムツーである。

KY(空気読めない)というのは、コムツー・コミュニケーションによって確かめられたコミュニティーの存在を理解できない人のことである。



明治大学の斉藤孝教授は、「日本語には、意味の含有度が低い」というが、それは、日本人の対話がコムツー度が高いからである。
そして、日本語で敬語が多用されるのは、コムワン(情報伝達)よりも、コムツー(コミュニティー内のヒエラルキーの確認)の方が重要だということだ。その証明のひとつは、敬語が失われつつあると不平を述べるのは、決まってヒエラルキー上位者である。私はヒエラルキー下位のものが敬語を使われないことに不平を言うケースを見たことがない。



何故、コムツーという概念が重要かといえば、それは、インターネットという場において、個と全体しかイメージできない状況が起きていて、それがさまざまな問題を引き起こしているからだ。
つまり、個と全体しかイメージされぬ結果、さまざまなコミュニティーが野放しにされた結果、局所において、不都合が起こる。
出会い系サイトや自殺サイトなどのコミュニティーがその類だろう。私はそのようなサイトの存在そのものを否定する立場にはない。
善は善を持ってしかるべく遇されるべきであって、悪は悪をもってしかるべく遇されるべきである。そもそも、善と悪は両方存在するのが自然であり、善のみが存在する世界などあるはずもない。善悪をプラスマイナス、喜怒哀楽などと対照して考えれば、イメージがつかめるかもしれぬ。



ここでコムツーが重要なことは、発信者と受信者というカテゴリーを越えられることである。
私は、「言論における発信者のバイアスを取り除くこと」が重要であると指摘してきた。
たとえば、「何か言いたいことがある人?」と発言を募ると、発言好きな人や目立ちたがり屋の人の発言ばかりになってしまう。それらが、一般市民の感覚と隔たっていることは、多くの人達が理解できるだろう。

だが、コムツーを考えるならば、そうしたバイアス(偏向)を捨象することができる。
固有のコミュニティーにおいて、誰かがコムワンで発信する。そのコミュニティーに属する多くはコムワンで発信しない。ただ、コムツーで発信しつづける。この場合のコムツー発信者は発信者でありながら、発信者としてのバイアスを持っていない。そこで、発信者のバイアスから逃れることができる。
100人のコミュニティーであれば、1人が情報発言(コムワン)して、残りの99人が発信しない(コムツーな存在)。それが健全な姿である。

私のブログにしても、私はコムワン発信だが、アクセスする千人ほどの人はコムツー発信である。




追記:
私のブログ欄に書き込む人はいないが、はてブを読んでいると、反発・反感・反論もさほどでもない。勿論、コムワン・コムツーという概念を共有しない人には、対話の接点すらないという事情もある。
posted by sponta at 12:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブメソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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