昨年の最大の成果は、
・ポストモダンから見たこの世界
というブログタイトルに行きついたことである。
これは、日本の多くの分野が、
・「ステークホルダー(関係者・権力者・責任が追及される人達)の主観」によって成り立っている
ので、それを「ポストモダン(客観・相対主義)」の立場から是正することである。
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モダニズムによって「科学」なる命題が生まれたのだから、
モダニズム(主観主義)も「我思う。ゆえに我あり」(デカルトは1650年没)の時代から400年近く経つ今、払拭されるべきである。
磯田道史歴史家は、パンデミック(コロナ禍)がパラダイムシフト(価値観の転換)を起こすというなら、それは、
・モダニズム(主観主義・人間万能の進化論)の終焉と、ポストモダン(客観主義・地球環境との調和を目指す文化相対主義)の始まりであ
る。
※ 磯田氏は、アカデミズムの徒ではなく、「真如(本質を短く言う)」な人。ポストモダンである。
先日は、彼は番組で、
・日本は、先進人工密集国家なのに、驚異的に森林の割合が多い
と、指摘していた。また、
・明治のかなりの時期まで、日本国民は「士農工商の精神」に捉われていた
と、日本の特徴を簡潔に示した。至言である。だが、それは、「歴史がそうさせた」のではなく、先住民・縄文人たちの「(自給自足のリアリズムな)気質」が反映したものに過ぎない。つまり、
・森林と共存する縄文文化が、日本の森(里山)を存続させた。
・士農工商は(弥生文化なら階級社会を形容するが、)縄文文化なら「身分相応」であり、階級的な対立を表現しない。
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(ポジションが異なってもほとんど同じことをする)サッカーでは、誰もがフォワードを望み、ゴールキーパーを希望する少年は少ない。だが、(ポジションメンバーのプレイが異なる)ラグビーでは、小柄ですばしっこいならスクラムハーフ。馬力に自信があるなら、フォワード第一列(プロップ・フッカー)。背が高いならフォワード第二列(ロック)。頭脳派ならスタンドオフ。足が速いならウイング。試合全体を見渡したいならフルバック。スクラムハーフをチビだと貶(けな)す人はいないし、プロップをデブと野次る人もいない。つか、それぞれの体格がリスペクトを呼ぶ。それがラグビーであって、その所作は縄文的である。
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私が、ポストモダンな人として愛でたいのは、俳人の夏井いつき嬢。
彼女は、俳句の世界に「形式批評(評価基準を明確にした評価)」を実現し、俳句界の中心的人物であり、俳句の普及者であり、人気者。稀有な存在。
通常は、形式批評をすると、主観批評の人達から「嫌がられ・疎まれる」。だが、彼女はMCを務める番組に、名だたる先輩・有名どころをゲスト回答者として登場させ、かれらの「主観を愛でて見せる」。
そのことが、ポストモダンの実際を垣間見せる。
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2021年の私は、「ポストモダンから見たこの世界」を愚直にテキスト化する。
それにより、当該案件のステークホルダーたちが、「もうひとつ上のレベル」に移行することを目指す。
謹賀新年。
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新年冒頭に指摘したいのは、
・3密は、感染拡大の重要な因子
だとしても、それがすべてではないこと。
・今回の第3波に関して、都民の振る舞いが「主要因」だとしても、完璧に3密が達成された
としても、それがグラフィカルに感染者数に表現されるのではない。
かつて電通の社長は、
・広告の半分は無駄。だが、どれが無駄かは分からない
と、素直を発言をして、広告の無効化を肯定した。
同様に、女都知事は、
・都民のせいにする
のではなく、
・都民には、3密を避けることしかできない
と諦観すべきである。
今年もガンガン書いて書きまくってください。
毎日読んでますから。
年末から40肩で気力なく、何も仙人になっていました。
愛読者1号さんの存在は勇気ずけられます。
南極1号は人間ではありませんが、愛読者1号さんは人。人っていいですよね。
本年もよろしく・です。