2019年12月29日

槍は叩き、刀は突け。

歴史考証番組を観た。テーマは、「桶狭間の戦い」。織田信長が圧倒的な戦力差をもとともせず、雨中に奇襲。今川義元の首を召しとった。

番組は「定説を覆す」ことを目的とする。

織田軍は、長い槍を用いたが、「3メートルを越える槍」は「しなる」ので、正確に相手を「突く」ことができない。

そこで、「しなり」を利用して「相手を叩く」。

番組では再現が行われ、「槍で突く」兵士役が、「日本刀」の兵士に敗北する実験結果がえられた。


黒澤明は「真実を追求する」完全主義の映画監督である。

ある時は、現金の入った鞄が「軽すぎる」と重りを足した。横浜の三ツ沢あたりを舞台とした「天国と地獄」だったか。

そんな黒沢映画の「影武者」の合戦シーンでも、「槍は突くもの」であった。


忠臣蔵。

殿中松の廊下にて、浅野内匠頭は吉良翁を殺傷できなかった。浮世絵を信じるなら、「額に傷を負わせた」だけ。

当時の江戸には、なぜ「突かなかったのか」と、浅野の武士としての不見識を問う声があがったとか。

だが、眠り狂四郎の円月殺法をはじめとして、時代劇の剣客は「突かない」剣が一般的。


宮本武蔵にしても、「正々堂々と相手と渡りあった」のではない。彼が多勢に無勢を乗り越えてサバイバルできたのは「逃げ足の速さ」である。


私がこどもの頃、つまりは、数十年前は、時代劇に「お歯ぐろ」をした女性が登場していた。だが、今は皆無。そもそも、時代劇はファンタジーなのだ。

半島南制作の時代劇ドラマも同様であって、キラビヤカな衣装を着た上流婦人などが登場するが、実際には、染色しない生成りの衣装を着ていたという。


私が指摘したいのは、「歴史は文献学」に過ぎぬこと。

つまりは、「文字で書かれている」なら、裏を取らずにそれを「真実として是認する」こと。

実験考古学が言われて久しいが、実験歴史学もあってよい。

明智光秀の甲冑を来た大軍が行軍すれば、鎧が擦れる音がする。夜中ならば、それは遠くまで響く。つまりは、信長の寝込みを襲った本能寺の変はありえない。


カナダの思想家・マクルーハンは、「アカデミズムは、活字によって規定される」と言ったが、そのことは、「書かれたもの」をそのまま「信じてしまう」アカデミストたちを批判している。

それは、「従軍慰安婦・徴用工」など、朝日新聞を信じてしまった私たちも同様・・・。
posted by sponta at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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