はっきり言えば、
ごくせんは△、ルーキーズは×、おせんは◎ということだった。
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ルーキーズは、原作に縛られて、身動きがとれない。そして、主演の佐藤隆太は、素の顔が笑い顔である。主人公の周りにいる明るいキャラクターならば、それでいいが、それが主人公では、作品がコメディーになってしまう。そのような気分で作品をみていると、ドラマの流れに違和感を持ってしまう。そういうドラマの構造的な問題がある。
「佐藤隆太は、しっかり演技プランを立ててからやらないとだめだ」と、私が言うと、娘は、「演技プランを立ててやるのはよくない。もっと不自然になる」と反論する。娘の言うとおりである。よほどの演技力がなければ、演技プランを立てることは、演技の作り物感を増すことにしかならない。
娘に言い負かされた私は、このシナリオの不備を指摘する。問題は、小出恵介の設定である。野球部でありながら、野球ができないことで悩む小出は、退学すべきかor野球部がこのままでいいか。悩んでいる。その悩みを知った佐藤隆太演じる主人公の教師が彼と心を通わせ、野球部を更生の道へと引っ張っていく。それが、初回のストーリーだ。
冒頭、小出が泣くシーンがあり、そして、いつの間にか、佐藤隆太演じる教師に心の中を打ち明ける。たしかに半年前の流血試合で野球部が活動停止になっていることは提示されているが、その事件に対して、小出演じるキャラクターがどう葛藤したかはあまり描かれていない。そのような段取りでストーリーがすすんでいくならば、小出の涙は泣き虫の涙でしかなく、小出の吐露も弱虫の泣き言でしかない。そのようなシナリオの中でいかに小出氏が迫真の演技をしたとしても、その成果は覚束ない。それがドラマの難しいところである。
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一方のごくせん。三番煎じのこの作品は、かなり辛い。
前回の作品を、我が娘は、「水戸黄門である」と看破したが、今回の作品は、同僚教員役や生徒役などキャストも見劣りがしていて、なんとも辛い。初回を観ただけだが、新機軸が見当たらない。
もう十年以上経つのかもしれないが、「びんびんシリーズ」「熱中時代シリーズ」があった。それらも続編が次々につくられていったが、教師や刑事、ラジオ局など、設定を変えつつ、新しいシリーズが登場させることで新味を出していた。だが、今回の場合は、以前とは別の強力な設定が見当たらない。結果、出演者たちは受けたネタを繰り返しているような感覚を払拭できず、なんとも落ち着きの悪い演技をしているように感じられた。
たとえば、ごくせんの設定を小学校にして、不良グループをモンスターペアレンツに代えて描くこともできたし、勿論、ごくせんを刑事物語にすることもできた…。
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さて、おせんである。
これは、書けるライターである大石静氏の佳作であり、セリフ・ストーリーの展開など、シナリオとしての完成度が高い。人気漫画のドラマ化らしいが、漫画をそのままドラマにしたのではないだろう。そういうシナリオライターとしての自由度を大石氏が獲得していることが、このドラマの成功につながっている。
ワンレングスで接客をする女将・おせん。内くんの頑固さに繋がるプライドの表現すべきところなど、改良点はあるものの、作品として成立していると思う。
一方のルーキーズは、原作重視であり、原作を加工する権利を現場はもてなかったのだろう。そして、ごくせんも、前作のイメージ重視で、過去の作品のイメージを崩すことが許されなかったう。
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さまざまなドラマがあっていいし、さまざまな映画があっていい。とはいえ、シナリオ学校で教えるような、理想的なシナリオの運びというものは存在する。
そして、そういう王道なシナリオこそが、ゴールデンタイムを埋めるドラマにあるべき。だと思う。
そのような規範に立って見た時、巷間、巨匠・名優の作品でも、褒められたものでないものが多く存在する。なんとも悲しい状況である。
今後は、作家性やプロデューサーの好みを反映したドラマではなく、プロダクションシステムによるドラマを復権・構築すべきだろう。
2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。



