2008年02月03日

鳥越俊太郎の凄さ。「私は聞いたことを書いただけで、それが真実だと思ったことは一度もない」。

鳥越俊太郎氏が、市民記者の心情を一番分かっていると書いた。それが抽象的だったか。と思ったので、その根拠を書いた。

私は、昨年、日本新聞労働組合連合のシンポジウムでパネラーをつとめたが、このようなショッキングなセリフを言うことができる記者が会場にいたかどうか。度重なる癌の手術で死と直面したことと、新聞界からアウトサイダーになっている立場がこのようなセリフを彼に許したのかもしれぬ。

新聞はネットとは違って真実を書く。もしくは、真実を求める。そういって新聞人は憚らない。だが、鳥越俊太郎氏は、「私は聞いたことを書いただけ」との諦念を白状する。
そして、それを真実だと思ったことは一度もない。と。

私は、「感情情報と情報そのものを切り離せ」と、ブログに書いている。
一方の、鳥越氏は、喜怒哀楽驚恐で市民に記事を書けという。彼のセリフを私は、感情的に記事を書けとの意にとったが、そうではない。情報発信において、感情と切り離すことはありえない。と、被取材者との豊富な接触体験から、悟っているのである。
もちろん、被取材者は感情的に発したものを理性的に処理する。それが職業ジャーナリストであり、自らが冷静な存在であることは拒否していないのだろう。

つまりは、0次発信者(被取材者)と1次発信者(取材者)を明確に分けている。

そして、決定的な言葉。

「私は取材において、被取材者の言葉を一度も信じたことはない」。

これこそが、鳥越氏が稀有なジャーナリストであることの実証である。


対照すべき価値もないのかもしれぬが、GripBlogの泉氏は、下調べもせず、被取材者に心を寄せ、記事を書いた。被取材者としての私は、その匂いを彼女から感じて取材を拒否した。その違いを、時を経て思う。

M氏のお母さんならそれも許されるだろうが、ジャーナリストとしては、辛いと思う。否、お母さんなら、世間さまに申し訳ないと、頭を強引にさげさせるだろう。



巨匠イングマル・ベルイマン監督は、「人間は嘘をつくからおもしろい」と言った。我が師・今村昌平監督は、「人間は助平だからおもしろい」と言う。ベルイマンは登場人物におならをさせ、イマヘイは、名優北村に下肥をなめさせた。

無名の私に付け加える言葉はない。
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