2008年03月10日

痰壺が世の中から消えた日本に環境問題を問う資格があるのか。

食品の賞味期限問題。
再生紙のリサイクルに関する表示偽装問題。
それらに、モラルの低下を指摘する人が多いし、遵法精神の欠落を嘆く人が多い。だが、問題は、物事を深く考えず、表面的に捉えてしまう。理解してしまうことに起因している。



たとえば、大阪吉兆の地鶏問題。
地鶏はブロイラーに比べて固く、調理後の保存に合わない。ブロイラーは柔らかく、から揚げなどに向いているのだが、人工的なイメージがあり、高級市場では評価が低い。そういう矛盾の中で、「地鶏と謳いながらブロイラーと表示する」ことが起きた。
再生紙の問題も、古紙を使うことが工程に負荷を加えることになり、かならずしも「環境にやさしい」に繋がらないという根本的な問題がある。そこで、「再生紙の使用割合を実際よりも高く表示する」ことが起きた。
現場の人達は、問題の矛盾に気づいている。だから、人工物でしかない法律よりも、現実・真実を選ぶのである。それを条文を満たしていないからというだけの論拠で責めるのは浅薄である。
あるべきは、現場の人と消費者と法文作成者と法律施行者が、ことの有様を仔細を考察し、新たに対応を検討することである。



中学校の英語の教科書には、イベントで放たれた風船をクラゲと間違えて海亀が死ぬという話が掲載されている。だが、風船の存在比率、海亀の存在比率を考えれば、途方も無く馬鹿な話。そんな比率を憂慮するならば、私たちは日々、隕石に当たることを気にしながら生きていなければならない。



環境問題とは何なのか。理知的な日本人は、ことの本質を考察しなければならない。

割り箸を使わぬことが、どれほどのことなのだろうか。割り箸は材木の余剰部分を使っていると、業界は主張している。ことの仔細は分からぬが、割り箸業者が槍玉に挙げられているだけのことだと私には思えてくる。



そこで、表題。
日本から単壺が消えた。これは日本の習俗がティッシュを使うようになったからである。そして、ティッシュの使用量は世界トップを争っているという。

私は、グランドで手鼻をかむブラジルの選手を見ていると、カッコイイと思う。
日本人はそういうことができない。日本人は「カー、ペッ」と、痰としてとして出すやり方である。そして、それが下品であると、日本の習俗から衰退し、ティッシュが使われるようになり、駅のプラットフォームから痰壺がなくなったのである。そういえば、私の祖父の家にも痰壺があったっけ。北陸の港町。痰壺は蛸壺を流用していた。

かつて、電気のスイッチをこまめに消しましょうといっていた女性環境大臣がいる。彼女に、「カー、ペッ」という古き日本の習俗を復活させ環境負荷を減らしましょう。と、訴えてみたかったスポンタである。



なんてことを娘に言ったら、「カー、ペッ」ってする人なんて信じらんない。
…だそうである。

環境問題は、人格否定にも関わる厳しい問題を孕んでいる。ならば、電気をこまめに消し、割り箸を使わず、再生紙をつかった名刺を使うことで、自らを善人のように振舞ってはならぬ。

罪とともに生きている自らを恥じつつ生きていくしかない。
これがリアル、現実だ。
posted by スポンタ at 08:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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