2008年01月03日

放送と通信の融合は、ワンゲームの長さに影響される。

放送と通信の融合は不特定多数発信と特定複数発信の違いであると、昨年秋から指摘してきた。
つまり、ブロードキャストとマルチキャスト。そして、ビデオオンデマンドはユニキャスト(特定単発信)。

だが、年末、衛星放送のコンセプトを考えていたら、いままでとは違うコンセプトに気づいた。


いままで市井の言論をオーソライズすることを考えていた。オーソライズすることによってメディアにアップされる。それが実効的であり、そういうツールをつくることが、スポンタがなすべきことだと感じていた。

だが、よくよく考えてみれば、集合知にオーソライズは必要がない。

たとえば、「狼が来た」と言いつづけた為に信頼されなくなった少年の話がある。あの話において、だれも「狼が来た」ことをオーソライズしなかった。そこに問題があったといえば問題があったのだが、オーソライズされる権力がなくとも、「狼が来た」というのが誤報であったことは巷間信じられることになった。そして、狼が本当に来たときは、問題ではあったが、「狼が来ていない」ことは周知の事実だった。

考えてみれば、南京大虐殺や従軍慰安婦。そして、沖縄の集団自決においても、日本一のマスコミの権威(朝日新聞)がいかに喧伝しようとも、それが定説とはなっていかない。さらにいえば、そのようにして、マスコミの権威は相対的な価値を失っていく…。失っている。
2008年にはその傾向がもっと極まっていくだろう。

アメリカでロビイスト活動をするホンダ議員も、アメリカの上院も、相対的な価値を下げていく。アメリカが正義の御旗を振っていないことは、誰の眼にも明らかなのだから…。

問題はタイムラグ。

ノーベル賞作家の自己都合の小説を覆すのに、40年近くかかった。ウェブ時代では、そのようなことは無くなっていくに違いない。NHKの募金夫婦の場合は約1カ月で、その悪性が暴かれた…。

ゲームの理論によるゲームが、ウェブの機能によってワンゲームの時間が極小化するならば、オーソライズなど必要ない。


それが、今年初の私の指摘である。

だから、私は池田信夫先生のように、「ムーアの法則によって、「情報技術のコストの高さによって成立するようなビジネスモデル」はすべて瓦解する」等とは言わぬ。どこまでウェブがワンゲームの時間を極小化できるか。その機能・制限によって当該ビジネスの寿命・賞味期限が決定するのだ。

勿論、池田先生の諦念により、すべてのオーソライズメディアに未来はないが、コミュニティービジネスは前途洋洋。…なのであるが。


Cnn_Prix.jpg
posted by スポンタ at 09:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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