【主旨】吉永小百合嬢は、「没入」型演技を目指している。
だが、スタニスラフスキーも蜷川幸雄も「没入」型演技を否定している。あるべきは、「セリフ・気持ち・動作を孤立的にコントロール」することである。
NHKの「プロフェッショナル〜仕事を流儀」が彼女に長期密着ドキュメントした。
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この番組を観て、俳優および俳優を目指す人たちが「彼女の振る舞い」を真似たら、悲惨なことになる。
その理由は、以下に反するから。
・「没入」型の演技術は間違っている。(青山昌文・美学芸術学教授)
・優秀な俳優はいつも「覚醒」している。「没入」して役に成りきり、自分自身を失うことはない。(演出家・蜷川幸雄)
放送大学の青山教授は、スタニスラフスキーの「俳優修行」の本は没入を否定しているのに、誤訳されていると指摘する。
私か察するところ「心理至上主義に侵された翻訳者の仕業」。
希代の演出家・蜷川氏は、平幹二朗氏は「客席の私を感じると、熱演の抱擁シーンでさえ、私が最適な角度で見えるように身体をズラした」。
ロンドンの俳優と仕事をした時も、本場の名優は「没入などしない」。いつも「(高度に覚醒して)自らをコントロール」と告白する。
ロンドンの俳優と仕事をした時も、本場の名優は「没入などしない」。いつも「(高度に覚醒して)自らをコントロール」と告白する。
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だが、吉永嬢は、
・役になり切る。
と、(恥ずかしげもなく)発言する。
○
小百合嬢は「昭和の演劇理論」をいまだに抱えたまま。
彼女は「役のモデルになった女性」が暮らした街を事前に訪問する。ロケ時に初めて現場を訪れたのでは「役になりきれない」と。
だが、そもそも「役になりきる」ことが間違い。
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spontaによれば、「あるべき演技」とは、
・セリフ、気持ち、動作を「孤立的に制御できること」。(アイソレーション)
そのために必要なことは、
・弛緩。(リラクセーション)
である。
これは、ダンスにおける「勘所」。「リラクセーション&アイソレーション」を演技術に転用したものである。
○
撮影を終えた小百合嬢は、「少したった今でも、(演じた)別人格が残ったままでいる」と、感慨に浸っていた。
わたしの演技理論からいえば、そのような「澱(おり)」こそが、彼女の演技を「重く・鈍く」する。
・
女優は「巫女」。演劇は「祭り」。ならば、神様が降りてこなければ、祭りは始まらない。
しかし、テイクを重ねる撮影現場や、昼夜2回公演で、すべての回に「降臨させる」など不可能。演技じる度に「出来・不出来」のバラツキができる。
番組中、彼女の迫真の演技で、思わず指が震えているところを、監督は愛でていた。だが、この演技は再現性がない。つか、一発オッケイだったのだろうか・・・。
○
番組の大団円。
小百合嬢は、「自分はアマチュア」と発言し、「プロフェッショナル」を目指すと、自分は「大スターの座に満身するではない」と発言する。
だが、それは「(長いキャリアを以てしても)未だに演技とは何か?」と把握できぬ未熟で不勉強な彼女を印象づけるに過ぎぬ。
○
大御所になってしまった吉永小百合さんに、「否定的な何かを言える人」は、現場には存在しないだろう。
だが、ウェブには「彼女の演技」に疑問を持つ人が少なからず存在する。
その存在に気づかぬ限り、彼女が「昭和の時代」を脱ぎ去ることはできぬに違いない。
追記:
八千草薫嬢が亡くなられた。
大スターであり、歳の離れた演出家と結婚したことは、吉永嬢と同じ。
八千草嬢は、夫君である谷口千吉氏から、「いい加減にやりなさい」とアドバイスされたとか。
「いい加減」とは、「本気ではない」ではなく、「良い加減」との意味だとか。
黒澤明のライバルと言われた東宝の演出家は、「没入芝居」の危うさを感じ取ったが、フジテレビのディレクター・岡田氏は、妻の芝居に関心がないのかも・・・。自分の妻が「ダメな芝居」をしていたら、演出家としての沽券に係わるはずだが・・・。
文章自体は大変参考になりました。
いつも楽しませて頂き有難うございます。
愛情の反対は無関心と、マザーテレサも言っています。コメントを頂戴でき、うれしいです。
○
つーことで、ご意見。うれしいです。
とはいえ、ご指摘の通り、「釣りキャプション」を狙ったものかもしれませんね。
ただし、世の中が批判・否定しているのに、アクターズスタジオ系のメソッドを信じる人たちがいる。
これはゆゆしきことであって・・・。
なんて思うのです。
○
批判大歓迎。今後ともよろしくお願いいたします。
勘違い女優、は釣りではなく、日々他者への批評批判に精励される中、対象への敬意を欠いた表現を用いることに少々無感覚になられているだけで、そこに打算はないのでは、と拝察しています。
またしても失礼な物言い、平にご容赦。
私のモットーは、
・批判のための批判はしない。
・批判をするときは、改善策を明示する。
・改善策のない時は、批判しない。
です。
ありがとうございました。