2020年05月24日

「まったり系群像劇」の考察。「けいおん!」「ちびまるこちゃん」

テレビ東京「行列の女神」(月曜日22時から)を絶賛しているが、第4回は、

・アンタゴニスト(対立)は弱いが、「まったり系群像劇」として成立しているので、オッケイ。

と、まとめた。


鴨下信一氏は「最近のドラマにはアンタゴニスト(人物の対立関係)が足りない」と発言した。

確かに、日本のドラマには、「(韓流ドラマのような)露骨な・血みどろの対立」はない。
安倍総理の元友人・元幼稚園理事長が言うように「日本人は、忖度(相手の心を思いやり)して、対立を避ける」から。

日本で、そんなドラマを作ったら「嘘くさい」し、「観てて辛い」。

だから、TBS「半沢直樹」は、「倍返しだ」などと大げさな芝居で、「これは嘘ですよ」と観客に思わせながら進行する。


spontaは「まったり」という言葉で「対立がない人間関係」を形容した。

「行列の女神」(第4回)では、「意欲だけの若者」と「豊富なラーメン知識」をもとに、そうでない人たちを「見下す」社員は、女社長の一言で、自らを改め、早々に和解する。

鴨下氏が言うように「対立がない」なら、ドラマとしては弱い。

だが、そこからキャラクターたちが「協力して」、ミッションを完遂するのが、この場合の見所。つまりは、ドラマ。

・「対立」ではないから、まったり。

・「対立」により、人と人が「強く結ばれない」でないから、「群像」。

とした。


第4回の場合、

・若者の目標は、「ラーメン屋をはじめること」。

・ラーメンおたくの社員は、「ラーメンおたく」から一皮むけること。

・ヒロインは、「(女社長につけられたあだ名)ヨレヨレの雑誌」を脱すること。

3人3様の目標があり、それが達成される。だから、〈群像〉なのだ。


〈対立〉がないのを「まったり」と表現したのは、TBSのアニメ「けいおん!」がキッカケ。
大ヒットアニメを「ドラマではない」と切り捨てるわけにはいかない。

そこで、女子高校軽音楽部の日常を「まったり」と形容した。

このアニメが秀逸なのは、

・超目標がない。

・ライバルがいない。

ところ。

普通なら、「甲子園をめざす」とか「武道館をめざす」とか、部活には目標がつきもの。野球部、サッカー部、ラグビー部、バレー部、水泳部、百人一首部など、枚挙に暇がない。

そして、部内・または競合校に、ライバルがいる。

そして、目標に向けて、ライバルと競いながら、築きあげた友情・・・。

そんな要素が「けいおん!」には一切ない。


〈目標なし〉〈ライバルなし〉。そんなドラマは「けいおん!」以外に存在しないのか? と考えてみた。

すると、ストーリーが展開する前なら、

〈目標なし〉〈ライバルなし〉なコミュニティーは存在することに気づいた。

・ルパン三世(ルパン・次元大介・石川五右衛門)

この3人は、仇敵・銭形警部や宝石泥棒(ミッション)がからまぬ限り、〈まったり〉と過ごしている。

・チャーリーズ・エンジェル(色気タイプ・美人タイプ・エスニックタイプの3女性)

この3人も、チャーリーから指令がこなければ、〈まったり〉である。

映画ではないミッション・インポッシブル。テレビシリーズの「スパイ大作戦」もそう。ミッションがこなければ〈まったり〉な日常を過ごしているに違いない。

同様に、イギリスの人形劇「サンダーバード」の隊員たちもミッションがこない時は、豪勢な自宅で〈まったり〉しているに違いない。

一方、フジテレビ「踊る大捜査線」は、ミッションが来なくても、警察組織の内部抗争があり、〈まったり〉ではない。

つまり、(〈アンチ・まったり〉= ドラマ成分)が、ミッション(指令)・クライシス(危機)により「さらに強化され」、ストーリーが展開する。


先に指摘しているが、テレビ創生期「家庭崩壊のドラマを制作してはならなかった」と矢追純一氏は述懐する。

その名残かは分からぬが、「生ぬるい〈アンタゴニスト〉」のアニメは、多々ある。

・サザエさん。
・・かつお少年とサザエの確執。だが、家庭内暴力までは発展しない。

・ドラえもん。
・・のび太少年といじめっこ・ジャイアン。のび太少年が自殺するまでの凄絶さはない。

・クレヨンしんちゃん。
・・しんのすけのイタズラがみさえママを悩ます。だが、みさえがノイローゼで通院することはない。


spontaが指摘したいのは、上記3作品には、

・天敵がいる

にしても、

・〈指令〉がない。
・〈ライバル〉がいない。

そして、思索をすすめていくと、

〈まったり系〉の作品が思いついた。それは、

・「ちびまるこちゃん」

である。

「ちびまるこちゃん」には、

・サザエさんにおける、かつおとサザエさんの確執。かつおをめぐる花沢さんとカオリちゃんの三角関係などない。

・ドラえもんにおける、恒常的な「いじめ・いじめられ関係」もない。

さらに、

・クレヨンしんちゃんのように、ぶっ飛んでいない。


その理由は、「ちびまるこちゃん」ワールドが、原作者・桜桃子氏の(静岡の小学校での)実体験に基づいているからだろう。勿論、キャラクターもエピソードも「強化された」だろう。

つまりは、おしっこを漏らしたのをうんこにしたり、「(お金持ちの友人が)東京に旅行に行った」話を、「パリに旅行した話」にしたり。
実際のクラスメートたちの風貌や性格を切れ味鋭く変化させたに違いない。


一方、「けいおん!」は、原作者の〈理想郷〉であって、〈リアリズム〉の結果できあがったのではないと推理できる。女子高生で、「洟垂れ小僧などありえぬ」が、そんな印象がある。


つまり、映画・ドラマ鑑賞者は、(テレビの創生期と同様に)

・〈刺激〉だけ、〈感動〉だけを求めているのではない。
・〈まったり系〉の要素もないと、辛い

のである。

〈まったり系〉が成立する条件は、

・応援したいキャラクター

であること。

〈群像劇〉が成立する条件は、

・本筋・脇筋の区別が明確

なこと。


そう思った時、誰も批判しない黒沢明監督作品「七人の侍」の欠点が見えてくる。
志村喬演じる老武士が、宿場町で侍を集める一連のシーンは〈散文的〉〈並列〉である。


忠臣蔵では、商人・天野屋利兵衛が主役になろうとも、堀部安兵衛が活躍しようとも、主筋はあくまでも「大石内蔵之助」。揺るぎない。
だが、「主人公が7人いる」と黒沢映画は、タイトルで明かす。宿命的に〈散文的〉。

フジテレビが翻案したに違いない時代劇は「3匹の侍」だし、黒沢を尊敬するジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」は、ルークと3CPOとR2-D2の三人道中。答えは出ている。


映画・ドラマにおいて、〈まったり系〉シーンは必要不可欠である。

それを〈純化した〉のが「けいおん!」。

一方の「ちびまるこちゃん」は、「クラスメートの対立を嫌う」「心優しい」原作者の回想録である。

posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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