2007年11月20日

ミシュランガイドは、第三者評価(特定・低利害)しか下さぬ。時代は第四者評価(匿名非利害)の時代である。



ミシュランガイドの結果を知った。

悲しいかな、私がよく行く新宿の桂花ラーメンも、白金商店街のホルモン焼きの鈴木屋もラインアップされていないようだ。



フランス人に何が分かる。否、そうではない。フランス人ならば分かることがある。そう、思いたい。

ジビエ料理を日々堪能する彼らなら、ミートホープの雑肉を混じらせ、血液で着色したミンチの美味しさに星を与えるだろう。
そして、但馬牛か鹿児島牛か等という馬鹿な尺度ではなく、本当の美味しさで船場吉兆の味を判断するだろう。
但馬牛と鹿児島牛。どっちが上手いのか…。地鶏は固い。ブロイラーは柔らかい。だから、ケンタッキーはブロイラーだ。ケンタッキーが安値だからブロイラーを扱っているのではない。そして、最高の讃岐うどんの粉はオーストラリア産である。

日本の☆三つの店に一度は行ってはみたい。だが、そのとき、トイレの清潔さを吟味する私がいるに違いない。飯を食いに行って、トイレを調査する奴。トイレのキレイさに文句を言う奴。そんな奴は嫌いだ。

浅草の煮込み横丁でビールのカートンケースに座りながら、ミシュランガイド東京を広げて、チューハイで一杯なんてのも、粋かもしれない。



ベストバイという言葉がある。その意味は、コストパーフォーマンスである。
限られたお金の中で最大の満足を得る。それが消費行動の基本である。

そういう類とミシュランは決別している。



ニュースゼロでは、キャスター氏が、中央官庁や地方自治体などを第三者評価機関が星をつけるというムーブメントが広がればいい。と主張していた。だが、私が期待するのはそうではない。
第三者評価機関に次ぐ新しい概念として第四者評価機関によるボード(掲示板)をつくることだ。

*

ミシュランガイドは、パブリッシュ力があることで評判を呼んでいるに過ぎぬ。
その評価は恐ろしくセレブリティー向けであり、それは労働者階級とブルジョワジーが分離しているフランス発祥にふさわしい内容であり、日本人の市民感情とは乖離している。
それでも尚、ミシュランガイドが評判を呼ぶということは、今後、ミシュランガイドの相対化が起こるということだ。
ミシュランガイドの主観性を対照化させる庶民的なランキング型ガイドブックが出版されるだろうし、そのようなガイドブックにより、ミシュランガイドの鑑識眼も吟味されていくに違いない。
そして、ミシュランガイドの掲載店は、ミシュランガイドのスタッフの訪問を受けたという。つまり、ここにおいて、ミシュランガイドは掲載店にとって第三者(特定非利害者)でしかない。否、ミシュランガイドの本の売れ行きにも関連するステークホルダーだから、第二者(利害者者)といえる。



第三者という概念は特定非利害者ということだが、特定であることにより非利害者は実現しない。
日本に陪審員制度が導入されるが、陪審員に選出された時点で、精神的負担が市民に襲い掛かり、第三者(非利害者)ではなくなるのだ。

ならば、死刑執行人のボタンが誰が押したか分からぬ形で複数存在し刑務官の心理的負担を軽減しているように、陪審員制度においても、誰が審判を下したかわからぬようなシステムを構築しなければならぬ。

そのようにして構築されるのが、第四者(匿名非利害者)評価機関である。
posted by スポンタ at 06:42| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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