2007年11月12日

大衆から分衆へ。:全体最適化から部分最適化への必然。



戦後のマーケットの流れが、大衆から分衆に向かっていったことは、多くのビジネスマンが感じているはずだ。

大量生産大量消費の時代から、小ロット多品種生産に。
テレビ・洗濯機・冷蔵庫の所謂三種の神器。
それが、カー・クーラー・カラーテレビに変化する。

家付き、カーつき、バハァ抜きもその変形。それがバブルの頃には、3高に変化した。3高とは、高学歴・高収入・高身長のこと。
つまり、結婚するなら、こんな人ってことでもあるし、物では幸福は得られないということ…。

そういう戦後価値観の流れの中で、フラフープやダッコちゃんのような大ブームはなくなった。
たまごっちやファミコンの流行にしても、30年代にブームになったものに比べれば、小さなブームである。

橋幸夫・舟木和夫・西郷輝彦の御三家は3人だが、ジャニーズの人数は…。
芸能界も多商品化したことは確かだろう。

そして、そのような細分化の中で、コミュニティーとしての一体感も細分化していく。
そのことに危機感を感じてつくられた流行言葉が、「ビミョー」「チョー」だといえないだろうか。



バブルの頃は、「チョー●●」という言い方が流行ったが、それがいつしか「ビミョー」に変化する。

ちょっと前の、形容詞を「ビミョー」で済ますコミュニケーションは個と個の摩擦を軽減するには好都合だが、その無形容さに飽きた人達が、最近はイケメンとの言葉に飛びつく。

だが、それが2007年にどうなったかといえば、イケメンブームである。
顔さえ、よければ、見栄えさえよければ、それでいい。つーことだ。

その背後には、高学歴でもダメな奴はいるし、高収入でもハッピーかどうか分からない。いくら背が高くても…。な、思想が見え隠れする。



昨日、「うちのカミサンは空気が読めなくてね…」と、自嘲気味に言ったら、空気が読めないと言う奴ほど、空気が読めていない場合が多い。と、仰る方がいた。

…そうなんだよ。

空気を気にするのは個の論理・逡巡であって、それをコミュニケーションに出してしまうことに妥当性はない。コミュニケーションとは真剣勝負の場であって、空気は個の感傷でしかない。
それは酒席などでは明らかで、酔っている人と酔っていない人のボルテージの差は明らかである。



実際のところ、日本人は空気でつながっている。

それが線分的なコミュニケーションで成立する社会ではなく、集合的なコミュニティーということ。

戦後の事象を散文的に列挙したが、それらからイメージが膨らんでもらえると嬉しい。
posted by スポンタ at 07:03| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | アルゴリズムの時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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