2020年01月27日

本田佳祐様。spontaとは誰か?

#本田圭佑 #OneTokyo

公開メールということで、さまざまな人にコンタクトを試みているが、リターンは皆無である。

「愛読者1号」さんによれば、

・ウェブ者は信用できない。有象無象。

との印象が大きいだろう。とのこと。
ま、そんなことだろう。つか、間違っていない。

サッカー界の世界的な有名人に、

・あなたは間違っている。

と、コンタクトしたのだから、

・ストーカー。

・売名者

と思われても致し方ない。

だが、spontaは、「真実の奴隷」である。
そんなことでメゲナイ。

ウェブで「ストーカー被害を受けた」と裁判沙汰にする人もいるが、所詮、ウェブは「バーチャル」。架空なのであって、spontaも有象無象の輩なのだ。

つーことで、spontaとは誰か?

思想の背景にある実体験は何か?


本田佳祐氏のサッカーチーム(One Tokyo)のサイトにコメントしたが、ご本人が読んでいるとは限らない。そうは思えない。
そこで、彼の周囲の人たちに向けて端的に記す。



もともとは、テレビの下請けプロダクションの制作助手・助監督。

ポータルサイトのヤフーが一斉を風靡した後、グーグルが世の中に登場し、検索エンジンの時代。21世紀に入った直後、私は、インターネット動画チャンネルのディレクターをやっていた。

番組名は「インターネットウォッチ・プラス」。ウェブ関連出版社のインプレス社の事業だった。

そこで、メディアや、インターネットについて深く考察。

そして、ホリエモンがフジテレビの乗っ取りを企んだ頃につくった「ライブドアの市民参加型ジャーナリズム」に参加。2ちゃんねるで「炎上する」。

本業は映像ディレクターというか、ウェブ・コミュニティーや評価基準について研究している。


今回の本田氏への提案は、以下の3点。

・ウェブ2.0
・形式批評
・PDCAサイクル


2005年頃、ライブドアの市民参加型ジャーナリズムに参加した私は、その運営にウェブ2.0が有効だと思った。


ウェブ2.0は、2000年代前半に提唱された「ウェブ・コミュニティーの理想形」。
しかし、「ウェブ関連目柄への投資熱を煽る」ために登場したようで、不覚吟味されずに、いつの間にか消えてしまう。

コミュニティーを健全に運営・存続させるためには、

・透明性:外から中が見える。
・参加性:誰でも参加できる。
・外部性:新しく入った人が優遇される。


だが、ホリエモンが「市民参加型ジャーナリズム」の代表に選んだ人は、

・メジャーマスコミに入れなかった人。

つまり、ウェブが登場することで実現可能になった「市民参加型ジャーナリズム(市民が取材し、記事を書く)」なのに、彼らがビジネスモデルにしたのは、既存のマスコミ。
結果、彼らは、

・国語力で市民記者たちを鑑別した

本来であれば、プロの編集者と市民記者が協力しないながら、「新しい報道機関」をつくれる可能性があったのに、出来上がったのは、

・4流のマスコミ

でしかなかった。


本田氏が作ろうとしているサッカーチームも同じ。

「サカつく」をビジネスモデルにしてプロジェクトを立ち上げるなら、本田氏の知名度に集まる「目立ちたがり屋」ばかりで、先進的・革新的な組織は出来上がらない。

・J1,J2,JFLに拒絶された選手たちが集まる

・・・だけ。

結果、出来上がるのは、

・4流のチーム

それでいいんたろうか?

結果、スカウティングでチーム力の向上を目指す。それって、市民チームとして、どんなものだろう。

サポーターの延長線上に選手がいる。彼らは、ひとつのスピリットでつながっている。

そんなチームが理想のはず。


もし、本田氏が、

・理想のサッカーを掲げる。

それに同意した

・選手やスタッフが集まる。

たとえ、メジャーに拒絶された選手でも、「理想のサッカー」という熱い思い・志があれば、彼らは

・「夢を実現するために、実行する人たち」

であって、敗残兵ではない。

たとえ、発足当時は、負け続けだとしても、

・いつか夢が実を結ぶ。

つか、そういう夢を見れる。

つか、そんな人たちのサッカーを、「大勢の人」が見てみたい。応援したい。

本田圭佑という有言実行のキャラクターが、「輝かしい理想のサッカーを掲げる」なら、日本の人、否、世界の人たちが動いてくれるはず。

*

高校サッカーでいえば、セクシーフットボールの野洲高校。つなぐサッカーの静岡学園。
そんな徹底的な「アンチフットボールの否定」。ストイシズム(積極主義)。

それこそが本田圭佑イズムにふさわしいと思っている。


そのために本田氏が行うべきことが、形式批評。

形式批評 = 評価基準を明確にして、評価・吟味を行うこと。

モダニズム・近代主観主義では、「(個人の)考えること」が尊いとの妄念があります。私たちは、義務教育で「あなたはどう思っているの?」と刷り込まれている。

しかし、「個人が考えた結果」が正しいという保証はない。
したがって、「個人が考えた結果」の集合体である「集合知」も同じ。

なのに、国家は「選挙」で運営されるし、経済活動では「人気投票」が幅を利かせる。

あるべきは「客観的で、妥当性のある評価・判断・吟味」なのに、「主観・集合知」というオボツカナイ・不確実なものを基盤に世の中が動いている。

そのような現状を払拭するには、本田圭佑というビッグネームが必要なのです。

posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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