両作品とも、マンガが原作であり、近未来が舞台である。
「Vフォー・ヴェンデッタ」では、仮面の男 Vが主人公であり、「デスノート」では、大学生・ライトが主人公である。
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「Vフォー・ヴェンデッタ」ではロンドンの行き詰った近未来を全体主義とマスコミによる情報統制と仮想する。一方、「デスノート」の東京は、行き詰った法治国家・警察国家を仮想する。
行き詰った近未来を安寧に導くのは、イギリスでは、Vというオペラ座の怪人のような仮面の男である。この仮面の男は、市民たちに仮面を配り、ラストシーンでは、匿名者たちの圧力で新しい時代を切り開こうとする。
一方の日本では、大学生ライトは、死神とデスノートという異界の力を使って、理想社会を生み出そうとする。だが、デスノートの最後では、ライトが輪廻転生さえできぬ魂に陥ることで終わる。
Vもライトも反道徳的であり、その理想が高いにしても、社会が許容する精神の持ち主ではない。
そして、物語の終わりは、Vには新しい時代の予感があるが、デスノートには出口はない。
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イギリスと日本。
それぞれの行き詰った社会を解決するのが、イギリスはユング的な集合的無意識、一方の日本は悪魔的な神秘主義。
行き詰った社会の表現において、日本の近未来の方がリアルである。だが、解決策においては、日本の方が現実ばなれしている。
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Vもライトもアナキストだが、民衆の支持を受けることを気にする。そして、行き詰った民主主義の先の世界を模索する。
昨今の社会的閉塞感をマンガという仮想世界で克服しようとする。
日本とイギリスと、マンガ作家・映画作家たちの問題意識は同じであり、その結果生まれたストーリーの違いが興味深い。
追記:
そして、Vが爆破したビッグベンに集まった匿名の集団。これもまた、全体ではなく部分である…。