2019年11月16日

東儀秀樹氏の子育てを否定する。

ちょっと昔。あれから十年経つか・経たぬか。そんな感じ。

雅楽奏者の東儀秀樹氏が「子育て本」を出版したとして、マスコミに露出していたのを覚えている。

彼曰く、

・理不尽な経験をするくらいなら、こどもが「公園で遊ぶ」のは避けるべし。

父親は、砂場遊びや遊具遊びで「他のこどもに虐められる」ことを憂慮したのだろう。
当時の記事をググれば出てくるが、私の意見を要約すれば、

・「嫌な体験」が、こどもに「耐性」を育む。

したがって、公園で「同世代のこどもたちと遊んだ経験がない」なら、「耐性のない大人」が出来上がってしまう。


「有名になる」というのは恐ろしいことで、「間違った意見」をしても、誰も「否定してくれない」。


軍隊に限らず「新人研修で養われる」ことは、上司・上官の「理不尽な命令」に(文句を言わず)耐えること。
こと社会生活において、一番重要なことは「耐性」である。

「耐性を獲得せずに大人になる」と、結果は2パターン。

・引きこもり。(耐性がなく、他人とコミュニケーションできない)

・家庭内暴力。(耐性がなく、家族に「八つ当たり」しかできない)

経済的に自立出来れば、心理特性はそうでも、なんとか人生を全うできる。だが、そうでないなら、周囲は迷惑を被る。


サンドウィッチマンと芦田愛菜がメインキャストで、天才小学生をゲストに迎える番組がスタートした。
最初に招かれたのは、「さかなくん」をリスペクトする魚博士の小学生。二人目は、仏像に熱中する小学生。

二人とも「自分が好きで好きでたまらないこと」を聞かれることが、「うれしくて、うれしくて堪らない」。そんな印象。
だが、三人目は、まったく違う印象。

小学生の男の子が熱中しているのは「世界の民族楽器」だとか。
はにかんでいるとうか、目が泳いでいるというか、「素人が初めてテレビスタジオに登場する」なら、当然の様子。だが、前に紹介された二人の小学生と比べると、あまりに違いすぎる。テンションがあまりに低い。

「好きなことをしゃべっていい」なら、誰でも、さかなクンのようなハイテンションになる。だが、世界の民族楽器について語る少年の言葉たちは淡々としている。

番組がすすんでいくと、その理由が分かった。

少年が収集しているという「世界の民族楽器」は、彼が集めたのではなかった。世界中を渡り歩き、それら楽器を購入し、日本に持って帰ってきたのは、他でもない雅楽奏者・東儀秀樹氏。

つまりは、少年は東儀氏のご子息。

ならば、彼は、「公園に連れて行ってもらえない」ため、耐性が欠如している筈。

つか、新番組に彩りを加えるためテレビマンたちが用意したのが、有名雅楽奏者と、そのご子息。


私は、チョムスキーの「生成文法」と、アドラーの「承認欲求」に、コンラートローレンツを加えた「生成承認欲求説」を唱えている。


チョムスキーの「生成文法」とは、人間には「言語構造の収納する棚」のような構造が生まれつき存在(生成)しているとう説。
つまり、どんなに熱心に言葉を教えても、チンパンジーには「生成文法」がないので、言語を習得できない。単語を理解しても、文章は理解できぬのだ。

一方、アドラーの承認欲求とは、人間の欲望はすべて「他人に認められたい願望」であるとの説。

コンラート・ローレンツは、動物行動学者。
「(鳥類が)生まれて初めて見た動くもの」が(たとえボールであっても)親として認識することを発見している。


そして、我が「生成承認欲求説」は、

人間は、生まれつき、

・親から承認されたい

と言う「欲求の構造」を持っている。
欲求の構造は以下の二つ。

・承認者

・承認項目

これらが安定しないと、こどもは「情緒不安に陥る」し、大人になると「ひきこもり・家庭内暴力」に至る。


今回の新番組への出演。

東儀氏のご子息の心はどうなっているのだろうか・・・。

自宅の映像では、電子ドラムやキーボードでスタジオ仕様。だが、バンド活動をともにする仲間たちの姿は紹介されない。
CDを自作するというが、彼の孤独な作業がイメージできる。


幼少期の「承認者&承認項目」は、「両親&両親が望むこと」である。

しかし、小学生を終えて、中学生になると、それが「社会&社会が認めること」に移行する。

具体的には、中学生の頃から、「勉強やスポーツで認められること」で、精神が安定する。

中学生になってまで、「両親が承認している」だけでは「満足しできない」。そのような場合は、「社会的に価値のないこと」で満足・承認している親を「否定する」。


東儀小学生の場合、「こども博士」として番組で紹介されたが、その手柄は「自分」ではなく、「父親」と確信している。

番組中の発言も「父親に教えられたこと」が殆ど。楽屋をともにしたであろう二人と比べて絶望しているに違いない。


だが、まだ問題は何も起きていない。
起きるのはこれから。

きっと少年の心根は優しいから、「何かが起きたこと」を父親にだけは悟られぬようにする。

・・・悲しい父と子の風景である。

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