が、オリジナル信仰の日本のドラマは停滞する。
韓国の10才〜54才の男女、334名のアンケート結果。
【韓流ドラマ、年間ベスト10】第1位、「愛の不時着」第2位、「梨泰院クラス」第3位、「彼女の私生活」第4位、「私のIDはカンナム美人」第5位、「ロマンスは別冊・付録」第6位、「キム秘書はいったい何故」・「トッケビ」第8位、「ホテルデルーナ」第9位、「花郎」「太陽の末裔」※ 黄色座布団は、私が見たドラマ。
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私はなんと、1.2.3.4.6位を全回観ている。
同じような統計を日本ドラマでやった場合、私が観ているのは、
・半沢直樹
・私の家政夫ナギサさん
ぐらい。
あと、
・麒麟がくる
・私たちはどうかしている。
・共演NG
・行列の女王〜ラーメン才遊記
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特筆すべきは、シナリオに傷がなかったのは日本のドラマで、「行列の女王〜ラーメン才遊記」だけだったこと。
一方、韓流ドラマは、全回観たドラマは、ほとんど傷がなかった。
それは私の主観ではなく、私の評価基準(OZ評価)によるものである。
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採録: 日本の「演劇・ドラマ・映画」の吟味法。(ハイパーOZ理論最終形)........2020.07.17
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ハイパーOZ理論による評価の実際。(& 例外)
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従軍慰安婦・徴用工など、75年前のことをネタにゆすり・たかりを繰り返す民族を、私は嫌悪するが、こと映画・ドラマに関しては、我が国・日本は、韓国に劣っていると言わざるをえない。
2002年のワールドカップで韓国がベスト4になったのは、審判の買収があったのだろうし、アメリカ・アカデミー賞で、韓国映画が作品賞を得たのも、アカデミー賞会員を買収したのだろう。
浅田真央さんが金メダルを取り損ねたのも、同じ理由。
だが、是々非々をモットーとするなら、日本の映画・ドラマは、韓流ドラマに劣る。
その理由を形容するなら、
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・韓流ドラマは、サターン5型ロケットに同じ「多段式ロケット」。
※ 1段、2段と進むごとに、ロケットのスピードは加速される。
なのに対して、
・日本のドラマは、水泳のリレー。
第一泳者、第二泳者とリレーが進んでも、各泳者は、速度ゼロからのスタート。
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その理由は、日本のドラマ制作者たちが、「オリジナル信奉」なのに対して、
韓流ドラマの関係者たちは「パクリとの謗りを恐れない」から。
※
古代ギリシア・アリストテレス・プラトンは、「過去の傑作を模倣・再現する」というミメーシス理論を提唱している。
ホメロスの「イリアス」をミメーシスしたのがダンテの「神曲」。
シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」をミメーシスしたのがブロードウェイ・ミュージカル「ウェストサイドストーリー」である。
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日本は何故か、近代主観主義のオリジナル信奉を逃れられない。放送大学の美学・芸術学の教授も指摘しているが、
・芸術作品は、芸術家のオリジナルな創作物でなければならぬ。
と、信じ込んでいる。だが、それは、たかだか近代の300年の風潮でしかない。
古代ギリシア以来の芸術観に従うなら、集団創作たる工房作品が芸術的な価値を損なうことはない。
そして、「過去の傑作」を土台にして、「さらに上をめざす」のがミメーシス芸術論。
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日本は、オリジナル信奉・主観絶対主義がハビコッテいて、たとえば、ロシアの演出家・演劇理論家スタニスラフスキーの著作も、「俳優が役に没入すべき」と誤訳されている。スタニスラフスキーは、没入型演技では、初日から千秋楽まで、質の高い演技を保つことができぬと、述べているのに・・・。
これについては、日本の演出家・蜷川幸雄氏も同意している。
マーロン・ブランド、ジェームス・ディーンなど、ニューヨーク・アクターズスタジオの演劇術(メソッド演技)が持てはやされたが、そのような俳優の感情を演技に直結させる演技が信奉される時代はすでに終わっている。
しかし、日本の演劇人の中には、メソッド演技をいまだに奉じている人が多い。
スタニスラフスキーの演技術を誤訳したのと同じ理由により、日本では、古代ギリシアの「ミメーシス芸術論」が一般的に普及してこなかった。
※
ミメーシス。
「過去の傑作」を、現代に合致するように「さらにインパクトを強化して」、模倣・再現すること。
※
だが、韓国は違う。
ソウルには、ミメーシス・アートミュージアムというのがある
くらいだから、ミメーシスは日本よりも一般的なのかもしれぬ。
つまりは、芸術において、模倣がタブーになっていないのだろう。
そして、韓流ドラマである。