2008年03月29日

「イタかわいい」。エド・はるみという生き方。

サンデー毎日の電話取材を受けた。なんでも、大ブレーク中のエド・はるみさんの特集をするという。私は、二十年ほど昔の演出助手の時代、彼女と出会っている。日活出身の女優が主催する演劇集団で、国民的アニメの声優の女性と一緒に、ミュージカル仕立てのステージを行なった。


彼女の芸は、いわゆるヒキ芸だろう。つまり、観客がヒクことで成立する芸。だが、それをして、彼女が巷間知られることとなり、芸能界というボキャブラリーになるのならば、使い勝手のいい彼女は女優としてのスタートを切ることもできる。そのためのお笑い戦略は、まさにグーだと思う。
だが、学生時代の彼女を知っている私としては、容姿端麗で、勉強ができ、お行儀のよい彼女が、「お笑い」に目覚めたなどということをなかなか理解しづらい。
私にとっては彼女は、いまも昔も演劇志望の女の子であり、表現をしたい熱情を抱えた女性である。

二十年前、演出助手だった私は彼女の演技について、「自分の殻を破れていないこと」を指摘できずにいた。その後悔が、私の記憶に彼女を長く残らせていた。

仕事場の若い人にエド・はるみ評を聞くと、「女の人なのに、あそこまで自分を捨てられる人はいない」と、絶賛していた。
だが、グー芸やダンスを見ていると、自分を見せることをしないで、拵え物の別人格・エド・はるみを見せることで、今回も「自分の殻を破っていないこと」が仄見えてしまっている。



最近、私は、ロベール・ブレッソン監督の言葉を娘に与えた。
「演技とは巧妙な嘘である。私は巧妙な嘘よりも下手な真実を選ぶ」

フランスのロベール・ブレッソン監督は、監督が尊敬する監督である。ドミニクサンダなど、彼に見出された俳優は多い。そして、名優シャルル・アズナブールは、自分が俳優であることでブレッソンに使ってもらえないことを嘆いた。一時期の黒澤明監督はブレッソンに触発されて素人俳優を起用したに違いない。

ブレッソンの尊崇者である私に、エド・はるみ評をさせるならば、彼女は「下手な嘘をつくることで、もうひとつの真実を作ろうとした」ということだろう。つまり、成人式を二度した彼女の人生が真実であり、そのことが今回のブレークに繋がっている。
とすれば、ネタ本位ではなく、彼女の人生を使って芸能活動を押し続けていくならば、彼女の賞味期限も永続するに違いない。

エド・はるみはネタを売っているのではなく、人生を売っている。四十を過ぎた自分をネタに商売をする。それは演技を越えて、「イタかわいい」。

ならば、彼女はテレビ界・芸能界に残っていけるだろう。




ウッチャンナンチャンは、私の今村昌平の映画学校の後輩であるが、彼らは、内海桂子良枝師匠に見出され、一躍スターになった。そして、内村氏はタレント業の傍らいまも映画を忘れない。私の同期の演劇科の卒業生には、ピックルスという女性漫才がいたが、彼女たちはお笑いのままどこかへ去ってしまった。エドさんがこのまま「お笑い」のまま行くのか? それとも、本来の演技の道を行くのか。そして、何故、このブログを書いているかといえば、R-1グランプリに、なだぎ氏が再挑戦したように、ひとつのネタ(ギャグ)だけでは消費し尽くされてしまう。その結末をなんとも、彼女自身の手で切り開いて欲しいからだ。
今、小島よしお氏は、一発屋の危機感をあおりながら、新ネタというギャグで延命を図ろうとしている。それは、一発屋芸人として延命しているゲッツや猿岩石有吉らと似ている。そのムーブメントを、先輩芸人たちは応援している。それらを通じて生き残ろうとする相互互助会的な日本の芸能界に優しさを見ると同時に、そういう既得権者たちがやさしさの相互不可侵条約を締結することに、なんともいえぬ複雑な思いでいる…。



坂本龍馬を読んでいる。
時代の風が吹いてくれば、満帆に風を受けて大いに海原に躍進する。
それはそれでいいのだし、その風まかせでどこに行きつくのか、エドさんの将来が楽しみである。
私はといえば、帆を掲げながら、手漕ぎボートよろしく風を待っている。エドさんにあやかりたいものだ。
posted by スポンタ at 05:51| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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