2008年02月19日

エド・はるみさんのこと。

私は、かつてミュージカル劇団の演出助手&制作をしていたが、そのとき、明治大学演劇学部在籍中の彼女とステージをひとつやったことがある。

当時の彼女は、藤子不二夫の漫画の女性キャラクターのような魅力があり、目がくりくりと輝いていたという印象。履歴書の文字だったのだろうか、彼女が書いた自分の名前の丹精さをいまも忘れない。その後、彼女がビジネスマナーの講師をやっていたといのが頷ける。当時の彼女がどうだったかといえば、舞台表現者として表に出る何かをつかみたい。そのような気持ちがギラギラしている。そんな感じ。いまではとりとめもない印象に過ぎないが、エド・はるみが、かつての江戸はるみだと知ったとき、私はなんとも複雑な思いにかられた。彼女がR-1グランプリに出場しようと思ったのは、あのときのギラギラした思いを20年近い年月ずっと持ち続けていたからに違いない。


日曜日の「爆笑レッドカーペット」で、彼女はMVP賞に輝いた。だが、彼女の芸は一年前と変わっておらず、着替えるときにスカートの裾がつっかえるところまで、昨年通りだとMCの内村氏につっこまれた。彼女の余裕のなさは変わっていない。彼女のパフォーマンスを見ていると、私は江頭2:50を思ってしまう。そんな辛さが石原良純氏を感動させ、MVPに導いたのだろう。

そんな彼女を、私は約二十年の記憶と重ね合わせる。
テンションが高いだけで、そこに彼女自身の素の部分がまったくない。これでは作り物の奇妙なものを見せられているだけで、彼女の人気はネタとしての人気であって、パフォーマーとしての人気ではない。
二十年来の知り合いだから、あえて言わせてもらう。早く、「グゥウ」の芸をやめて、素の芝居をつくれ。否、「グゥウ」の芸の中に素をつくれ。内村氏がスカートの裾がひっかかったことに注目した意味を考えろ。

真実であれば相手にとって辛いことでも伝えるのが私の誠実である。当時、助手でしかない私の言葉は演技者たちから反発を食らうことも多かった。以降、権限が無い限り、私はそのような意見を述べることはなくなった。



芝居とは…。演技者としての生理とは…。
彼女の演技者としての生理がまったく変わらないまま、二十年の時が過ぎ、それが徒花のようにお笑い界で消費されている。なんと残酷な。
だが、それによって彼女がそれなりの達成感を得ているなら、無名のまま二十余年を過ごしているスポンタとしては、羨ましいと思うべきなのか。とも思う。

一方、圧倒的な演技力で人気を博する柳原可奈子嬢がいる。ショップ店員・総武線のギャル、そして、今回リリースしたセレブスタイリスト・北條マキ。柳原嬢とエド女史のキャリアと演技のレベルは正反対。なんとも残酷である。



我が娘もエド氏に素の部分がなくイタイと、私の意見に同意する。
彼女は、KAT-TUNの曲を耳コピイでピアノを弾き、友近&なだぎのキャサリン&ディランの物まねをし、柳原のショップ店員・総武線のギャル、北條マキをコピイ。「ごくせん」の仲間由紀恵・生瀬のセリフを真似る。それら全てが玄人はだし。なんともはやである。
50歳に近づく私は演劇や演出を講じるが、自分では何も演じることはできない。だが、娘はすべてを感覚で理解し、再現できる。私にとっては残酷なことだが、論理は後付けの言論に過ぎず、感性に軽々と負けることの証明である。

さて、そんな中1の彼女を「ユー、出ちゃいなよ」精神で、オーディションに出そうとしている。そこで、私が演技プランを伝えることを娘は文句を言う。
「パパの言うとおりにはしたくない」と。
私は、「でも、父ちゃんは間違ったことは言わないし、正しいことは正しいんだからいいじゃないか。それに父ちゃんはお前にいくつかの選択肢を示しているだけで、どれを選ぶかはお前の自由にしているよ」
私の中には、アクターズ・ステュティオも寺山修司も藤山寛美もジェイムス・ディーンもチブルスキも入っている。
彼女がメリル・ストリープな演技をしようが、泉ピン子の演技をしようが、大竹しのぶの演技をしようが、藤原紀香の演技をしようが、その選択は自由だ。
それでも彼女は不満だ…。
そんな娘でも、三年前、五年前に私が言ったことは彼女の中に体得されている。どういう芝居がいい芝居なのか。ナイーフ(素朴)な演技とオーバー(説明的)な演技の巧拙を深いレベルで理解し、再現できる。そして、パフォーマンス(芝居・歌)で一番重要なことは感情を伝えることである。と理解する。

昨日も、HEY HEY HEYに出ていた中村中が、番組に出た嬉しさのあまり、朗々と歌ってしまった瑕を、私は娘と共有した。「友達の詩」とは、性同一障害者が叶わぬ恋情を描いたものである。最初から友達でいい。なんて嘘である。煩悩なきところに悟りなし。なのだ。



そういえば、この間のカミサンがNHKの取材を受けたときの娘のブーイングは凄かった。
「ママの演技は臭すぎる」
そう。それにパパの演出も臭すぎる。
娘は親を越えていく。それでいいし、そういうものかと思う。
posted by スポンタ at 07:49| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
難しい事は解りませんが、私も「エド・はるみ」は「江頭2:50」と同じで痛く見え、つまらない。笑えない。

なぜ彼女が人気なのかさっぱり解らない。
Posted by そらっち at 2008年02月19日 18:11
メディアは強欲にも、小島よしおの次の素材を求めている。そういうことだと思います。

勿論、品川くんの優しさもありますが…。

コメントありがとうございました。
Posted by at 2008年02月20日 05:44
イタイ....かぁ......。
私は彼女と同年代なので、
逆にそのイタサがたまらなく面白いですが(笑)
気持ち悪いと言っていた小学生もいますがね。
好みは人それぞれなので、そういう意見も有りでしょう。

日常的に、イタイ思いをしながら生活し、
時にはわざとイタイ部分をさらけ出し笑いにする...
それが出来るのも、
年齢を重ねているからこそではないでしょうか?

柳原嬢も好きだけれど、
かつての山田邦子さんと通じる者が有ると思います。
どこかで見たことがある......

オリジナリティという意味では、
エドさんに軍配が有ると思うのは私の贔屓めでしょうか?
(^_^;)

今の若い子供達は、物まねは巧い。

それに関しては、異論は有りませんけれどね。
昔に比べて情報の多い現代では、
目につくネタ自体(芸人の数)が多いから、
必然的に真似をする数が増えるのも納得です。
それこそ、子供ならではの所行(^o^)d

結局、私の言いたい事は、

VIVA♪エド・はるみ

ということです。(笑)
長文、失礼致しましたm(_ _)m
Posted by ゆきちゃん at 2008年03月06日 21:55
ゆきちゃんさん。コメントありがとうございます。

最近知ったのですが、エドさんのような芸をヒキ芸というのだそうですね。

私の娘は「演技をしたい」「何かを表現したい」と、思っているようです。その娘に対して私は、「有名になりたい」とだけは決して思ってはいけない。と、言い続けています。

私は、エドさんが、「ある日、お笑いに目覚めた」と、言っているのですが、ほんとうにそうなのかなぁ…。と、しみじみと思っているのです。

グーという言葉遊びと、キレ芸にも通じるアクションで笑わせているようですが、ほんとうに笑いを求めるならば、あのような所作にはならぬ。そう感じてならないのです。

とはいえ、彼女の昔を知っているものとして、これで有名になったのだから、演技や司会の道もできる。お笑いに拘ることはない。と、応援したいもの。彼女には、お笑い以外の引き出しは沢山あるのだから、一発屋では終わらないでしょう。

有名になったことで、彼女の人生がどう変わっていくか。かげながら期待しています。

ありがとうございました。
Posted by at 2008年03月07日 05:06
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