2007年12月22日

ウェブは、オルタナティブメディアではない。



そのことを今一度説明したい。

明治政府は、政令などでチョンマゲを禁止し洋装をすすめたが、庶民の間で普及したのは、白木屋の火事や関東大震災がきっかけだった。この場合、世の中の大半の人が洋装で出歩くようになった。これはオルタナティブな変化である。
平成の世の中であっても、武術家・甲野善紀氏は和装に袴・帯刀である。そして、磯野フネ氏は和服に割烹着を着ているが、それがオルタナティブ性を汚すことにはならぬ。

だが、自動車はどうだろうか。自動車の時代がやってきたが、人々は歩いている。電車にものる。飛行機にもなる。自転車にも乗る。つまり、自動車の時代がやってくることによって、人の乗り物は多様化した。その中で人力車はすたれた。とはいえ、完全になくなったわけではなく、相対化されただけ、観光地など最適な環境で運用されている。
これが相対化の世界である。



ウェブがオルタナティブメディアでないことと同様に、新聞もオルタナティブメディアではなかった。だから、今後は、新聞の相対的な位置をどこに置くかが重要になってくる。そして、そのときに重要な要素となるのが、新聞のコアコンピタンス(競争力の源泉)。そして、新聞の本質・新聞の競争力の源泉は何かといえば、新聞の持つオーソライズ(権威化)力。つまりブランドである。

ウェブがいかに世の中のメディアを相対化しようとも、新聞の持つブランド力が一気に毀損されることはありえない。もしそのようなトレンドが発生しているにしても、きわめて遅効性が高い。でなければ、致命的な失敗を繰り返している朝日新聞が生きながらえていることなどありえない。
食品業界であれば致命的な不良品が公表されれば、売上げは半減する。たが、新聞に誤報が載っても、売上げが半分になることはない。新聞のコアコンピタンスはブランドであって、それは商品の中身(記事・レイアウト・広告)とは別のレイヤーで存在する。

だから、ウェブの登場によって新聞は相対化されるも、新聞はなくならない。ただ、なくならないまでも、その行き着く先がどこかといえば、前途は真っ暗。それが問題である。



新聞が自らの言論を積極的に相対化し、その中で自らの価値を高めるならば、新聞の未来は多いに高い。と、論じている。新聞のブランド力は限りないものであり、それを活用するならば、前途洋洋である。

逆に、3社が共同して販売網やネット配信を行なうことは、ブランドの差別化的価値を下げるものであり、シュリンク(縮小)路線でしかない。

新聞3社の経営企画に関わることができれば、ご進講申し上げるのだが、なかなかその機会は現れそうもないのが残念である。
posted by スポンタ at 06:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 集合的コミュニケーション論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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