2007年09月27日

サイバージャーナリズム論のそれから:問題はコミュニケーション論とコミュニティー論の混同である。



本著の問題は、ビジネスとしての言論活動と民主主義的所作である言論活動を一緒くたに論じていることである。

そして、民主主義とは何かといえば、コミュニティー(国家)の求心力の源泉の妥当性を求めることである。



国際化がすすんでいる21世紀。国体をどこに求めるかは極めて微妙な問題である。国体を絶対視すれば国際社会で孤立化するし、国体を一切認めなければ、個は丸裸で国際社会に対峙しなければならぬ。
そのような21世紀において、国体はひとつの概念でとらえることは危険であり、まさに「多様なアルゴリズムが並存する」言論の対照関係において、この社会の国体を考えるべきである。



朝日新聞が孤立化した原因も、実は、さまざまな耀変を加えながらも自由主義経済を進めてきた日本において、社会主義・共産主義的な言論を貫いてきたことにある。ベルリンの壁崩壊以前ならば、その所作もある程度の妥当性を持って大多数に受け止められたが、2007年では陳腐化・空虚化している。
靖国問題の口火を切ったのが朝日新聞の在中国記者であるとの憶測があるが、その所作をもってすれば、朝日新聞はすでに日本のコミュニティーを逸脱している。
肯定言論よりも否定言論の方が儲かる。火のないところに火をつけても販売部数は増える。
とはいえ、そのような一次しのぎは長期的には読者を失うことに繋がる。

実は、そのことを実の新聞人たちも分かっている。
だから、ネットで槍玉に挙げられる報道のほとんどは、短慮な新人記者か、イデオロギー的・民族的異分子な人達の仕業によるものである。



コミュニティー(同一コミュニティー員であることの確認)とコミュニケーション(情報伝達)を混同してはならぬ。

そして、情報伝達だけがビジネスになるなどと考えてもいけない。

新興宗教・新々宗教系の新聞や出版物の販売部数の多さを思い出せばいい。
かの出版物たちは、コミュニケーションのために出版されているのではない。同じ立場・心情にいることを確認するために出版がなされ、それを購入することによって、それぞれのコミュニティー員としての立場が確認される。
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