2019年11月11日

令和天皇陛下の「御即位パレード」の意味・価値。

カナダの思想家・マクルーハンは、「メディアはメッセージ」と発言している。

その意図は、メディアの本質は、

・「コンテンツ」が伝えたいことではない。

・「メディア(そのもの)」が伝えたこと。

である。

今回の天皇陛下即位パレードのテレビ中継。

驚くべきことに、公共放送も、民間放送も

・コンテンツの内容(パレードの様子)

を伝えたが

・メディアとして機能したこと(「統合の象徴」としての価値の確認・増強)

を一切伝えなかった。




戦前の昭和天皇は、226の終息のために発言。終戦を決定するなど政治にまみれた。晩年は被災地訪問などで「統合の象徴」として活動したが、戦前のイメージを払拭できなかった。

平成天皇は被災地巡礼・国際親善を尽くし、「統合の象徴」としてのイメージを増幅させた。「天皇は現人神」と洗脳された過去を持つ人たちも物故していき、イメージは変わる。

令和時代、「現人神洗脳」を受けた人(80歳以上)は、すでに社会的存在感を発揮できない。結果、令和天皇は政治・宗教を離れ、「統合の象徴」に純化していると思えている。

戦前、
美濃部達吉は「天皇機関説」で「現人神としての天皇」を否定し、糾弾された。

令和時代、
私・spontaは、「天孫光臨の天皇の起源」に根拠がないとは言わないが「作り話」だと指摘するが、批判は受けぬだろう。
天皇がおこなう神事(新嘗祭など)は「宗教行為」であって、そのために20億円を使うのは相応しくない。内廷費でまかなうべきと秋篠宮皇嗣殿下は仰る。だが、天皇は「統合の象徴」であって(説教をしないのだから)神官ではない。

ならば、宗教行事ではなく、慣習。
正月のお祝いや、雛祭り、鯉のぼりと同じである。


重要なことは、

「天皇の神格化」は、西洋に習ったものであって、日本伝統のやり方ではなかった。

のを、私たちが再確認することである。


国民を統合するには「統治者の神格化」が効率的とされた。古代中国皇帝や、ローマの皇帝がそれである。

一方の日本では、わざわざ「神格化する必要」などなかった。天孫光臨の神話など必要なかったのを、明治政府が「それでは西洋文明に劣る」とプロモーションしたに過ぎない。


武士たちは「自らの大儀を確立するのため」に天皇の権威を利用してきたのであって、それ以上でも、それ以下でもない。

それを「国民統合の象徴」として援用したのが明治政府。自らにかけた魔法は令和時代に純化する。


戦前は、天孫降臨の神話が必要だった。

だが、令和時代は、「金の鳥かごに囲われた少年」の物語と、その人生に涙した「心優しい女の子」の物語で事足りる。
つらい日々を過ごした女性は、パレードで感極まり目頭を熱くする。

宮中では、「人格を否定するできごと」があったと聞く。

天皇制肯定派の学者でさえ、(療養が続く)雅子妃を否定する発言を行っていた。

だが、それらは「1億四千万人の国民の総意」の前ではノイズでしかない。
パレードの観衆は用意された日の丸の数が15万本といが、約12万人が集まったという。

・(現人神ではないのだから)宗教の力ではなく、

・(天孫降臨の物語を国民多くは知らない)神話の力ではなく、

・(知らされているのは、天皇陛下と皇后陛下の人生だけ)個人の物語が
「統合の象徴」として機能した。

そのことを、令和天皇即位パレードは表現していた。
だが、そのことを伝えるマスコミは存在しない。


蛇足:
皇室制度にあこがれた半島南は、韓国にもそれがあるという設定のドラマ「宮(クン)」を制作している。
「統合の象徴」を持たない彼らは、「共通の敵」を作ることと、「歴史をねつ造」することで国家的な求心力を得ようとしているが、虚ろである。

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