2008年02月26日

ロス疑惑M氏の逮捕が教えてくれる、細分化された世界。

インターネットによって、世の中がフラットになる。インターネットによって、パノプチコン(総監視社会)がやってくる。などと主張する人がいるが、そうではないことをサイパン島でのM氏の逮捕は教えてくれる。

立場とはステークホルダー(固有の利害)であり、立場の集合がコミュニティーである。ならば、どんなに情報ツールが向上使用とも、コミュニティーはひとつににはならない。細分化するのである。


M氏は日本の最高裁判所で無罪判決を受けたから、無罪である。これが司法のステークホルダーである。そして、司法に従うのがマスコミのステークホルダーである。一方、検察はもうひとつのステークホルダーの利害を持っている。起訴することは、有罪を信じているから行なうことである。だから、最高裁判所が判決を下そうとも、検察官は有罪であることを信じつづけているに違いない。そして、苦虫をかみ締めるように、最高裁判所の無罪判決に接してきたに違いない。そして、検察に連なる警察も同様だろう。

私は、一昨年に、オウム真理教の平田悟ではないかと疑われ、自宅に捜査がやってきたことがある。その係官に私は、「M氏は殺っていると思いますか?」と尋ねると、彼は頷いた。私は、同様なことをいろいろな人に尋ねたことがあるが、M氏が殺っていない。と、言った人は皆無である。つまり、M氏は最高裁で無罪になった。ということであって、M氏が殺ったか、殺らなかったか。といえば、殺ったということを市井の人の殆どは確信していたのである。
ここにおいて、事実と司法的結果は異なる。そういうことが日本で起きた。それだけのことだ。
だが、マスコミは、司法的結果が真実であると妄信し、それを煽動しつづける。

とはいえ、今朝の日本テレビに出ていた元捜査官の田宮氏は、最高裁での無実を、詰め将棋に負けただけ。無罪と無実は違う。と言い切っていた。
そして、テレビ朝日に出ていた大沢弁護士は、同じ事件であっても、日本とアメリカで有罪であるかどうかは異なると公言する。つまり、警察や弁護士という実務家たちは、真実に興味はない。
真実に興味があるのは、テレビ・ジャーナリズムだけだ。


最高裁で起きたことは、最高裁で起きたことであって、ロサンゼルスで何が起こったかとは次元の違うことである。
つまり、他国で殺人をした人間を日本でどのような生活をさせるか。を問うたのが日本での裁判である。
そして、今回は、自国(米国)で殺人をした他国籍者の再入国に際して、どのような生活をさせるかというのが、今回のM氏拘束の有様だ。ここにおいても、真実が問われているのではない。
だから、今回の出来事も真実を問うために行なわれているのではないことを我々市井人は認識しなければならぬ。

だが、マスコミ(テレビのワイドショーのコメンテーターたち)は、新たな真実(証拠)が見つかったのかもしれぬ。などと、喧伝する。M氏を拘束したのならば、有罪にするための材料があるに違いないなどと勝手な想像をする。だが、そんな馬鹿な話はない。

ハンドボールでは同じルールでも審判が違えば、カタールではなく、韓国がオリンピックに出場できるのである。今回の場合は、ルール(アメリカの法律)も審判(陪審員制度)も違う。ならば、出場選手(被告・関係者・証拠・証言)が同じでも、結果が違うことは多いにありうるのである。



真実はひとつではないこと。アメリカと日本とふたつのスタンダードがあること。そのことをM氏は実証してくれている。なんとも、興味深い出来事である。

posted by sponta at 09:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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