2021年01月15日

「オーマイボス! 恋は別冊で」の感想。

「義母と娘のブルース」(2018.TBS)を年末に見て、上白石萌歌に魅力を感じたので、「オーマイボス! 恋は別冊で」を観たが、上白石違いで、姉の上白石萌音だった。

(妹・萌歌が第7回東宝シンデレラでグランプリ。姉・萌音は審査員特別賞だったから、ルックスは妹の勝ち? )


ドラマ情報は以下。



つーことで、感想。

私は印象批評・主観批評を排して、客観批評・形式批評(評価基準を明確にした評価)を行っている。

委細は、こちら

【sponta中村のOZ理論】

映画・ドラマの「客観的で、妥当性のある評価基準」(2020.07.17)



評価の実際 & 例外。(2020.07.17)





簡単にいうと、「時間を徒費して、観るべき作品ではない」。

17世紀フランス古典演劇理論的で、「最も重要な要素」

・本当らしさ

が、欠如している。

ヒロインは出版社の新人で、雑誌の表紙の撮影準備で手違いがあり、急遽、薔薇の花を大量に準備することになる。

夜遅く、花屋が回ることになったが、

・冬だから薔薇がない。

・夜だから、薔薇が売り切れている。

ヒロインは、薔薇園を思い出し、スタジオ撮影からロケ撮影に変更するというストーリー。

だが、

・薔薇は、温室栽培されているから、一年中出荷されている。

・花屋に薔薇がないはずがない。寿司店でいえば、薔薇は、まぐろのような存在。したがって、それがないハズはない。つか、店頭に無くても、冷蔵庫には「蕾の段階の薔薇が大量にストックされている」はず。

そんなことは、花屋関係者は勿論、一般人でも分かるはず。「冬場に薔薇がない」なんてことは聞いたことがない。


17世紀フランス古典演劇理論では、「ありえない」が最重要項目とするが、現代においてもそれは同じで、「ありえない」出来事が起きているなら、観客はストーリーに入っていけないし、ヒロインに感情移入もできない。


ウェブには、「プラダを着た悪魔」のパクリとの書き込みがあった。

「プラダを着た悪魔」


 上白石萌音が主演を務める連続ドラマ『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』(TBS系、以下『ボス恋』)が、1月12日にスタート。平均視聴率11.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)を記録し、まずまずの滑り出しとなったが、ネット上ではある作品との類似点を指摘する声が上がり、「パクリではないか?」と物議を醸している。

 同ドラマは、ファッション雑誌編集部を舞台に、田舎町で育った平凡な主人公・鈴木奈未(上白石)が仕事や恋に悪戦苦闘しながら成長していく姿を描いた、お仕事&ラブコメディ。初回では、片思いしていた幼なじみを追いかけようと、東京にある音羽堂出版の備品管理部の採用試験を受けた奈未が、なぜか新設されたファッション雑誌「MIYAVI」編集部に配属され、超ドSな鬼編集長・宝来麗子(菜々緒)の雑用係を任されることに。一方で、ひょんなことから出会った子犬系イケメン御曹司のカメラマン・潤之助(Kis-My-Ft2・玉森裕太)から「ニセ彼女になってほしい」とお願いされ、聞き入れるが、実は潤之助の姉が麗子だと発覚する――という展開になっていた。

「ネット上では、『主人公がファッションに疎い』『舞台がファッション雑誌の編集部で超ドSな編集長がいる』といった設定が、2006年公開のアン・ハサウェイ主演映画『プラダを着た悪魔』にそっくりだと、ドラマ放送前から話題を呼んでいました。この映画は、ファッションに興味がないジャーナリスト志望の主人公・アンドレアが、ファッション雑誌『RUNWAY』のカリスマ鬼編集長・ミランダのアシスタント兼雑用係に採用され、仕事を通して成長する様を描いたお仕事ムービー。『ボス恋』は、脚本家・田辺茂範氏によるオリジナル作品となっていますが、あまりに設定が被っているため『「プラダを着た悪魔」にしか見えない』『モロパクリだよね』との指摘が相次いでいます」(芸能ライター)

 しかし、視聴者の間で物議を醸しているのは、設定だけではない。

「『MIYAVI』編集部に配属された奈未が、編集長である麗子の出社に合わせてコーヒーを買いに行ったり、頼まれた洋服を受け取ったりするシーンも映画に酷似していて、『ただのパクリじゃん。オマージュってレベルじゃない』『これで原作ナシのオリジナル扱いはちょっと厳しくない?』『大好きな映画だから、ちょっと複雑』との苦言が続出。また、なだぎ武が演じている副編集長・半田進が、『プラダを着た悪魔』でミランダの右腕として登場するアートディレクター・ナイジェルと役柄が似ているとの声も多く、『ナイジェルみたいなのまでいるし、朝イチでコーヒーとか買ってるし、和製プラダを着た悪魔かよ』『これのどこがオリジナルストーリーなの?』『オリジナルじゃなくてリメークかオマージュって言ったほうが潔いと思う』と苦笑されています」(同)

 上白石と佐藤健が共演し、2人の恋愛模様が話題になった昨年放送の連続ドラマ『恋はつづくよどこまでも』(同)のスタッフが再集結していることでも世間の関心を集めていた『ボス恋』だが、悪い意味で注目を浴びる結果になってしまったようだ。とはいえ、初回視聴率では『恋つづ』の9.9%を上回っており、「既視感は否めないけど、面白かった」という声も多いだけに、これからの展開に期待したい。


TBSの企画・制作者&シナリオライターが、「プラダを着た悪魔」を知らなかったはずはない。きっと、「パクリとの悪評」想定内で、一部に悪評があったとしても「プラダを着た悪魔」程度の高評価作品になればいいと思って仕事したのだろう。

だが、それは間違いというか、失敗というか、自堕落。

・過去の傑作と「同レベルの評価を目指した」なら、「それ以下の評価」にしかならない。

似通った作品が世の中に知られているなら、一部の人の悪評だけでなく、大多数の人にも魅力的・新鮮に感じられないのである。


古代ギリシアには、ミメーシス理論がある。


1 芸術理論上の基本的概念の一。芸術における模倣。自然はイデア(事実の本質)の模倣である、とするプラトンの論や、模倣は人間の本来の性情から生ずるものであり、諸芸術は模倣の様式である、とするアリストテレスの説が源にある。

ミメーシスとは、「過去の作品を、今の時代にあうように、さらにインパクトを強化して、模倣・再現すること」。

ミメーシスされた新作は、「過去の傑作の欠点」を補って、さらに進化する。

韓国・ソウル近郊にはミメーシス美術館があるという。
パクリも辞さない民族性には、ミメーシスは馴染んでいるのかもしれぬ。

つか、2015年頃、放送大学の美学・芸術学の青山昌文教授の講義でミメーシスを知った私は、ダンテの「神曲」がホメロスの「オデッセイヤ」のミメーシスなのを知り、ニューヨークを舞台にした「ウェストサイドストーリー」が、シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」のミメーシスだと納得する。

そして、2003年〜2004年に日本でブレークした「冬のソナタ」が、それまでの恋愛ドラマ&映画のミメーシスであると気付かされる。
つまり、過去の恋愛ドラマを模倣・再現しつつ、その欠点を解消させたのが「冬のソナタ」であり、それが魅力的なのは当然。

私の書いた関連記事

アルゴリズムの時代(スポンタ通信2.0)の冬のソナタのカテゴリー




めぐり逢い


たとえば、ケーリー・グラント&デボラ・カーの「めぐり逢い」の欠点は、「待ち合わせの場所」に行く途中で交通事故にあったヒロインが歩行障害になり、そのことが原因で、恋愛・結婚を諦めるところ。それは、「ヒロインの悩み」であって、その悩みを男性主人公・彼氏は共有しない・懊悩しない。つまり、そこにドラマはない。つか、知ったとたんエンドマーク。これでは、あまりにそっけない。

冬のソナタ


一方の「冬のソナタ」は、ペヨンジュン演じるチュンサンの悩みが、いつしか恋人ユジン(チェ・ジウ)に伝わり、二人で懊悩する。−−−これこそが濃密なドラマであり、ミメーシスにおける改善点。


たとえば、ヴィヴィアン・リー主演の「哀愁」。

哀愁



戦時下で結婚寸前で別れ別れになった男女。そして、男の死を知り絶望し、娼婦に身を落としたヒロイン。だが、男は生きていた。つまりは、戦争という運命に負けた。引き裂かれた男女の物語。
しかし、「冬のソナタ」の男女は、運命に負けない。過酷な運命と勇敢に立ち向かう。そこがミメーシスにおける改善点。


前作を踏襲するのではなく、前作を越える意識があれば、焼き直しもダメではない。

「バックトゥザフューチャー」はワンツースリーと複雑化して劣化していったと考えるが、「ダイハード」や「ホームアローン」は、その類ではないと考える。

−−−ま、そんな感じ。









posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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