2007年11月23日

エバンジェリストたちがハンドルできなくなったブログスフィア。それが2007年。

ガ島通信さんのところの記述
「最近ブログつまらなくないですか?」の書き出しで始まるRTCカンファレンスの告知が発端となり話題となった「ブログ限界論」。


http://realtimecontext.com/modules/eguide/event.php?eid=31

に行ってみて、佐々木さんに挨拶をしようかとも思ったけど、定員はオーバーしていて、参加できないようだ。残念である。



ほんとうのところを言えば、佐々木さんや徳力さんに「あなたたちは、何故、そのような言論を紡ぐのか」そのステークホルダーについて問いたいところ。それがスポンタとしての誠実だと思っている。

私の雑感を正直に言えば、彼らはCGMとしてブログを考えており、ブロガーたちをユーザーとしてしか捉えていない。

CGMとはConsumer Generated Media。つまり、お客様を発電機にするメディア。

お客様は神様だ。といえば態はいいが、神棚に持ち上げてしまって、手も足もだせぬようにする。そんな考え方だ。
彼らが、「ブログがおもしろくない」などと嘯いているが、佐々木氏はブログを持たないし、その周辺の人達もコメント欄を閉じたり、TBを認証性にしたり、ブログの精神とはかけ離れた簡易ホームページしか作っていないことを、彼らは反省しないのだろうか…。

*

2ちゃんねるは死んだ。などといわれてかなりの時が経っているが、いまだ2ちゃんねるの言論は生きている。
2ちゃんねるを媒介に、Youtubeやニコニコ動画へ飛ぶことも多い。
2ちゃんねるの魅力は、ブログでいえばコメント欄であり、TBの機能である。それらを活用しない人が増えたことでブログが魅力を失うのは当然のことだ。

私のように個の耐性を鍛えることをモットーにしなければ、ブログ空間が活性化するはずもないし、向こう見ずなブロガーが参加をやめた結果、おもしろくなくなったなどと嘯くことに妥当性はない。

スポンタとはキャラクターが違うが、池田信夫先生のような放談型有名人ブロガーは、注目され続けているし、ブログに右下がりを感じているのは、エバンジェリックな人達でしかない。



私は、かつて印刷屋が新聞屋だったのがジャーナリストが新聞をつくるようになった。同様に、ITエバンジェリストがブロガーだったのが、言論者たちがブロガーになる。と指摘している。

ブログはそのように進んでいるし、問題は、そのようなムーブメントが起きているのに、ブログ空間に新たな中心・論壇というものを見出せずにいるところである。

私は、その中心を新たにつくりたいと思っているのだが、なかなか手筈が整わないのが現状である。



さて、CGMについて書いてきたが、今後のITはCOM:Consumer Organized Mediaの時代が来ると思っている。
CGMにおいて、ユーザーはプレイヤーでしかなかった。それは、オーディエンスでしかなかったそれまでと比べれば画期的なことだったが、プレイヤーはプレイヤーでしかない。つまり、高校野球の丸刈りの選手たちよりも、高野連の理事長の方が偉い。甲子園を牛耳っているのは、優勝校の選手たちではなく、高野連の爺様たちなのだ。

そして、COMがどのような形で訪れるかといえば、プログラムを書くためのアプリケーションを作ることによって、プログラムの実装が誰でもできるようにすることである。いままではプログラム力がなければ実装ができなかったが、プログラムをつくるためのアプリケーションができれば、実装がシステムエンジニアだけの独壇場でなくなる。そこにおいて、ユーザーが真に君臨するIT空間・ウェブ空間が出来上がるに違いない。

そういう時代がすでに訪れつつあり、私が勤めているSIでは、同様な思想のもとにつくられた製品を販売している。時代は動いているのだ。

posted by スポンタ at 07:15| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(1) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

絶妙の表題ですね。

と、ほとんどブログ世界を読まなくなった(以前も自慢できるほど読んではいませんでした)私が言うのもなんですが。

>つまり、高校野球の丸刈りの選手たちよりも、高野連の理事長の方が偉い。甲子園を牛耳っているのは、優勝校の選手たちではなく、高野連の爺様たちなのだ。

という見立て。事実そうなのかもしれないし、それは危惧しなければならないことなのかも知れません。ただ私は、泥汗まみれの熱戦が、テレビ中継で手軽に鑑賞できることを嬉しく思っています。

例えそこに「お爺さんたち」の利権があったとしても、鑑賞できる場を与えてくれるなら、彼らにステーキの一枚や二枚あげてもいいかな、と。

そして、本題のブログとかネットについても同様で、たくさんの人々の言葉が手軽に読める場があることが嬉しく思っています。ステーキさんたちが、劣化(?)に対して危惧を抱かれたとしても、パンドラの箱は開いてしまったのでしょうね。

また、ステーキ持ちが幾ら頑張っても、読者の皆々が「ふむふむ」するわけではないという現実も当然のことながら存在するわけですから、ステーキさんたちの楽園は夢の彼方かなと思います。ハーベイロードのケインズの劣化縮小ミニチュアみたい。
Posted by けろやん。 at 2007年11月25日 10:14
どうも、おひさです。

コメントありがとう。

でも、実装力のある人達が楽しいおしゃべり会ばかりして、実装力をあるべき世界のために使わないのは、卑屈だと思うな。

それに、野球の奨学金制度じゃないけど、ブログにも懺悔せぬオウム者の言論が否定されていない。その関連人物が数人いたカンファレンス。

結局のところ、ブログ中心をつくらないのは、それをつくることによってウェブ言論のカルト汚染の問題を扱わざるをえないから。センターをつくれば、絶対にそれは糾弾される。ならば、センターをつくれない。

結局はそういうことでしかないんですよ。

でなければ、商売っ気の強いあの人達が、センターづくりを商売にしないはずがないってば。

ありがとうございました。
Posted by at 2007年11月25日 14:23
いや、それを言うとセンターがあろうと無かろうとカルト的なものは警戒されるべきだし、工作員が何をしようと実際その様にネット言論は動いていると思いますよ。
「懺悔せぬオウム者」とは、行為で鑑みれば教団に残ったり新教団を作ろうとしてる連中の事でしょう。
そこから降りた者なら直ぐではなくても我々は何時かは「懺悔」を期待をしても良いんじゃないかな。
「大きなセンター」が「カルト汚染の問題を扱わざるをえない」のは同意。
それを不自然に避けると「絶対にそれは糾弾される」も同意。
「商売にしない」のは取り合えず今は色々と邪魔臭いだけで旨味が無いと思えるからでしょう。
Posted by ト at 2007年11月25日 22:25
カルトの問題は、邪魔くさいとか、旨みがないという問題ではない。言論の根幹に関わる問題であって、彼が気のきいた発言をしようと関係ない。

*

TBいただいたブログにコメントしたけど、M氏関連を書いたら、反応がなくなりました。

私は、ストーカーではないから、佐々木さんに非礼をするつもりはないけど、議論になったら、カルトと言論の自由に関して問いただすに違いない。

私は体罰主義者と叩かれたけど、いまだにコメント欄をあけて言論をつむいでいる。なのに、なぜ彼らは.....。

ありがとうございました。
Posted by at 2007年11月26日 12:14
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/68489809

この記事へのトラックバック

RTCカンファレンスVol.28『ブログ限界論』(アキバ)に行ってきましたB
Excerpt: テーマから離れて印象に残ったこと 山崎恵人氏 メディアに顔を出さないのでどういう人物かということに 興味を持って集まった方が多くいると思います。 そもそもこの会合でも自分中心ということ..
Weblog: したらば掲示板限定シリーズ三部作雑記
Tracked: 2007-11-25 01:31
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0