2008年02月17日

蘇民祭にメディアを思う。



蘇民祭のポスターにJR東日本からセクハラではないかとクレームがつき有名になった。今年の黒石寺の本祭りには、観衆400名に対して、報道陣が150余名が集まったという。セクハラを指摘された紳士は、自らの体毛をさらすことを自らに禁じ、世話人として祭りに参加するとともに、極めて禁欲的な姿勢でたびたびメディアに出演した。

蘇民祭の紳士は、メディアを通じて、蘇民祭の精神が日本中の人達に分かっていただけたことに感謝した。
一方、橋下大阪府知事は今後、NHKのスタジオに行かないことを表明した。

東北の紳士は一昨年、露出狂が境内を走り回り、その映像がインターネットに流れて困ったことを白状した。
今回はそのようなことは起こらなかったし、全裸での儀式も照明を消すことで対応。祭りの伝統は毀損されなかった。
一方の橋下知事も公務を優先することを表明したに過ぎない。宮崎のそのまんま知事のやった地方振興策は、大阪では意味をなさない。彼がNHKと決別することは妥当性がある。

東北と大阪の紳士は、メディアを理解している…。



いま、テレビの発信力を望まない人達が世の中に多く存在する。だが、それをテレビマンたちはいまだに気づかない。
素人はテレビに映ることを嫌がる。そして、著名人ばかりでなく、芸能人でさえも、自分のイメージに毀損するならば、テレビ出演など御免だと思っている。

低所得生活の本をヒットさせたテレビコメンテーター氏は、NHKのスタジオでの矛盾した対応に不平を言っていたが、それでもNHKに出演しつづけると公言する。彼の魂胆は、テレビに出演することで知名度を上げ、自らの著作の売り上げ増に結び付けたいからだ。芸能人や有名人も、そういう意図を持っていなければ、テレビに出ることにメリットはない。売るべき商材を持っていなければ、ただただ叩かれて終わりになる…。そんなことをする人はいない。



テレビに出たい売れない芸能人や知名度を上げたい文化人、ビジネスマンがいる。その一方で、テレビに出たくない大多数の市井人がいる。そして、ほんのわずかだが、テレビに出たくないのに露出させられてしまう超有名人たちがいる。

そのことを諦観とともに認識することが、メディアがサバイバルしていくための条件だろう。


編集意図によって、発言を恣意的に切り張りするのが、メディアの常套手段である。我が妻も、睡眠障害ではないのに、そのような文脈で編集され、NHKでオンエアされてしまった。コメンテータ同様、我家もメディアに対して諦観とともに受け入れた。ならば、メディアの側も現状を諦観とともに受け入れるべきである。



湯川氏は、放送と通信の融合はしばらくはやってこない。と断じているが、そうではない。放送が溶融することはない。そして、通信は最初からバラバラだ。通信というP2Pの海の中のPのひとつとして放送が存在する。そういうこと。断じて、元電通総研氏のいうような、インターネットの中に地上波テレビコンテンツが入るなどということではない。
何故なら、コンテンツのストレージがメディア側にだけ寡占的に存在することなど、どう考えてみてもありえないからだ。

「コンテンツのデータ化」が今後のキーワードであり、コンテンツという言い方も、ムーアの法則によって、早晩なくなってしまうのだろう。
posted by スポンタ at 05:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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