2007年11月13日

線分的コミュニケーション論から、集合的コミュニティー論への必然。


昨日、職場で線分的コミュニケーションの不毛を同僚に説いた。

つまり、企業内でのガバナンスや内部統制は、企業というコミュニティー内の個を外から縛るものであって、構成子たる個をハッピーにしないばかりか、コミュニティーの求心力を削ぐ。

あるべきは、魚の群れのような先頭の個のない集団であり、悪くても鳥のような先頭の個が全体を率いる集団である。
まちがっても、牧人と牧羊犬に無理やり集団化されているような子羊たちの群れではこまるのである。

つまり、ガバナンスも内部統制も、衆愚論に基づく中央集権的な思想に基づいて発想されている。
このようなシステムは、アメリカのような多様性の高いコミュニティーでは妥当性があるが、日本のような多様性の低い国家であり、天皇制という暗黙の求心力が存在するコミュニティーでは反発を食らうだけである。



私は、「人間は真実の奴隷」であると考えている。
西洋的思想では、「人間は自己愛だけで生きている」と言って憚らないが、そんなことはない。
日本人は誰でも、「お天道様が見ている」と思って生きている。だが、人生、それがなかなか上手くいかないのだ。だから、自己愛だけで生きているなどというマスコミの指摘に私は腹が立つし、反旗を翻す。

*

「自己愛だけで生きていたら、地獄に堕ちる」と思わぬ人が、この世にどれだけいるのか。
道徳訓や処世訓だけで、世の中のほとんどの人達が自らの行動を律していると、私にはとうてい思えない。
私は、48年生きて来たが、いつもいつか来る死を思って生きてきた。そして、誰にとっても、自分の死を忘れようとするも、忘れようとする所作において、死はいつも日常のどこかに潜んでいる。
無宗教の人がいるが、彼らは宗教的感覚を言語化・習俗化を拒んでいるのであって、一番、宗教的な生き方をしているのかもしれぬ。
もちろん、死んだら終わり。と、思っている人はいるだろう。でも、そのうち死んだら終わりだから、傍若無人な人生を送るのかといえば、そうでもない。死んだあとのことを考えると、現世でのアイデンティティーを失いかねない。そういう危機を感じているから「死んだら終わり」などと断言して済ませるのだろう。

*

現世のみを考えれば、自己愛だけで人間の行動を分析することの妥当性はある。
だが、黄泉の国の存在を感じているならば、自己愛だけで人間の行動を分析することに価値はない。

そして、学校教育で「死んだら終わり」説が唱えられているにも関わらず、巷間のアンケートで魂の死後存続を肯定する人が約半数いる状況をみると、「死んだら終わり」でないと感じている人は、もっと多い。
ましてや、死後と関係なく、今生だけの論理においても、「バチが当たる」などという表現もある。

そのような俗諺の存在から類推すれば、自己愛のみで生きる人の数は、かなり低くなるのではないだろうか。



たとえば、「白い恋人」の社長は、製品が半年も一年も持つと語っていたという。だが、法律の問題で数ヶ月を賞味期限とされてしまう。結果、数ヶ月経ったものを廃棄するのだが、まだ食べれるものを捨てることに心が痛まないはずはない。
ここにアンビバレンツな個がもたげる。

船場吉兆の場合も同じだろう。
地鶏はステータスがある。ブロイラーは人工物という印象がある。
だが、地鶏は固く長期保存に向かない。一方のブロイラーは柔らかいので、長期保存でも比較的柔らかい。
つまり、広告上は地鶏という書き方が好印象だが、味的にはブロイラーが適している。
そのような真理・真実があるなら、広告では地鶏・実際はブロイラーという折衷案が妥当性を帯びるのである。

*

最近は知られていることだが、讃岐うどんの四国で、最高のうどん粉は地粉、つまり現地産の粉ではなく、オーストラリア産の粉だという。
私も知っているぐらいだから、マスコミが広報・宣伝に一役買ったのだろうが、鳥の場合のそういう消費者教育がなされていないのである。



ことは雪印の品質管理の問題とはまったく違う。
食品製造業の現状と法律の不備により、問題が起きている。
そして、その問題が店晒しにされたままであれば、今後も同様な事件は起きるだろうし、「もったいない精神」の日本は衰退するのである。

「もったいない精神」が日本の美徳だとするならば、法律から改めなければならぬ。
そして、商品の理解を深める番組をつくらなければならぬ。

「あるある大事典」のような番組は必要なのだ。



法律は衆愚感からやってくる。コミュニティー外者の論理である。コミュニティー外者は強い。
それは朝鮮半島の小国の王子だった中臣鎌足が藤原氏となって日本の歴史を蹂躙したことでも明らかである。
posted by スポンタ at 07:10| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
魚の群れの喩えで連想した事。
官僚の不祥事、企業の不祥事隠しw
個をモグラタタキで潰しても無くならない
Posted by ト at 2007年11月14日 17:39
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