2007年09月26日

サイバージャーナリズム論のそれから:正義のありかによってコミュニティーは細分化していく。



さて、「ネットの情報は信頼できぬ」との言説がもっぱらである。ネット者の私にしてみれば、それはネットに限らぬことである。と、マスコミ関係者に申し上げたい。
否、そうではない。「正しい」「間違っている」などという主観が客観的事実と誤認されるようなレトリックを使う人達に私は違和感を感じている。
10年以上前、月光仮面が槍玉にあげられ、正義の味方の戯画性が喧伝されたことがあった。アメリカの正義が中東で惨禍を招いていることを考えれば、正義とは主観的な価値観の一方的な拡大に過ぎぬことは理解できるだろう。

ジャーナリスト・個にとっての正邪・真偽・善悪は、当人にとって絶対的なものであっても、それがジャーナリスティックな言論空間では、相対的に配置されるべきである。
個たるジャーナリストが、固有の価値観でしかないものを言論空間のすべてに求めるならば、それは言論封鎖にも繋がる。

そして、言論を封鎖された個はコミュニティーを放逐され、新たなコミュニティーを創出するに違いない。
そのようにして、コミュニティーは細分化する。
これでは、せっかくのウェブの大宇宙が極小化してしまう。

ならば、「正しい」、「正義」などと喧伝してはならぬ。

そのように私は考えている。
この記事へのコメント
「ネットの情報は信頼できぬ」と言っているマスゴミ連中や俗に言う識者連中は、事実を事実のまま脚色や主観を加えずに伝える事が出来ない連中です。

彼らの言説は、脚色や主観を加えて初めて言葉に意味を持たせる事が出来るし、自分達の存在意義を主張出来る。自分達の言説が「正義」だと思っている連中ですから。(爆)

従って、彼らの指す「ネットの情報」と差は無く、虚しさだけが残る事に数年後に気付くでしょう。

他者の言葉を素直に認める事が出来ない悲しい人達ですね。

ちなみに「正しい・正義」=「主観」だと私は思います。
ただ、その「主観」を大多数が共感する事で世間で言う「正しい・正義」となるだけですね。
それが悪いとは言いませんが。^^;
Posted by そらっち at 2007年09月26日 08:24
コメントありがとうございます。

正しさこそ、主観の源泉なのですよね。

あるべきは、多様な正義の並存なのですよね。

単一な正義が横溢する世の中は、絶対主義的な済みにくさがあるはず。

そんなことを考えています。



そして、私が考えるリモートタグもいつかリモートタグではなくなり、それがブラウザの機能に加わることになる。

たとえば、朝日新聞のニュースのページの枠は、ブラウザの機能で、イデオロギーの色・つまり、赤で縁取られる。

そして、真正性の低いページは灰色に縁取られる。

そのようにコンテンツの価値が分類される時代は近いのではないでしょうか。

グーグルのページランクの質版な感じでしょうか。



ありがとうございました。
Posted by at 2007年09月26日 21:16
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