2020年12月24日

M-3000グランプリ(漫才M-1グランプリの下位ステージ)を作ろう。(その1)

自動車レース・F-1グランプリの下位カテゴリーがF-2だが、長い間、それはF-3000として開催された。

F-1グランプリをもじって命名された漫才大会の下位カテゴリーを企画するならば、M-3000グランプリ(M-3K)としたい。






「客観的で、妥当性のある評価」を実現しようと思って、ブログをつづけているが

・私の「知名度のなさ」を主たる原因

として、何も動かない。

従たる原因は、

・「客観的で、妥当性のある評価が自己権益を害する」と思っている人たち(被評価者)の存在

である。

だが、「客観的で、妥当性がある評価」によって自己権益を害される人たちは〈被評価者〉であって、ほとんどの場合、全体の1%以下である。(最大と思われる公務員が被評価者としても、10.73%。

私企業なら、1%は下回るはず。資本家が裕福になることが批判されるのは、存在比率が少ないからであって、裕福なことが罪悪ではない。
だが、資金力をつぎ込むことができる私企業は(広告代理店を巻き込んで)、評価メディアの誕生を阻む。

「最大数の最大幸福を目指す」なら、「客観的で、妥当性のある評価」を実現すべき。

だが、現実は「理系の分野」はともかく、「文系の分野」に「客観的で、妥当性のある評価」は実現しない。その理由は、「主観至上主義」。

「主観至上主義により、審査員の主観が絶対化され、客観的な評価(形式批評)は存在できない」。


たとえば、英語スピーチコンテスト。

中学校・高校で全国的に行われているが、「客観的で、妥当性のある審査」が存在しない。中学生の大会の全国大会(高円宮杯)に娘を出場させた私が言うのだから、嘘ではない。
しかも、レベルが低い。

高校生の全国大会(中学生の全国大会・鳳凰杯で知り合った女の子が出場しているのと、高校生になった娘が運営をサポートしたので、代々木の会場まで見に行った)では、3次情報(マスコミから知ったこと)を扱ったスピーチが賞を取り、1次情報(自分が体験したこと)を扱ったスピーチに賞は与えられなかった。

審査委員長は公共放送の英語講座の教師(鳥飼久美子嬢)だが、審査に必要な教養・素養がない。「規定の時間を延長して審査した。審査員たちは何者にはとらわれず審査した」と弁明したが、(英語教育界の勝者が順位を決める権利を持つことの反映であり)意味・価値はない。


私はカンヌ映画祭グランプリを2度受賞した今村昌平監督がつくった専門学校を卒業しているので、映画&ドラマが専門分野である。

そこで、「客観的で、妥当性のある評価」を映画&ドラマで実現するために、考察し、OZ理論を結論した。

【sponta中村のOZ理論】

映画・ドラマの「客観的で、妥当性のある評価基準」(2020.07.17)


評価の実際 & 例外。(2020.07.17)


だが、映画&ドラマには「利害関係者が多い」ので、「Windowsや、Googleのような圧倒的な外圧」がなければ、一般への普及は難しい。


そこで考えた。

お笑い。

それも、M-1グランプリの周辺に「客観的で、妥当性のある評価」のニーズと実現可能性はないか。

(以下、次号)






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