2008年04月24日

「ネット規制についての論点整理」に関するメタ議論。

池田信夫先生が、提題している。なんでも、水曜(4/23)に、民主党のプロジェクトチームのヒアリングで意見を述べることになった。そうだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/29cc52ec0d2190579e1321a2d0271adf

だが、議論をメタ化しないと意味がない。私はMIAUにも登録してみたが、議論のレイヤーが違いすぎる…。


フィルタリングの義務づけは必要か
賛:親がフィルタリングを知らないなど十分に監督しないと、子供は野放しになる。またPCには監督が行き届かない。
否:携帯端末は保護者しか買えないので、その段階でフィルタリングしたい親がすればいい。またPCにフィルタリング・ソフトの内蔵を義務づけるのは非現実的だ。


まずは、分類が最初。(フォークソノミー)
フィルタリングをするならば、その主体である権威の根拠を明確にしなければならぬ。
インターネットとはボーダーレス(国境が存在しない)であり、そこを国権が寡占的に規制・統治することの妥当性はない。

そして、ラルフ・ネーダーの言うように、情報が民主主義の貨幣だとするならば、情報を隔離することは、専制への回帰である。

フィルタリングは、民主主義の敵である。
あるべきは、分類と複数の権威による複数のフィルタリングシステムが多レイヤーで並存すること。


ISPの規制は必要か

賛:自主規制だけでは、ルールに従わない悪質なサイトがもうかる。出口で規制するより、有害情報を送る側を規制したほうが効率的だ。
否:違法なサイトは刑法で取り締まればよい。刑事罰以外にも、悪質なサイト名を公表するなど制裁措置は可能だ。


警察権力はひとつのパワーだから、その権威失墜や一般市民の遵法精神の低下というリスクを取りながらISPを取り締まりたければ、取り締まればよい。


「有害情報」の定義が曖昧ではないか

賛:法律で厳密に定義することは不可能で、通常の法律でもそういうことは要求されていない。その判断のために第三者委員会やホットラインセンターがある。
否:第三者委員会やホットラインセンターには警察の影響が強く、中立性に疑問がある。曖昧な基準で「有害情報」の流通を規制すると、無関係な情報の流通まで阻害される。


まず、分類が最初であり、それを有害かどうか評価する主体は別に存在すればいい。
有害情報の定義は、複数の権威者が行なえばよい。
そして、多様な価値観によって有害かどうかが定義されるし、その定義により、それらの権威者が価値づけられる。

たとえば、娘がセックスをいまだ経験していなければ、私は未成年がセックスをすることの有害性を説く。もし、娘がセックスを経験していれば、私はセックスの有害性は説かず、避妊しないことの有害性を説く。
そのように、私という固有の主観においても、有害であるかどうかは、変化する。固定的に固有の価値観で一概に有害性を論じることは、現実に即していない。


まずはフォークソノミー(民衆による分類)。
それに付随して評価機関が複数存在すること。
そういうシステムを整備しなければならぬ。

ダライ・ラマ師は、チベットに情報公開の自由がないというが、ネット規制の先にあるのは、チベット的な情報公開の自由のない日本である。
そして、情報公開の自由とは、情報にたどり着けることをもって成立するなら、グーグルが価値の重要度をつける権力を寡占している日本の状況にすでに「情報公開の自由はない」と断じることができる。
posted by sponta at 17:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブメソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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