2020年12月17日

遊川和彦氏の作劇理論。 (35歳の少女)

「女王の教室」「家政婦のミタ」「同期のサクラ」の遊川氏脚本の「35歳の少女」の最終回が最悪との評があった。


残念ながら、私は一話たりとも観ていない。

従って、引用元からの推測で私見を述べる。

『35歳の少女』クソ過ぎる最終回で全てが台無し「なんだこれ…」

「見ると鬱になる」と、カルト的な人気を博した柴咲コウ主演ドラマ『35歳の少女』(日本テレビ系)。しかし第10話・最終回で、あまりにもご都合主義な展開が起こり、ファンをがっかりさせてしまったようだ。
同作の主人公・望美(柴咲)は、1995年に不慮の事故で突然長い眠りについた10歳の少女。
25年が経過して目覚めた時には、周りの人も環境も、そして自分自身もまるで変わっていた…というストーリーだ。

25年の間に、両親の多恵と進次(鈴木保奈美、田中哲司)が離婚、妹の愛美(橋本愛)は絶縁状態、初恋相手・結人(坂口健太郎)は、夢だった教師になるも、教え子が自殺したショックで退職してしまっているなど、暗い設定がこれでもかというほどテンコ盛りになっている。

9話目までの展開は、愛美が同僚の彼氏に裏切られて無職に。
進次は再婚先でも家庭崩壊して、さらにリストラにもあってしまう。
望美は家族や結人と絶縁し、新興宗教の教祖のようになって、ユーチューバーもどきのことをやり始める。そして多恵は死んでしまった。

『35歳の少女』にハッピーエンドを求める人も多かったけど…
どうしようもないほど不幸のどん底に落ちたが、なんと最終回では突然、すべてがいい方向に転がりはじめたのだ。
まず、望美の家族は仲よしに戻り、望美は夢だったアナウンサーになることに。愛美もコンペで賞を獲って、夢だったグラフィックデザイナーになれた。
進次は再婚先の家庭が円満となり、夢だった一級建築士を目指す。結人は赴任先の学校のイジメ問題を見事に解決した。

するとこのあまりにもな展開に、視聴者からは
《とんだ茶番を見せられたな…》
《なんだこれ》
《ハッピーエンド希望だったけど、こんなんじゃない!》
《最終回が1番見なくても良い回だった》
《ある意味いつもの遊川作品らしい終わり方だったな。最後の最後に本人が飽きちゃって「もうハッピーエンドでいいや」と適当にまとめた感じ》
といった呆れ声があがっている。

ドラマの脚本を務めた遊川和彦氏は、これまでに朝ドラ『純と愛』(NHK)などを作ってきたクセの強い作家。
今回も、遊川節が炸裂したと言えるだろう。




(広義の)ドラマは、(狭義の)ドラマ成分と非ドラマ成分で成り立っている。

・ドラマ成分は、〈対立〉〈対決〉〈摩擦〉〈葛藤〉〈恋情〉の5つ

である。一方、

・非ドラマ成分の代表的なものは、〈謎解き〉〈サスペンス〉〈アクション〉〈歴史トレース〉〈原作トレース〉など

である。

ドラマが成立するには、

・各エピソードが並列ではなく、〈主・従〉〈主・副〉の関係ではなければならない。

韓流ドラマ「パスタ」には、フランス料理の師匠が孫弟子に発する以下のセリフがあった。

・レシピに疑問を感じたら、たとえそれが偉い人や有名な人のレシピであっても、自分が感じた疑問をなかったことにせず、徹底的に研究せよ

このセリフに従えば、スティーブ・マックイーン主演のオールスター出演映画「大脱走」は、(豪華な出演陣たちを序列化することができないため)各エピソードに主従・主副関係はない(散漫な群像劇)。この映画が成立しているのは、「現実トレース(事実に基づいている)」だから。

ドラマ的には破綻している。


ウェブ評のあらすじで知る限りだが、「35歳の少女」のドラマ成分は希薄である。せいぜいが「昔、家族だった人達への恋情」。

だが、あらすじで知る限り、それが、ヒロインをとりまく〈摩擦〉〈対立〉〈対決〉〈葛藤〉にはなっていないよう。

これでは、「奇譚・奇談」であって、〈ドラマ〉ではない。(怪談はドラマではないし、再現シーンはドラマではない)


「女王の教室」が面白かったのは、「モンスター女教師」と「志田未来を筆頭にした小学六年生のクラスメートたち・その保護者たち」の〈対立〉〈対決〉〈摩擦〉〈葛藤〉である。「こんなモンスター教師がいた」「こんな6年1組があった」というような叙事詩的なストーリーではない。

モンスター教師の行動原理を解説するために「番外編」が制作されたが、それを知ることが本編の目的ではない。


「家政婦のミタ」が面白かったのは、「謎の家政婦」と「派遣先の一家」の〈対立〉〈対決〉〈摩擦〉である。
モンスター家政婦の行動原理を生むに至った彼女の人生が、サスペンス(謎)になっていても、それはドラマ成分ではない。



私は「同期のサクラ」を楽しく観たが、その理由は、「夢を追い求めるヒロイン」が、現実と戦い〈対決〉、〈葛藤〉しながらも、同期入社の男女を生涯の友人にするプロセスである。

「こんな人がいた」ではなく「夢への挑戦」が描かれていたし、「こんなことが起きた」ではなく「ヒロインと会社の〈摩擦〉〈対立〉〈対決〉が描かれていた。


遊川氏は、自らの作劇理論に忠実にシナリオを書いたのだろう。

だが、ドラマの定義・条件をご存知ないので、毎回、傑作を生むとは限らない。


同様に、「踊る大捜査線」シリーズの監督は、成功の秘密(ドラマの定義・条件)を知らないので、「幕上がる」(ももいろクローバーZ)という愚作を作ってしまう。

あは・・・。
posted by sponta at 07:45| 東京 ☀| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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