2020年01月24日

かつての担任教師・池端俊策先生脚本の「麒麟がくる」を批判する。

「麒麟がくる」第一回を批判する。


評価する場合、ネガティブチェックとポジティブチェックがある。

・ネガティブチェック= 悪いことがないかのチェック。

・ポジティブチェック= 良いところを見つけるチェック。

があるが、「良いところ」がほとんど見当たらない。

大島渚監督は、「いいシーンが2つあれば映画は成立する」と発言している。だが、この作品にその2つはあるのか。




あえて良いところを上げるすれば、2つの「行動指針が示されたこと」。

・(時代を変える)麒麟を連れてくる人に、私(光秀)はなる。

・大切なことはひとつ。ただひとつ。誇りを失わぬことだ。(光秀の父の言葉)

しかし、「麒麟の話」は、門脇麦演じる少女から教えられる。かくも簡単に少女の言葉に感じ入るのだろうか・・・。

光秀の父の言葉も周囲の人からの伝聞。本来であれば、幼少期の光秀が父から直接聞かなければ、ドラマにはならぬ。

つまりは、「ドラマを逃げている」。


比較批評をする。

比較対象は、韓流ドラマ「奇皇后」。

池端先生は、私の在学中、真山青果(佐藤紅緑に師事。代表作は、新歌舞伎の演目・元禄忠臣蔵)の全集を読むのを楽しみにされていたが、韓流ドラマなど御覧にならぬのかもしれぬ。

奇皇后は元の皇帝妃だが、もともとは貢如(こんにょ)。つまりは、朝鮮から元に貢がれた女奴隷である。

ドラマは、少女の彼女が元に連れていかれる道中、両親が殺される。中国の属国であり「国民を守る」ことのできぬ朝鮮王朝をふがいなく思い、いつか「国民を守ることができる王朝」を作りたいと決心する。

少女の決意は、青春期になると「男装の義賊」になり、皇帝との縁があり、側室になり、後宮の争いにも負けず、ラストでは皇帝妃になる。
ちなみに、韓流ドラマが「日本ドラマに比べて面白い」のは、ドラマでミメーシス(模倣再現)する韓国人の現実が、「相手を忖度しない」「直情があふれている」からである。

イングマル・ベルイマン監督は、「人間は嘘をつくから面白い」と発言しているが、「嘘をつかない日本人」のドラマはつまらなく、「息を吐くように嘘をつく」と形容される人たちのドラマが面白いのは当然である。


一方の「麒麟がくる」の第一回。「領民を盗賊から守る」。

そんな決意があるのだろうが、武力行使がもっぱらの戦国時代で、なんの意味があるのだろう。というか、「農民が奪われたもの」は農民のものではなく、領主が租税として調達するもの。

ならば、光秀が盗賊たちを「逃がすに任せた(追っていかない)」のは合点がいかぬ。

制作者としては、黒沢映画「七人の侍」のオマージュ(献辞)だろう。だが、まだ、刈り取られていない稲が多く残っているのは「ありえない」。盗賊も命を失うかもしれぬのだから、すべて刈り取られてから農村を襲うはず。

※ 「ありえぬ」は17世紀フランス古典演劇理論で重要な減点ポイント。

黒沢映画の「七人の侍」は関ヶ原の戦いの後の設定。つまり、風前の灯の武士の立場の人間が、農民を守ることで、かろうじて武士であることのプライドを維持する話。

だが、「麒麟がくる」の時代設定は、そのずっと前。一族があり、主君もいる武士のプライドがどういうものか。それは、「農民を助ける・守る」などという甘いものではないはず。

第一回では、「土岐源氏の流れを汲む」とあるが、そういうことだろう。

ならば、光秀は、(油売りのセガレ)斎藤道三に批判的であるべきであって、彼に支援され、彼のために鉄砲を入手し、京都の医師を連れ帰るなど「ありえぬ」。

さらに「ありえぬ」を言うと、火縄銃の扱い。

ウェブの情報では、1543年、種子島の殿様がポルトガル人から買った値段は2丁で一億円。それが国内でのレプリカ製造で、信長の時代では一丁60万円ほどになった。「麒麟がくる」第一回の時点は、その中間だから、数百万円?。

斎藤道三が、そのような大金を「一人旅の若者」に託すとは思えないし、手に入れたあとの鉄砲の扱いも「粗雑」である。

17世紀フランス古典演劇理論では、「ありえない」はダメと指摘しているが、それは

・内的整合性:登場人物の考えと行動に不整合。

・外的整合性:作品の中の出来事や価値観などに、「鑑賞者」が、違和感を覚える。

土岐源氏の末裔であることを誇る「光秀の母」が、斎藤道三の配下であることに「屈辱を感じていない」のは前者。

「光秀」が、数百万円の火縄銃を肌身離さず持っていないのは後者である。


今村昌平監督(学校長)は、池端先生の師匠でもあるが、イマヘイは、

・3代(当人・両親・祖父母)描かないと、人間は表現できない。

と断言している。

池端先生が馬場当先生と共同脚本した「復讐するは我に在り」では、
緒方拳演じる主人公と三国連太郎演じる父親の2代だが、南国の離島の風土が描かれることで、3代を表現している・・。


なのに、「麒麟がくる」は、(子役を使わず)光秀がすでに青年になって登場する。

・栴檀は双葉より芳し。

・三つ子の魂百まで。

てな言葉もあるのだから、幼少期に、光秀の行動原理を決定するエピソードをつづるべきだった。


・説明セリフはダメ。

というシナリオの鉄則がある。

セリフで説明するのではなく、主人公が登場人物たちとの摩擦軋轢によって表現するのがドラマである。
主人公の行動指針を「セリフで説明」する。

私のもうひとりの師・首藤剛志氏は、宮崎アニメ「天空の城・ラピュタ」を評価しない。その理由は、物語の大団円でレプカ(主人公たちの仇敵)の長い説明セリフがあるから。

 (首藤氏いわく)黒沢映画「七人の侍」も同じで、「勝ったのは我々ではない。農民たち」という武士の頭領のセリフが作品を台無しにしていると指摘する。

 笑い話で言うのだが、黒澤明監督の「七人の侍」という映画がある。日本映画の中で、観て損のない映画だと思う。お百姓達にやとわれた侍が野党と戦って数人の犠牲者を出しながらも戦いに勝つ話なのだが、ラストで生き残った侍が、田植えをするお百姓を見ながら「勝ったのはあの百姓たちじゃ、儂たちではない」と言うのだが、おそらくこのセリフがこの映画のテーマなのだろう。

「でも、これって、実はどうでもいいんじゃないか? 本当は、大金かけて今までの日本映画になかったチャンバラ大アクション傑作を作りたかっただけじゃないの? そっちのテーマはうまくいったけどさ、『ほんとに勝ったのは百姓』というとってつけたようなテーマは、なんだか余計だよな」

口の悪い監督がそう言っていたが、僕もなんとなくそう思う。


いやはや、元池端クラス(横浜6期)の学生としては、複雑な心境である。


池端先生も老境。シナリオライターの大御所といってもよい立場のはず。それでもなお、「脚本に直しを入れられる」のだろうか。

・・・・シナリオライターになれなくてよかった。



《 spontaの映画&ドラマの評価法 》......2020.01.04 

【作成の目的】

・主観批評・印象批評を廃し、「客観的で妥当性のある評価」を実現する。
※ 集合知(アンケートなど)では、「客観的で、妥当性のある評価」は実現しない。

【コンポジションシート】

おいしんぼ_05.png

・構図タイプ(5分類における種別)

・主人公の超目標・葛藤

・対立者の超目標・葛藤

・(対立の底の)共通目標

・ミメーシスの対象作品の属性


※ 評価外:現実トレース、原作トレース、歴史トレース、ジャンル(推理&サスペンスを含む)もの、マニア向け、異化効果・不条理もの。


 
【2分類】


・アポロン的(この世界の本質や存在を表現する)     ≒ 芸術

・ディオニュソス的(観客の感情を動かすことを目的とする)≒ 娯楽


【表現形式】

・Duel(「対立」が対決に展開する)

・Loss(「喪失」により、大切さを痛感する)

・Contrast(「対照的」に印象づけられる。事象は対立関係にある)

・Exposure(提示、露出。関連づけられていない)


【表現内容】

・Passion(意志)−−−主体性

・Emotion(感情)−−−忖度

・Nature(性質)−−−悟性・インセクト


【5分類】

1. Duel of Passion

2. Loss of Passion

3. Loss of Emotion

4. Contrast of Nature

5. Exposure of Nature




【ミメーシス理論】

1. 過去の傑作作品のミメーシス(今の時代に合致した、さらにインパクトを強化した模倣・再現)である。

2. 現実のミメーシス(現実の散文性を補った模倣・再現)である。

※ この評価法は、「芸術作品は、作家(個人)のオリジナルな創作物でなければならぬ」という近代主観主義に反している。
※ この理論は流通していない。むやみに提示すると「教育者たちの反発」を食らう。


【17世紀フランス古典演劇理論】

1. 本当らしさ(ありえないがないこと)。

2. 内的整合性(登場人物の性格と行動に違和感がない)・外的整合性(観客にとって違和感がない)。

3. 驚異的(観客を驚かせる)。

4. 三一致の法則。(場所・時間・筋の統一感)



この理論は、放送大学・青山昌文教授の講義を参考にしています。         

posted by sponta at 08:17| 東京 ☁| Comment(2) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
薄っぺらい批評で屁が出た…。

スンマソン(´・ω・`)
Posted by at 2020年02月03日 21:41
「薄っぺらい」との感想。ならば、最後まで読まれたのかなぁ・・・。

どうも、どうも、お疲れ様でした。

*

この感想だけを書かれたのなら、
「薄っぺらいかどうか」という評価軸が、最重要として感覚された。

薄い or 深い

つまりは、「深い」とは言いたくなかった。

てか。


粘着質と批判されるより高評価。つまりは、内容についての批判ですね。

!(^^)!

ありがとうございました。
Posted by spt at 2020年02月05日 13:41
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