その後の考察による変更を6月21日の記事に反映した。閲覧者の利便を考え、再度、アップする。
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最終到着地は以下。
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表紙は以下。
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○
日本映画の巨匠、小津安二郎監督の遺言に想を得て、映画・ドラマの評価基準を構想した。
これは、大衆娯楽作品の客観的で妥当性のある〈評価基準〉である。
小津安二郎の遺言。
「映画はドラマだ。アクシデントではない」。
↓
spontaのハイパー理論。
「映画には、アクシデント型。ドラマ型の二つがある」。
○
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☆
spontaの考察による「ドラマ成分」は以下のふたつ。
・Loss of Emotion (鑑賞後に、ロスを生む)主人公の感情)
→ 感情(1味)
・Duel of Passion (情熱がぶつかり合う人間と人間の対決が鑑賞者を引き付ける)
→ 意志(2味)
※
小津監督の言うドラマを、spontaは〈狭義ドラマ〉とした。
・・・溝口健二監督の「これはシナリオではありません。ストーリーです」を参考にすると、
それらは、
・ 主人公の〈葛藤〉
・ 主人公たちの〈対立〉
それらを成立させるのは、
・ 個としての主体性 → (※ 驚異的に誇張) → 怪物(3味)
※ 17世紀フランス古典演劇理論の項目「驚異的」を採用。
☆
以下は、spontaが定義する〈広義ドラマ〉。
spontaは、小津監督が嫌悪した「アクシデント」を「事件」と言い換える。
・事件(4味)
※
さらに、17世紀フランス古典演劇理論の項目「内的整合性(登場人物の思想と行動の整合性」の重要さを痛感したので、
主人公の行動原理・行動指針として、
・哲学(5味)
を採用した。
☆
まとめると以下。
【ドラマの旨味成分(5味)】〈広義ドラマ成分〉・事件(出来事)
・怪物(人物)・哲学(行動指針)〈狭義ドラマ成分〉・感情(鑑賞後に、ロス感を生む)・意志(情熱)
重要なことは、〈5味〉の全項目を満たすことが、「素晴らしい作品」の条件。
〈1味〉や〈2味〉では、「面白さに欠ける作品」である可能性が高い。
※ 後術するが、「映画・ドラマは、多様性」であり、〈5味〉を認識していれば、満点を目指す必要は「必ずし」もない。
・「低刺激」ドラマ:「サザエさん」 → 「事件」成分欠如
・「なごみ系」ドラマ:「けいおん!」 → 「事件」成分欠如
・「恋愛まったり・推理まったり」系ドラマ: → 「哲学」成分欠如
・「アクション純化・特化」系ドラマ:「007シリーズ」→ 「哲学」「感情」成分欠如
ただし、〈5味〉を満たせば、(宣伝費・キャスティング費に関係なく)「ヒット作」が完成する。と、断言できる。
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【解説】
「餃子が好き。カレーが好き」という人がいる。だが、
・ 餃子
・ カレー
は、料理名でしかない。 彼らの真意は、
・おいしい餃子
・おいしいカレー
それを食べたい。
※
映画・ドラマでいえば、
・アクション映画
・恋愛映画
などのジャンル。
映画・ドラマファンは、「アクション映画なら、何でもいい」のではない。
※
「美味しい餃子」の条件は、
・ パリッととした皮
・ お肉たっぷり
・ ジューシーな餡
などの(食べた人が)「おいしい」と感じる要素。
それを映画・ドラマで考察したのが、〈5味〉
・事件
・怪物
・哲学
・感情
・意志
である。
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コラム:
日本の芸道のひとつ「香道」の最高級の香木「蘭奢待(らんじゃたい)・正倉院宝物」は「5つの香り:辛い・甘い・酸っぱい・塩辛い・苦い」のすべてを満たしている。
凡庸な香木は、「ひとつの香り(1味)」しかない。
・
「多くの要素」を併せ持つ香木が最上であり、映画・ドラマも同様である。
以下のマークで絶対評価し、
◎: +2(すばらしい)
○: +1(よい)
△: 0 (マイナスではない)
×: −1(ダメ)
数値を加算して、総合点を出す。
総合点の最高点は、+10
最低点は−1 である。
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・
コラム:小津監督の世界的な代表作は「東京物語」だが、非ドラマ成分が混じっている。・東京観光・こどもたちの生活の様子(個人医院・美容院・鉄道員)・老いた母の死小津的な作品の代表は「晩春」。婚期を逃した娘(原節子)と彼女を気づかう父(笠智衆)以外の不純物はほとんど存在しない。しかし、世界的に評価されているのは、〈非ドラマ成分〉を含んだ「東京物語」。
あまりに「ドラマとして〈純化〉する」と、大衆娯楽作品としては魅力に欠ける。
・小津調純化作品: 「晩春」
・小津調ドラマ + 非ドラマ作品: 「東京物語」
○
閲覧者の利便のために、無記入シートを添付する。
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記入例として、「サザエさん」を取り上げた。
「サザエさん」は、人気長寿番組だが、一家団欒で一緒に見られるように、刺激度は低い。
たわいもないストーリー。
見逃したからといって、TVerで観る人は少ないだろうし、はじめてのオンエアか、再放送かも判別がつきにくい。
三谷幸喜氏は新人時代、「サザエさん」のシナリオを書いたが没になった。三谷氏のドラマツルギー(作劇理論)と「サザエさん」の世界が相いれないのは当然である。spontaの立場は、「三谷氏の作劇理論」と「サザエさんの世界」をともに否定しない。(ただし、「不味い三谷作品」や、見る価値のない「サザエさん」の回も存在する)
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【ハイパーOZ理論の例外】
・「日常に純化」系ドラマ: 「(たいしたことは)何も起きない」
・・東芝日曜劇場、サザエさん、ドラえもん、クレヨンしんちゃん。
・
・スタンダード系(1回読み切り)ドラマ:
・・水戸黄門、暴れん坊将軍。
・
・なごみ系(非刺激系)ドラマ
・・けいおん!、おジャ魔女ドレミ。
・
・アクション特化(単純刺激系)ドラマ:
・・007シリーズ、ランボー、ターミネイター。
※
上記の場合、「+5ポイント以下」でも、低評価作品とは限らない。
一般的な連続ドラマでは、「ストーリーが進行しない」と納得できない。
だが、「サザエさん」を観て、カツオ君やわかめちゃんが「(いつまで経っても)中学生にならない」と文句を言う人はいない。
だが、「サザエさん」を観て、カツオ君やわかめちゃんが「(いつまで経っても)中学生にならない」と文句を言う人はいない。
一話完結の「水戸黄門」「暴れん坊将軍」で、「話が進まない」との不評はない。
※
〈ハイパーOZ理論〉は、
・物語は進行する。
・観客は刺激を求める。
という、「極めて当たり前」なことを〈評価基準〉として採用しているが、そうでない映画・ドラマも少なくない。
(以上)
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---------------------------------------------------------------【参考資料】
○ アリストテレスのミメーシス理論

近代主観主義には、「クリエイターはオリジナル」との妄念・タブーがある。
結果、模倣・再現である「ミメーシス理論」を否定された。
だが、1990年代以降はポストモダンの時代。時代は動いており、価値観も変化しなければならぬ。
アカデミズムの人たちの「主観絶対」の妄信は、彼らの立場を安定させるので、今も続いている。
だが、「(個の)主観」が「客観」に勝てないのは、当然である。
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○ ルネ・ブレイの17世紀フランス古典演劇理論

放送大学の青山昌文教授は、この理論は「創作のための理論」であり、「クリエイターを制限しない」。「創作の役に立つ理論」と提唱している。
この理論で一番重要なことは、「〈ありえない〉がないこと」。
「三一致の法則」とは、「時間・場所・筋」が「ひとつ・連続している」こと。
青山教授は、「単一で・統一性があればよい」と現代演劇・映画・ドラマに向けて拡大解釈している。
青山教授は、「単一で・統一性があればよい」と現代演劇・映画・ドラマに向けて拡大解釈している。
群像劇であっても、「主筋・副筋の別」がはっきりしていれば許容される。
spontaが注目したのは「内的整合性」。「主人公が哲学を持つ」ことを観客に理解させるのは重要である。
ブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」は「考えるな。感じろ」という哲学を持つことで、凡庸なカンフー映画を退けている。"Star Wars"も、フォースという概念が無ければ、ありふれた宇宙戦争映画だ。(それを見切れなかった三船敏郎氏は、出演依頼を断っている)
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○ スポンタのT-メソッド

企画時は、「構成(時間的な出来事)」ではなく、「構図(主要人物の対立の構図)」を粘り強く練り上げるべき。
黒澤明監督・倉本聰脚本家は、「主要人物の履歴書を書く」のを重要とするが、それは「設定を増やすこと」でしかない。
(アクターズスタジオの技法と同じ)
・〈ドラマ〉は「人と人の間に生まれる」
のであって、
・「個の設定」
が、そのまま〈ドラマ〉にはならない。
そのあたりが「小説と映画・ドラマの違い」である。
倉本脚本家は、「ナレーション・心の声」を多用するが、「その技法」は説明であって、表現ではない。小説では許されるが、ドラマでは「逃げの技法」である。

〈ドラマ〉は、「人と人」の間に発生する。
したがって、「壁・檻・枷」は、「人 対 制度」「物語の設定」なので、〈5味〉としてカウントされない。
キングコングは「擬人化された怪物」だから〈ドラマ〉。
だが、ゴジラは「擬人化されない」つまり、自然災害と同じ。〈ドラマではない〉。

ハイパーOZ理論を構想する前に、
・「最近のドラマには、アンタゴニスト(人間関係の対立)が足りない」というTBS演出家・鴨下信一氏の言葉
・アリストテレスのミメーシス理論(模倣・再現)
をもとにしてつくりあげた「映画・ドラマ」の評価シートである。

T-メソッドの欠点・限界は、
・(現実の)日本民族の特質「忖度・対立回避」を反映した「(映画・ドラマの)キャラクターたち」
を否定できないから。
〈アンタゴニスト(人間関係の対立)〉を最重要項目とした評価基準は(少なくとも日本において)成立しない。
※ 「恨」の文化がある半島系。「神々の怨憎」を神話に持つ西洋なら、アンタゴニストが最重要項目にした評価基準が成立する)
日本芸術の最重要規範は「もののあわれ」。無常である。
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(資料、以上)
ハイパーOZ理論は、小津安二郎監督への「敬意」と、「The Wizard of OZ」の理想郷:OZから命名されている。