2019年11月09日

日本のドラマが迷走している。(相棒・同期のサクラ)

20世紀は「主観の時代」であり、21世紀は「客観の時代」だと確信している。

「主観の時代」は、「西欧の世界制覇」という野望・陰謀の中で仕組まれた「思想兵器」によって生まれたもの。妥当性を持たない。

「主観の重用」から、「○○ファースト」なる標語が生まれた。発信源はD.トランプ、邪心である。

あるべきは、「誰かに従う」のではなく、「真理・妥当性を極める」ことである。


そんなことから、20代から取り組んできた「ドラマ・映画」について客観批評を加えようというのが、このブログのひとつのテーマとなっている。

だが、日本の映像作家たち・製作会社のサラリーマンたちは、いまだ「主観」妄想が強い。


さて、今回の標題。


今クール、ぎりぎりのところで観ているのは、「女王の教室」のシナリオライター・遊川和彦氏の新作「同期のサクラ」である。

タイトルは、「家政婦のミタ」と同様、主人公の固有名詞と「常套句」を組み合わせたもの。
高畑嬢が演じるヒロインはサクラ。同期入社のゼネコン社員たちとの交流がドラマの主軸である。
「女王の教室」の小学校教師。「家政婦のミタ」の家政婦は、ともにモンスターだったが、今回のヒロインもモンスター。

・私は忖度しない。

と言い切る。

そして、3つの夢を語る。

・故郷の島に橋をかけること。

・生涯の親友(同期)を得ること。

・生涯の親友たち(同期)と、世の中の人たちを幸福にする建物を作ること。


ドラマが迷走していると言った理由は、

・主人公に感情移入できない。

からである。


感情移入できない理由は、

・喜怒哀楽・葛藤がない。

からである。


映画「ゴジラ」の主役はゴジラだが、観客はゴジラに感情移入しない。

その不備を繕ったのが、映画「キングコング」である。(制作年代が逆なら、成立しない論理だが・・・)


映画「スーパーマン」では、クラーク・ケント氏は「恋人を騙していること」が後ろめたい・葛藤している。


「女王の教室」の小学校教師は主人公だが、感情移入の対象は志田未来が演じた女子児童である。

「家政婦のミタ」の家政婦は謎の存在だから感情移入は難しい。フィギュアスケートとの掛け持ち子役の本田望結嬢が感情移入の対象である。


どうように「相棒」シリーズの杉下右京も「サイコパス」であって常人ではない。結果、観客は相棒たる「特命係の相方」に感情移入することになる。


・何気ない日常を描きながら、最上の感動を生む。

のが、ドラマの真骨頂だと思う。

だが、「サイコパスの存在するドラマ空間」は、あまりに「現実社会」と隔たっている。

それが、昨今の「日本のドラマの異常性・低迷の理由」と考える。


日本社会にとって、「ドラマとは何か?」。

それを、あらためて考えるべき。

「おもしろい・つまらない」との放談しておしまいの、ドラマジャーナリズムは、すでに終わっている。


posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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