検索数アップのために、改めて書くが、小島よしおは一発屋にはならない。
以下にその理由を書く。
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その理由は、前日のエントリー・エド・はるみ氏についてを読んでもらえば理解できるだろう。
小島よしおには素がある。だから、一発屋にはならない。
ギター侍やつぶやきシローは、素と作り物が混在していた。だから、素をつくりにくかった。彼らは一発屋である。
そして、ダンディー坂野や猿岩石・有吉は一発屋ではない。一発屋芸人として売っているから、二発芸人である。
一方、一発屋であることにいまだに気づいていないテツ&トモは、堂々たる一発屋である。いまだに、「雨」でコマーシャルにでる三善英史のようなものである。
一方、青木さやかは、素と作り物を上手く操っている。そして、柳原可奈子は一発屋にはならない。何故なら、彼女が売っているのは演技であって、ネタではないからだ。演技はエバーグリーンである。
ネタは消費されてしまうが、演技は消費されない。彼女の総武線のギャルのネタは何度見ても楽しめる。演技とは、そういう魅力を持っている。
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それで、小島よしおである。
彼にとってのターニングポイントは、日本テレビの24時間テレビだった。
ダチョウ倶楽部の当たり芸である熱湯もので、小島よしおは、熱湯でないことを思わすバラしてしまう。あのとき、彼は、「そんなの関係ねえ」と、自分のギャグで乗り越えることもできた。だが、そこで彼は沈黙。素を作ったのである。
いまでは、中村勘三郎が、ダチョウ・上島のおでん芸を演技だとテレビで公言するが、つくり物・ネタであることを種明かしして、尚、魅力がある。そういうレベルにおいて、ダチョウ倶楽部もひとつグレードがあがった。
それは、西川女医の傲慢キャラがつくりものであることが分かって人気を増したり、にしおかすみこが実はどMだと涙で告白することで彼女の純情がお茶の間の感動を呼んだり、路チューですべてを失ったかに思えた山本モナが、その独特の恋愛哲学を露出することで共感を集めたことと同じ。
小島よしおも、24時間テレビの一件で、モードチェンジができている。彼はもうひとつの衣装を纏ったのである。
ということで、小島氏、本人のコメントを期待するが、褒めているので、彼が書き込むのかどうか…。
勿論、彼がほんとうに書き込んだとしても、それを確かめる術はない。