2008年01月21日

人間は真実の奴隷である。有効な批判・訂正によってオーソライズされる。

さて、ネット者とリアル者の乖離を感じている。だが、ネットとリアルが別々の場所にあった時代は終わっている。

たとえば、エンタープライズ系のITのほとんどは、ウェブベース・ブラウザーベースであることをセールスポイントとしている。セキュリティーを保つことは重要だが、ウェブであることはもはや、エンタープライズ系の目標でもある。だから、ネットを敵外視する経営者がいたとすれば頑迷だし、リアルを批判するネット者がいれば引き篭もりということになる。



たとえば、「お前は分かっていない。分かっていることと分かっていないことの区別もつかない」などと、リアルの住人がネット者を罵倒することに意味はない。あるべきは、何が分かっていないかを指摘することであり、何が分かっているかを指摘することである。しかし、そのような論者は、そのようなことはしない。何故なら、抽象的な文言で具体的に話を進めることを拒んだにすぎないからだ。

そうしたコミュニケーションが、リアルな場でなされた場合には、ヒエラルキー的な人間関係でそのような視点から論理的な展開が始まることはない。だが、ネットでなされた場合には、議論・論理はとめどなく続いていく。私に何が分かっていて、何が分かっていないのか。否、その過程において、私が分かっているかが問題なのではなく、当事者たちが対峙している問題の重要性が高まってくる。

それがネットであり、そうでないのがリアルである。

そして、ネット的なリアルは進歩していくが、リアル的なネットは袋小路に入っていく。




もし、抽象的な指摘や国語的批判ではなく、もっと有効な視点で具体的に問題点・疑問点を指摘してくれれば、私は感謝と共に自らの間違いを訂正したい。だが、それはなかなか難しいようだ。



そういうコミュニケーションによって自分が変われる。こんなに素晴らしいことはない。過去の自分を脱皮できる。そして、修正されることによって、反駁者と私の間で結論がオーソライズされる。そういうムーブメントを起こすことが、リアルとウェブの融合ということかもしれないし、そういうコラボレーションがこのブログで成立すれば嬉しい。
だが、リアルの住人でウェブの悪口を言う人は、不満を言ったあとにオーソライズされてしまうという自分にとって甚だ不利な構造を感じているから、具体的な反駁をせず、抽象的な罵倒ですませる。「お前のかーちゃんデベソ」などと言ってくれぬものだから、分かりにくいが、根本的にはそういうこと。そういう素直な感情の吐露に付き合っていかねばならぬのが、リアルな世界の宿命であり、そのようなものを越えていくのがウェブ。

私は、リアルな世界でそのような罵倒にときに俯いて耐え・微笑んで耐える。そして、ウェブでは、冷静にことの真実を記述していく。

そして、これが一番重要なことだが、リアル者もウェブ者もともに真実の奴隷であるということ。

ステークホルダーやルサンチマンがあるにしても、正常な精神を持つものは、真実の奴隷になる。それが心理的な平衡を保つ。勿論、真実の奴隷であっても、それをアウトプットするかどうかは、その人の誠実さによるのだ。
posted by スポンタ at 17:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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