2020年06月01日

明智光秀に思う「歴史学」。

歴史家の磯田道史氏が番組での発言。

・光秀の生誕地の候補は岐阜県に5カ所。滋賀県に1カ所ある。

磯田・歴史家は、

・(清和源氏の流れをくむ土岐一族を誇る)明智家にとって、滋賀在住は黒歴史(あってはならない)。

と解釈する。


NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を観ていれば分かる。

・明智家は「京都に連なる名家・土岐氏」の流れをくむ名家。

土岐家が役職をつとめたのは「美濃」。
番組では、近江の琵琶湖東岸から書状が見つかり、明智家が光秀の祖父の代に「美濃から退き」当地に移り住んだとあった。

つまり、

・明智家は「美濃でしくじり」があり、土岐一族から排除され、近江に移住した。

光秀は信長の家来として名をなしたが、「土岐一族」という名門の出であることを誇示するため、「近江に生まれた」ことを隠したのではないか。と。

磯田・歴史家は、さらに

・光秀は「自己アピール」の上手な人物だった。

と推理する。


明智家の出自が美濃なことから、美濃を納めた斉藤道三の家臣だったとしてNHK大河ドラマは進行する。

だが、歴史家曰く、光秀が道三と戦うことはあったかもしれぬが、家臣になる可能性は低い。というのが、歴史家たちの思いである。と。


歴史は門外漢のspontaも同様な意見である。

斉藤道三の父が「油売り商人」から戦国武将に成り上がり、息子の道三が美濃一国を治めるまで出世する。

戦国時代は、封建時代が混乱・崩壊した時代だが、

その本質は、

・土地本位制(封建制度)

が、

・貨幣経済

に移行したこと。


一介の油売りが、戦国武将になれたのは、「貨幣」によって、「兵隊を雇い、武器を買った」から。(勿論、貨幣で土地や城を買うこともあったろう)

つまり、

伝統的な権威の延長線上で土地を治め、家臣・領民で軍隊を組織するのではない。


ならば、このような構図が成立する。

・伝統的・封建的な権威−−土岐家−−明智家。

・貨幣経済による優勢−−道三−−信長。

この構図のもと、

・信長は「道三の娘」を娶り、

・光秀は「土岐家ブランド」でいるために近江出身の過去を隠す。

そして、本能寺の変が起きる。


京都、廬山寺(ろざんじ)には光秀が生涯大切にしていた仏像が安置されている。和尚曰く「光秀は勝ち残る気持ちはなかった」。だから、仏像を寺に預けて、本能寺に向かった。と。


「伝統的な権威」を重んじる光秀にとって、「信長を殺すこと」が目的であって、「天下を取る」ことなど、考えもしなかったのだろう。


本能寺の変。
その背後に何があったのか。

すべては闇の中だが、

・土地を仲立ちにした体制 vs. 貨幣を仲立ちにした体制。

の第一波が16世紀(戦国時代)にあり、第二波が19世紀(明治維新)にあった。

それは、World War IIの終結において、

家父長制 vs. 自由主義(核家族)

に変化した。


勿論、貨幣経済・資本主義はニューヨーク証券取引所によって「全世界が影響を受ける」体制である。

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